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本編
六章8 <お題:南の一つ星>
しおりを挟む婚約披露パーティーは夜会なので、すでに日は暮れている。
ガラスのランプがあちらこちらに置かれた庭園は、夜空から星を散りばめたみたいで綺麗だ。
剛樹はパーティー会場のほうを気にして問う。
「もうすぐパーティーが始まるのに、庭に出ていいんですか?」
「モリオンは私に開始まで兄上達にからまれろと言うのか?」
「しかたがないですね、分かりました。始まるまで、ここに避難していましょう」
剛樹はすっかりユーフェに同情している。兄達に心配されるのはありがたいことだろうが、あんなふうに子ども扱いして構われるのはうっとうしいものだ。
「ちょっと騒がしいですけど、温かい人達ですね」
「そうだな。王宮では殺伐とした家族関係になりやすいと聞くから、私は恵まれていると分かっているよ。だがなあ、私はもう大人なのだから、放っておいてほしいのだ」
「まあ、それは分かります」
ユーフェの大きな耳が、ぺたんと寝ている。剛樹は特に彼の言葉を否定もせず、うんうんと頷いた。
花壇の傍にはベンチがいくつか並んでいる。それに二人で座ると、ホールの様子が見える。明かりとざわめきが遠く、まるできらびやかな夢を覗く観客になった気分だ。
(不思議だなあ。なぜか違う世界に来て、王家のパーティーに参加してるなんて)
宙の泉があったのがこの国で――最初に会ったのがユーフェで良かったと、剛樹は改めて思う。ユーフェのほうを見ると、彼は夜空に視線を向けていた。
「モリオン、あの空の赤い星が見えるか?」
「赤い星ですか?」
ユーフェが示す先では、赤い星がくっきりと輝いている。
「南の一つ星といってな。夏になると、南に見えるのだ。この国では『家の星』と呼ばれている」
「家っていう星座なんですか?」
「違う。あれが見えたら、もう遅い時間だから早く家に帰るようにという、どの家庭でも教わることなのだ。もうすぐ収穫期という合図でもある。先祖が実りとともに家に帰って来るのだ、と」
お盆みたいなものだろうかと、剛樹は日本の風習を思い出す。違う世界でも、似たような考えはあるものらしい。
「よくよく考えれば、私の帰宅にお前を付き合わせていることになる。家に帰りたくなって、悲しい思いをさせたのではないか」
急にユーフェが星の話なんて始めるのでどうしたのかと思ったら、ユーフェは星を見て、剛樹の状況に気づいたらしかった。気まずそうに、鼻の頭にしわを寄せている。
(傷つくことや億劫なことがあって、ユーフェさんにとって家は気が重くなる場所だろうに。俺を気にかけてくれるんだな)
彼なりに気持ちが張っていたのだから、剛樹について気づくのが遅くなるのも当然だ。それに、そもそも剛樹は家や家族を見てどう思うかなど、気にしていなかった。
「家に帰りたくないかと訊かれれば嘘になりますけど……。俺はユーフェさんの傍にいるのは楽しいですよ」
ユーフェの青い目が、びっくりしたように、ぱちぱちと瞬きする。
「楽しいのか?」
「それに、安全なので助かっています」
「そうか」
ユーフェの耳がピンと立ち、尾が揺れる。うれしそうにこちらに手を伸ばそうとして、はっとして引っこめた。
「どうしました?」
「頭をなでたくなったが、パーティー前にぐしゃぐしゃにしては執事に叱られる」
「あはは、そうですね」
確かにあの執事ならば怒りそうだ。
「なあ、モリオン。こちらにはネズミ族や人族向けの離宮もある。お前が過ごしやすいなら、王宮に残れるように手配しようかと思っていたのだが……」
「ユーフェさん、俺、いじめられるから嫌だって言ったじゃないですか!」
「私の執事がいれば、そう怖くもないだろうと思ってだな」
「俺が邪魔だってことですか?」
不安になって問うと、ユーフェは大きな動作で首を横に振る。
「いや。ラズリアの冬は厳しいからな。お前のように脆弱……か弱いと、塔の生活はどうなのかと思ってな」
「ぜ、脆弱……」
ユーフェは言い直したが、剛樹にはしっかりと聞こえた。ガーンとショックを受ける剛樹に、ユーフェは謝る。
「すまぬ! 悪気はなくてな。ただの事実だ」
「フォローしてるつもりなら最悪ですよ?」
「とにかく、冬の備えはしっかりするつもりだが、無理そうだと思ったら、きちんと主張するように。研究室の改築もしたほうがよいかもしれぬな。考えもしなかった」
「冬服は用意してくれたじゃないですか?」
「住まいのことまで考えていなかったのだ。我ら銀狼族は暑さには弱いが、寒さには強いからな」
そういえば、床暖房の仕組みは塔のほうにあるのだったか。そもそも研究室は住居として造られた建物ではないから、耐寒性が低いのかもしれない。
「漂着物に、ちょうどいい暖房器具があれば使わせてもらおうかな」
「おお、それはいい。漂着物の研究所には連れていくつもりだったから、そこで探すとするか」
「よろしくお願いします」
ユーフェはベンチから立ち、剛樹に左手を差し出す。
「そろそろ会場に戻るとしよう」
「はい」
自然と掴まって立ち上がった剛樹は、わずかに首を傾げる。
「あの……。俺、立つくらいできますよ?」
「ん? 無意識だった」
「俺が小さいから構いすぎているなら、ユーフェさんと同じように、嫌な気持ちにもなりますからね?」
いくら剛樹が臆病で人付き合いを苦手としていても、生活する分には困ることはない。ユーフェは世話を焼きたい性分みたいだが、あんまり過保護にされるのは良くない気がする。
「怒ったのか?」
「いえ。ただ、俺はここの生活に慣れないといけないんです。独り立ちできなくなったら、困るのはユーフェさんじゃないですか」
「特に困らないが」
「依存されたら嫌でしょう?」
「お前が頼りにしてくれるのはうれしいぞ」
「……?」
剛樹はけげんに思う。そこはそうだとはっきり言うところのはずだ。どうしてユーフェと会話が噛み合わないのか、理解できなかった。
(普通、生活能力のない人間に居座られるのは迷惑なはずだけど)
ここまで世話してくれただけでも充分なのに、ユーフェはまったく気にしていないどころか、頼られるとうれしいなんて言う。
(もしかしてユーフェさん、誰にでもこうなのかな……)
思わぬことに気づいた剛樹は、なぜだか胸の奥がもやっとした。
「俺、ユーフェさんが利用されないように、助手として頑張って守りますね!」
この傷ついた優しい獣人が、誰かに良いように使われるのは嫌だと素直に思う。
「急に何を言い出すのだ、お前は。たまに意味が分からぬ。異世界人だからか?」
ユーフェのほうも首をひねってつぶやく。
「まあいい。ほら、行くぞ」
「はい」
ラッパの音とともに、「国王陛下ご夫妻、ご入場!」と聞こえてきたので、急いで会場に戻る。客にまぎれて、玉座に向けてお辞儀をした。
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