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本編

七章2

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 ユーフェは剛樹が立ち去るのを見送ると、シエナとともに客用ラウンジのほうへ移動する。
 王宮のパーティーホールには、入り口から入ってすぐの場所に、客用ラウンジがある。早く到着した客が時間をつぶせるようなカフェスペースで、招待状を見せれば、無料で飲み物を頼めるのだ。普段は有料で開放しており、城への客や城勤めの者が使っている。
 休憩室やパウダールームのある廊下を通り抜けながら、ユーフェは先ほどの剛樹のことを思い出した。
 剛樹は気まずそうにして、どこか焦った様子で先に戻ると切り出した。繊細な性格のせいで、気遣いをして疲弊しやすい彼のことだ。元婚約者が現れたので、対応に困ったのだろう。

(私としては、傍にいてほしかったが……)

 人目のある場所とはいえ、元婚約者と二人きりになるのは外聞が悪い。

「あの……」

 後ろからシエナに呼び止められ、ユーフェはハッと我に返る。
 振り返ると、だいぶ離れた位置で、シエナが困った顔をしていた。それでユーフェは考え事をするうちに早歩きになり、シエナを置き去りにしたと気付く。

(昔はこういったところがかわいかったものだが)

 傷心を乗り越えた今では、シエナの様子にいら立ちが湧いた。

「先に行っている」

 気遣われるのが当たり前だと思っている、甘やかされた貴族の女。今のユーフェの目には、傲慢なものにしか見えない。
 ユーフェは気にとめずに言って、客用ラウンジに向かった。

 そこには紺色のソファとローテーブルが数セット並んでおり、奥には飲み物を用意するためのキッチンカウンターがあった。パーティーが始まってまだ間もないため、給仕である銀狼族の男一人以外に人影はない。
 ユーフェはわざと人目につきやすい位置のソファを選び、給仕に茶を注文する。遅れてたどりついたシエナはぜいはあと荒い呼吸をして、恨みがましげにユーフェをにらんだ。

「ひどいですわ。わざとわたくしに意地悪なさっているのでしょう?」
「違うな。君にかけていた気遣いがなくなっただけだ。率直に言う。私は君と再び縁を結ぶつもりはない」

 座るようにと手ぶりで示すと、シエナはお辞儀をしてから着席する。大きな目を、うるっとうるませた。

「わたくしのお話を聞いてくださるつもりは、まったくありませんのね」

 給仕が運んできたお茶を飲み、シエナはカップをソーサーに戻そうとして、ガチャンと行儀の悪い音を立てた。指先が震えているので、表面上は落ち着いて見えて、動揺しているらしい。

「君が問題を起こしたあの後なら、まだ聞く耳はあっただろうな」

 遠回しに、今は全くないと告げて、ユーフェもお茶に手を伸ばす。当時あびせられた苦痛を思い出すだけで、いまだに胸の奥が重くなる。考えなおしてほしいとすがりついたユーフェを、シエナは冷たく突き放した。

「君はよりによって、兄上に惚れたではないか。私が兄上達と比較されるのを、心から嫌悪しているのを知っていたくせに」
「あなたも銀狼族ならば、恋に落ちた時はどうしようもないのだとご存知のはずですわ」
「ああ、知っている。そして、あの時、君はすっかり恋で目をくもらせた態度で、婚約破棄をしても後悔しないと宣言していた。私の元に戻ることは二度とないと、はっきり言った」

 ユーフェはふんと鼻を鳴らす。

「心変わりした理由はなんだ? 金か? 名誉か?」

 シエナの震えは、分かりやすく大きくなっていた。ぽろぽろと涙をこぼす。

「わたくしは社交界で孤立して、結婚も危ぶまれています。わたくしに、年老いた男の後妻におさまれとおっしゃるの? 一度、婚約したことに免じて、助けてくださいませ!」

 シエナはソファを立ち上がり、突然、ユーフェに抱きついた。

「何!? おい、離れぬか!」

 驚きと嫌悪で、ユーフェの全身の毛が逆立つ。シエナは死にもの狂いの必死さでしがみついており、引き離すのは容易ではない。それに加えて、シエナの首筋から甘い香りが鼻をついた。

(これは……!)

 まずいと踏んで、ユーフェは遠慮せずにシエナを突き飛ばす。

「きゃあっ」

 シエナは無様に床に転がった。
 ユーフェは鼻を右手で覆い、シエナから距離をとる。

「貴様、誘引の香水をつけて、こんなに大勢の客がいる場所に来たのか! どうかしている!」

 ユーフェの言葉が聞こえたようで、給仕の男は顔色を変えて距離をとった。

「君、このことを伝えて、衛兵を呼んでくれ。ホールの入り口にいるはずだ」
「はい! ただちに!」

 給仕が慌てるのは当たり前だ。
 この世界の獣人や人族は吉祥花から生まれるが、獣人には発情期がある。たいていは冬に入る前の一週間程度だ。その時はフェロモンを出して、他の者を惹きつけるため、事故を起こさないように、ほとんどは家にこもって過ごす。

 誘引の香水というのは、フェロモンの性質を利用した香水で、発情期を無理矢理引き起こすものだ。違法薬物ではないが、たいていは吉祥花に子どもを望む夫婦が使うものだ。こんなに多くの獣人がいる場所につけてくるようなものではないし、そんなことをすれば処罰対象になる。

 ユーフェは早鐘のように鳴り始めた心臓を意識して険しい顔をし、シエナをにらむ。

「王子にこんな真似をして、ただで済むとは思わないことだ」
「どうしてですか! ここまでしても、わたくしの気持ちを分かってくださらないなんて! あんまりだわ」

 シエナはわっと泣き出した。

「殿下、ご無事ですか?」

 鼻から下を布で覆った衛兵二人が現れ、シエナを取り押さえる。

「ああ。すぐに宮に戻れば問題ない」

 ユーフェは上着をはたいて、香水のにおいをできるだけ落とそうと努力する。

「グラント嬢、以前の私の気持ちを、やっと理解できたようだな。もう何もかも、手遅れだ。私はもう君には興味がないから、こんな真似しかできぬ君の浅ましさに、憐れみしか覚えぬよ」

 自分勝手なところも、昔はかわいいわがままに見えていた。恋は盲目とはよく言うものだ。

(彼女と婚約破棄になって、むしろ良かったのかもしれない)

 ずっと引きずっていた過去の情に、唐突な幕切れがやってきた。

「連れていけ」
「はっ」

 ユーフェが冷たい声で告げると、衛兵はシエナを強引に連れていく。行先は王宮にある、貴族用の牢だ。

「ユーフェ様、どうかお願いします、助けてくださいませ! ユーフェ様!」

 シエナの悲鳴が遠ざかっていくのをよそに、ユーフェは自分の離宮へと急ぎ戻った。
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