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本編

六章3

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 サロンを出ると、侍女がお辞儀をした。

「ユーフェ様、お客様、お部屋までご案内いたします」
「案内はいらぬ。自分の宮の場所くらい分かる」
「いえ、王太子殿下より、お客様には玻璃はりの離宮をとおうかがいしておりまして……」

 ユーフェがつっぱねたが、侍女はそう返した。

「国賓というだけあって、良い離宮を選んでくださったのだな。そちらはそのままでいい。だが、モリオンは私の離宮で寝泊まりさせる」
「しかし、王太子殿下が……」

 侍女は明らかに困っており、どうしてこんな人族を手厚く迎えるのかと不思議そうに、剛樹を値踏みするような冷たい目を向けた。
 侍女を困らせたくないが、ユーフェと離れるといじめられそうで怖い。しかしやっぱり迷惑になるようなことはしたくない。

「あ、あの、いいです、ユーフェさん。俺、この人について……」
「駄目だ」
「わっ」

 ユーフェに抱き上げられて、剛樹は慌ててトランクを抱えなおし、その肩にしがみついた。腕に座っているだけなので、バランスを崩すと落ちてしまう。

「モリオンはこの辺りのことが分からぬのだ。国賓だからこそ、私が世話をする」
「……畏まりました」

 結局、侍女のほうが折れた。ユーフェは勝手知ったる態度で王宮の廊下を歩き出す。

「いいんでしょうか……。俺、ユーフェさんに迷惑はかけたくないです」
「見知らぬ場所にいるのが怖いのだろうに、私のために我慢しなくてよい。私の離宮も広いぞ。客室くらいいくらでもある」

 ユーフェとは物の見方のスケールが違いすぎて、剛樹はくらくらしてしまう。王宮は玄関ホールや部屋は見事な装飾がされていたが、廊下は無骨な印象だ。窓が小さくて薄暗く、壁には絵がかかっている。
 飾られている緑が少ないから、なんとなく殺風景に見えるのかもしれない。

「王子様も宮殿をもらうんですか?」
「そうだぞ。臣籍にくだるまで、だな」
「五人も王子がいたら、住む家がなくなったりしません?」

 口に出してみて、質問が馬鹿げていると気付いた剛樹だが、ユーフェは答えてくれた。

「ならぬよ。王と王妃は、できるだけ多くの子をもうけるからな。過去、多い時は十人近くいたぞ。賓客用の離宮も含めて、王宮の敷地内に十二はある」
「そんなに……!」
「しかし王子や王女は養育に金がかかるからな。最近は多くて五人程度だ。あまり多くなると、目が行き届かない。それで素行の悪い者が出て、内乱になった過去がある。教訓としているのだ」

 なるほどと、剛樹はあいづちを打つ。
 すっかりこの体勢に慣れてしまい、普通にしゃべっていた剛樹だが、通りすがる銀狼族や人族がじろじろと見ているのに気付いた。

「あ、あの、降ります」
「少し歩くからな、降ろさぬ」
「なんで!」

 気のせいか、ロスに襲われた事件以来、ユーフェの過保護さが増している。剛樹は落ち着かず、無意味に首をすくめて辺りを伺っていた。

(ひいいい、視線が痛いーっ)

 他人の視線を苦手とする剛樹には、とんだ苦行くぎょうである。
 ユーフェは廊下を通り抜け、一度外に出ると、しばらく平地を歩いていく。彼の言う通り、王宮からは少し距離があった。剛樹の足だと三十分はかかりそうだが、さすがはユーフェの足は速く、十分くらいで離宮に着く。
 それは小さな城館だった。小さな池と庭があり、狼の石像が飾られている。城館に勤める執事とあいさつすると、ユーフェの部屋から近い、一番良い客室に案内してもらった。
 だが獣人向けの部屋で、剛樹には結構不便だ。
 ユーフェが剛樹を連れて帰ってきたことを王宮の侍女から聞いたようで、執事の男はここに剛樹を泊めるのを渋った。

「ユーフェ様、玻璃の離宮のほうがよろしいですよ。あちらは人族や小型の獣人向けの造りなのです。モリオン様にはこちらは暮らしにくいかと」
「では、あちらの家具をいくつかここに運び込むようにせよ」
「しかたありませんね……。モリオン様、準備が整うまで、しばしご不便をおかけします。今日はこちらのお部屋でよろしいですか? 明日には移れるように整えておきますので」
「ユーフェさん、俺、やっぱり……」

 家具を運びこむなんて手間だろう。剛樹が移動したほうが早い。罪悪感にかられて、剛樹はユーフェをとりなそうと思ったが、ユーフェは首を振る。

「駄目だ」
「あの……すみません」

 これを説得するのは無理だと判断して、剛樹は執事に謝る。

「モリオン様は悪くありませんよ。ユーフェ様だけでなく、王家の方々は頑固者が多いので、言い出すと聞かないんですよね」
「悪かったな」

 堂々と嫌味を言う辺り、執事とユーフェの間に信頼関係があるのが分かる。ユーフェは玻璃の離宮に運ばれただろう剛樹の荷物もこちらに移動するよう命じると、執事はお辞儀をして出て行った。剛樹はいかにも高価そうな部屋で、まるでネズミみたいに慎重に様子を伺った。

「壊したらどうしよう……」
「お前がぶつかったくらいで壊れるほど、やわな家具ではない」
「家具まで、強いかどうかなんですか?」
「これは鋼木だぞ。頑丈なのがうりだ」
「ああ、なるほど」

 銀狼族でないと扱えない、かたい木だ。剛樹がぶつかった程度では壊れないだろう。

「疲れただろう。今日はゆっくり過ごすといい。国王陛下と王妃陛下との謁見は明日だ。道中で教えた通りに対応すれば問題ないからな」
「はい」

 謁見が待っていたのだと、剛樹は一気に不安になった。二週間の旅の間、牛車の中で、礼儀作法を教えてもらった。謁見の間であいさつできる程度の作法は教わったが、日常レベルは難しい。
 他には、異世界漂着物についても報告することになっていた。
 ユーフェは断然、毛をすくためのコームやブラシをおすつもりのようだ。

「婚約お披露目のパーティーでしたっけ? あれはいつになるんですか?」
「一週間後だ。それまでに職人に見本を作ってもらわねばならぬからな、私はさっそく出かけてくる。良い子だから、部屋から出るのではないぞ」

 部屋の使い方は執事に教わるように言い、ユーフェは完全に剛樹を子ども扱いして言った。

「あの、ユーフェさん」
「ん?」
「元婚約者さんと、元のさやに納まるんですか?」
「どうした、急に」
「それなら俺、応援しますから。ユーフェさんにはお世話になってるから、恩返ししたい」

 ユーフェは困った様子で、剛樹を見下ろした。

「私はもう吹っ切った。すでに変わってしまった。元には戻れぬよ。もし戻ったとして、私は彼女を疑い続ける。彼女の心変わりを監視するだろう。それは健全ではない」
「ユーフェさん……。そうですね、それが当たり前だと思います」
「そうか? 私は彼女の心変わりを許せない、心の狭い私も許せなかった。他人を許せないことより、自分を許せないことのほうがつらいのだな」
「ユーフェさんは、他人を許さないといけないって思ってるんでしょうか……。傷つけられたことを、許さなくてもいいと思います。簡単に許せという人は、きっと想像力が足りないんだ」

 剛樹はユーフェの大きな右手を、自分の小さな手で包んだ。

「それじゃあ、こうしましょう。自分を許せないユーフェさんを、俺が許します」

 ユーフェは目を丸くし、ふっと噴き出す。

「お前が許すのか?」
「そうですよ。そう言う人が、一人いたらいいでしょ?」
「ふ。そうだな、一人いればいい。なんだか胸が軽くなった気がするよ。王宮は思い出が多すぎて、気持ちが暗くなる。その場所に行くだけで、当時のことを思い出すのだからな」

 眉尻を下げて、ユーフェは少し情けない顔をする。

「いつまでも引きずって、情けない男だ」
「そうかな。それだけ大事だったなら、しかたないと思う。俺は、そんなユーフェさんが少しうらやましい。他人が苦手で、友達もいなかった。みんなが俺に求めてたのは、親や兄さん達へのつなぎだったから。仲良くしてくれても、それが本物なのか信じられなかった。いつか嫌な目にあうくらいなら、一人でいるほうが楽だ。絵と向き合っていれば、現実を見なくて済んだ」

 剛樹は苦笑を浮かべる。

「俺、ここに来て良かったと思うことが一つだけあります。ユーフェさんと友人になれたことです。ユーフェさんのことは、信じられる」

 つい大きなことを言ってから、剛樹は恥ずかしくなった。

「って、俺だけがそう思ってたら、とんだ大恥じゃん。すみません、忘れて!」
「いや、忘れぬ。お前は私の友だ」

 温かく笑っているユーフェを見上げて、剛樹は感動で胸を熱くする。

「ユーフェさん! ありがとう!」

 剛樹は珍しく気持ちが高ぶって、ユーフェの手をぶんぶんと振った。異世界に来て、こんな信頼できる人に出会えるなんて思わなかった。

「俺、ユーフェさんのことを応援するよ。良い人がいたら教えて。協力する!」
「何をどう協力するのだ」
「その人に、ユーフェさんがどれだけ良い人で、家庭を築いたらどれだけ安心してすごせるかについて話す。ユーフェさんは見た目をコンプレックスにしてるけど、どれだけかっこいい人でも、家庭内暴力なんてしていたらクズだよ。家ってさ、帰ってほっとできる場所でないと」
「私は及第点きゅうだいてんというわけか?」
「文句なしに百二十点です」
「それは光栄だな。もしそんな相手ができたら、モリオンに相談しよう。約束だ」
「はい!」

 ユーフェは剛樹の頭を撫でてから、笑いながら部屋を出て行った。しばらくして、お茶菓子を運んできた執事が、意外そうに言う。

「あのようなユーフェ様、ずいぶんお久しぶりに拝見しました。モリオン様といらっしゃると肩の力が抜けるのでしょうか。ユーフェ様をよろしくお願いします」
「お世話になっているのは俺のほうなので……」
「ああ、それが良かったのかもしれませんね。あの方は世話を焼かれるより、世話を焼きたいタイプなので。ご家族の過保護さにうんざりしておいででしたよ」
「つまり、あれがデフォルト……?」

 家族そろってユーフェみたいなのだとしたら、ユーフェのコンプレックスが加速するのも頷ける。家族はユーフェを小さいからと過保護に扱う。周りは立派な体躯の獣人ばかりだ。そのうち、いつまでも未熟で、認められないのだと感じて、ストレスになってもおかしくはない。

「デフォ、ですか?」

 聞き返す執事に、剛樹は手を振った。

「あ、独り言です。そうなんですね、分かりました。えっと……それじゃあ、引き続きお世話になります?」
「ふふっ。そうされてください。幸い、あなたは国賓のようなので、問題ないでしょう。しかし十八と聞きましたが、細くて小さい方ですね。料理長に、精がつく料理を頼んでおきますね」
「あ、あんまり油っこいのはやめてもらっていいですか……?」

 あっさり味を好む剛樹には、ラズリア王国の料理はこってりして感じることが多い。「承知しました」と頷いて、執事は客室を出て行った。
 一人でお茶菓子を楽しんだ後、剛樹は牛車での旅疲れで眠くてたまらず、いつの間にか長椅子で寝てしまっていた。
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