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本編

六章2

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 場をサロンに移し、剛樹はユーフェとともに、フェルネンやアレクサとお茶をしていた。
 窓が小さく薄暗いが、サロンの天井には空、壁には森の木々や草花が描かれており、温かい雰囲気がある。金細工で飾られた豪奢なもので、この国の裕福さがよく分かる。

「すみません……」

 緑のビロード張りの長椅子で、剛樹はうつむいていた。
 フェルネンの怒りの気配に当てられて、腰を抜かしてしまったのだ。結局、ユーフェに抱えられて、ここまで移ったのだった。

「お気になさらないで。フェル様が大人げないのが悪いんですもの。人族は獣人を恐れるものです。あんな殺気を放つなんて……」

 アレクサにとがめられ、フェルネンは気まずそうにしている。

「すまぬ。あの時の怒りを思い出してなあ。ユーフェはあの様子だったから、手紙を読んでいないだろうとは思っていたが。まさか、私があの女と成就じょうじゅしたと思っていたとはな。私のこれぞという相手は、昔からアレクサだぞ。彼女に私を選ぶかどうかの猶予ゆうよを与えたくてな、公表していなかっただけだ」

「おかげで楽しい青春を過ごせましたわ。王族の婚約者になると、いろいろと大変ですもの」

 フェルネンとアレクサがいちゃいちゃしているのを、ユーフェはいまだに呆然と眺めている。

「まさか二人がそんな関係とは……。それではシエナはどうなったんです?」
「穏便な婚約破棄ということで済ませてある。銀狼族では、これぞと思ったらどうしようもないからな。しかし心変わりしたのはあの女のほうだと社交界で噂になったから、当分出歩けなくなっていたぞ。自分で自分の名節めいせつに傷をつけたわけだ。自業自得だな」
「そうなのですか」
「……あの女に未練があるのか?」

 フェルネンの案じるような問いに、ユーフェは首を振る。

「吹っ切りました。ですが、しばらく婚約などはいいです。そっとしておいてくれませぬか」
「お前の好きにするがいい。家族の総意だ。失恋のショックで、命を絶つ者もいるのだ。よく耐えた。さすがは私の弟だ」
「兄上……」

 兄弟の間にしんみりした空気が流れる。
 そこでアレクサが明るい調子で口を挟む。

「あら、婚約しないんですの? てっきりそこの人族が、新しい婚約者かと思っておりましたわ」
「えっ」

 急にこちらに会話が飛び、剛樹は目を丸くした。ジュエルにもそんなことを言われたのを思い出した。ユーフェが笑って否定した。

「違うぞ。この者は私が保護しているのだ。兄上、アレクサには話しても?」
「構わぬぞ。アレクサ、機密事項ゆえ、このことは他言無用だ」
「はい」

 フェルネンが警告すると、アレクサの表情が硬くなる。

「モリオンは宙の泉に現れた、異界から来た人族だ」
「まあ! あの不可思議な品が流れ着いた泉の?」

 ユーフェの言葉に、アレクサは目を輝かせる。彼女はいそいそと帳面を取り出して、身を乗り出す。

「そこをもっと詳しく! 異界から迷い込んだ人族と、獣人の王子の出会い。新しい切り口ですわー!」
「お前、まだあの趣味をやめていなかったのか」

 ユーフェが引き気味に言った。アレクサはうなずく。

「やめるなんてありえません! わたくしのライフワークですわ。小説を書くことをやめさせるなら、フェル様とは結婚しないという条件を出したくらいですもの」
「唯一の条件がこれだからな……。構わぬのだが、あまり分かりやすくモデルにしないでくれよ。公務にさしさわる」

 フェルネンとユーフェはあきらめ顔だが、剛樹はなんの話だか分からない。

「アレクサさん……様? は」
「さんで結構ですわよ」
「はい、アレクサさん。あの、作家先生なんですか?」
「先生だなんて、そんな……!」

 アレクサは照れているが、まんざらでもなさそうだ。

「ちょっとロマンス小説が好きなだけですの。王宮ってネタの宝庫ですから、楽しいですわよ~」
「……と言って取材気分でいてくれるから、彼女といると気楽でいいのだ」

 フェルネンがのろけを挟んだ。
 ユーフェは反応に困った様子ながら、この会話を切り口にして、アレクサに剛樹の好きなことを教える。

「アレクサは文章だが、モリオンは絵を描くのが好きだぞ。そこの、モリオンの鞄を持ってきてくれ。革製のトランクだ」
「畏まりました」

 ユーフェが命じ、侍女が退室する。しばらくして戻ってきた。剛樹の絵描き道具を詰めたものである。剛樹はトランクから、着せ替え紙人形を出す。

「こういうのを……作ってみました」

 ちょっと恥ずかしいのだが、恐る恐る差し出す。フェルネンがほうと感嘆の声を漏らし、先に全て見てからアレクサに渡す。

「まああ、可愛らしい! こんな絵は初めて見ましたわ」

 アレクサが紙人形を手に取って、はしゃいだ声を上げる。

「いいですわねえ。他にはどんな絵を?」

 剛樹がスケッチブックを出すと、アレクサは真剣な目で絵を見つめる。村や塔の様子、道中で見たもの、近衛の獣人達やユーフェなどを描いていた。特徴だけおさえたコミックアートで、作風は全年齢のゲームイラスト寄りで、あまり癖がない感じだ。

「素晴らしい……近衛の衛士えじ達ですわね。まあ、制服に鎧まで。ふんふん。これ……おいくら?」
「アレクサ、買い取ろうとするのをやめなさい。ここに私という麗しい存在がいるだろう!」
「フェル様もお美しいけれど、衛士は衛士で男くさくて素晴らしいんですわ。ふふ。こっちが受けちゃんで、こっちが攻め。うふふふ。美少年攻めですわね」
「あー、また病気が始まった……」

 フェルネンはうんざりと呟いている。ネットで聞きかじった単語が聞こえ、剛樹はアレクサに質問する。

「美少年攻め……? あの、そのロマンス小説って、もしかして男女ではなく」
「どちらも書きますわよ。男女でも同性愛でも。わたくしは男同士が好きですわ。むくつけき獣人達がからみあって……はあはあ……すみません、鼻血が出そう」

 趣味に全力のアレクサの様子に、剛樹は思わずフェルネンを見つめる。

「こんなにオープンなのが宮廷流?」
「そんなわけがあるか!」
「アレクサが例外だ」

 フェルネンとユーフェが声をそろえた。

「えっと、でも、ここって同性愛も普通なんでしょう? 何が問題なんですか?」

 二人の反応がよく分からない。はあはあ言っているところは、剛樹でもちょっと引くが、好きなことについて興奮する気持ちは分かる。

「私もな、趣味は好きにすればいいとは思うが……。迷惑なことにアレクサは、身近なことをネタにするのだ。私をモデルにして、部下をモデルにした登場人物と恋愛した小説を書かれるのはさすがにな……」

 遠くを見つめる目をして、フェルネンがつぶやいた。
 それで先ほど、分かりやすくモデルにするなと注意したらしい。
 今度はユーフェがため息をついた。

「親族は皆、一度はアレクサのネタにされているのだ。面白がって登場させてと言う者もいるが、あんな小説に出されるのはちょっとなあ」
「ロマンス小説なんでしょう? あんなって、どんな?」
「駄目だ、モリオン! 教育に良くない!」
「あの、俺、もう十八……」
「とりあえず言っておく。アレクサの小説は、お前が想像しているような可愛いものじゃない。えげつない」
「えげつない……」

 いったいどんなロマンス小説なんだろうか。鬼気迫る顔をして説明を拒否するユーフェの様子に、剛樹はそれ以上問い詰めるのをやめた。
 剛樹が長椅子の上で姿勢をとりなおし、アレクサのほうを見ると、彼女は前のめりに頼んできた。

後生ごしょうですからモリオン様、わたくしにそれを売ってくださいませ!」

 アレクサの勢いにおされて、剛樹はしどろもどろに答える。

「え、ええと……それなら別に描きますよ。これは落書きだから……売るのは……」

 絵を売って欲しいと言われたのは初めてで、うれしい反面、こんなレベルでお金をとっていいのかという不安が首をもたげてくる。

「職人としてのプライドが許さない、と。なるほど、分かりました。では一枚、おいくらで?」
「ええとええと、困ったな……。売る予定がなかったから。できたら見てもらっても? それから話しませんか」
「ええ、わたくしはすでにフェル様のみやに移っておりますから、そちらに使いをくだされば、会いに来ますわ。モリオン様の小さな足で、宮まで来るなんて大変そう」
「でも、既婚者にはあまり会わないほうがいいって聞きました」
「二人きりで、ですわ。侍女が一緒ですから大丈夫」
「分かりました」

 アレクサのために絵を描くことになり、スケッチブックの中で、特に書いて欲しい絵の獣人を選んでもらった。剛樹は筆記具を出して、メモを描き、そのページに挟んでおいた。ふせんがないから不便だ。

「モリオン、嫌ならば断わっていいのだからな」
「そうだ。お前はアレクサがどんな小説を書くか知らないから……」

 フェルネンとユーフェが心配して口を出す。

「いえ、同性もののロマンス小説好きは、元の世界では珍しくなかったので、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。でも、まさかそういう絵を俺が描く日が来るなんて思いませんでしたけど」
「珍しくないのか!? どんな場所だ……」
「モリオン、一応言っておくが、アレクサは例外だ。こんなふうにおおっぴらに趣味を語る貴婦人は珍しいからな、勘違いしてはならんぞ」

 兄弟そろって言い含められ、剛樹は頷いた。ユーフェは剛樹の肩にポンと手を置く。

「だが、王太子妃と親しくするのは良いことだ。王宮では権威が物を言うし、社交界では女性の味方があると強いからな」
「や、やっぱり俺、いじめられるんですか!」
「だから私の傍にいれば大丈夫だと言っているだろう」

 おどおどする剛樹に、ユーフェが再三に渡って言う。そこでなぜかアレクサが鼻を押さえた。

「いいわ。人族と獣人の王子、次の新刊はこれで決まりね!」
「おい、お前達、私の婚約者にネタを提供するのはやめよ」

 なんのことだか謎すぎる注意を受け、お茶会はお開きになった。
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