16 / 35
本編
五章3 <お題:バランスボール、スプレー>
しおりを挟む町から塔へ帰り着いた頃には、すっかり夕方になっていた。
「グゥ」
門の上で、変わった鳴き声がした。ユーフェは剛樹を地面に下ろすと、伝書鳥のグーグに左手を差し伸べる。バサッと羽音がして、グーグがユーフェの左腕にとまった。筒から取り出した手紙に、さっと目を走らせる。
「……二週間後に着くよう、近衛を送る。異界の人族と荷とともに、王宮に参内せよ」
ユーフェは眉をひそめて呟く。
「第一王子が結婚する。嫁と顔合わせをするように」
ユーフェの声は強張っていた。
「ユーフェさん?」
「ああ、すまぬ。兄上が結婚するそうでな、顔合わせついでに、お前も連れてくるようにという伝書が来た」
「俺も……?」
一気に不安になった。
だって王宮だよ、王宮!
華やかな人々の陰で、陰湿な闇がうごめいている。そんなイメージがある。
ユーフェが剛樹の肩を優しく叩く。
「私も一緒だから、心配するな。後ろ盾として守ってやろう。家族は良い人ばかりだから、大丈夫だとは思うが……」
「が……?」
「貴族にはいろんな者がいるからな。だが、私が後ろ盾と分かれば、お前に危害を加える真似はせぬだろ」
「そうですか……?」
剛樹の不安は晴れない。
異世界から漂着した人族。実験体にもってこいではないか。研究用のモルモットにされたらどうしようと心配するのは、ごく当たり前のことだと思う。たぶん映画の見すぎだろうが、剛樹にはそう思えてしかたないのだ。
「ああ。いくら私が小柄でも、王族の端くれだ。人族一人くらい守れる権威はある」
そう言ったものの、ユーフェの横顔には憂鬱さがにじんでいる。グーグを腕に乗せたまま、門の鍵を開けて中へ入る。
「ユーフェさん、どうしました?」
「私の元婚約者が選んだのは、第一王子なのだ」
「え、それって……」
剛樹はどう返していいか分からなかった。修羅場だ、どう考えても。
「婚約者さんのこと、まだ好きなんですね……?」
「いや、吹っ切ったよ。だがな、婚約パーティーで噂のさかなくらいにはなるだろう。見世物にされるのはな……」
想像するだけで、気持ちが暗くなるのは当然だ。
「それじゃあ、他のことで噂になりましょう! あの手押しポンプ以外にも、話題になりそうなものがあれば持っていくとか……。身に着けるとか!」
「どうせ噂されるなら、別のことで、か。お前は宮廷人のような考え方をするなあ」
門の裏に木の板を渡して鍵を閉めると、ユーフェは意外そうに言った。
「俺の家族、有名人なんです。だから、嫌な噂を立てられた時に、違う噂を作って対処してるのを見たことがあって。周りの人って、よりインパクトがあるほうを取り上げるものですから」
研究室を漁って、めぼしいものを探そう。
「ふっ、モリオンは頼もしいな。では、明日からそうしよう。今日は夕食を食べて、風呂に入るかな」
夕立が降ることがあり、雨水タンクにはそれなりに水がたまっている。
「それじゃあ、俺、お風呂を焚いておきます!」
沸かすのに時間がかかるから、食事の準備と並行したほうが早い。
ユーフェは行李を研究室に置いて、後で整理するように言い、まずは着替えるからと塔の上へ向かった。
*****
どうやら銀狼族の王侯貴族とは、体を鍛えるのが好きらしい。
ユーフェが自分の体をコンプレックスにするのも当然で、体が大きくて強い者に賛辞を贈る傾向が強いようだ。人族と違って、女性も戦士のほうがモテるらしい。体が弱い者もいるので、鍛えていない女性もいるようだが、とにかくタフなほうが人気なんだそうだ。
それを聞いて、ますます王宮に行きたくなくなった。
剛樹みたいなタイプは、きっと見下される。憂鬱でしかたがない剛樹を、ユーフェが笑う。
「人族に、銀狼族の価値観を押し付けたりはせぬよ。人族がか弱いのは、獣人ならば誰でも知っているのだからな」
「そうですか?」
「心配いらぬと言っているだろう。ところで、それはなんだ」
研究室で、引き出しの隅に追いやられていたバランスボールを見つけ、ついでに空気入れも見つけ出し、空気を満タンにした。その上に座って、今から体幹だけでも鍛えようかとささやかな努力をしている剛樹に、ユーフェがとうとうツッコミを入れた。
「体幹を鍛える道具ですね。ユーフェさん、使えるかな。人族用だし……」
大人の男向けのほうを出したのだが、ユーフェは身長もあれば体重もあるのだ、バランスボールが破裂しないか心配だ。
試してみたいというユーフェにゆずると、ユーフェは恐る恐る腰かける。
「おお? おおおお?」
不思議な感触らしく、ユーフェの耳と尻尾がピンと立ったが、やがて面白そうに揺れたり弾んだりする。
「これはなんとも面妖な!」
「ゴムっていう素材ですけど、ここにはあるのかな」
「ゴム? むう、分からぬなあ。だが、子どもの体幹を鍛える訓練にはいいだろうから、王宮に持っていってみよう。同じ物があちらの保管庫にもあるかもしれぬしな」
「ああ、子どもなら大丈夫かな」
ユーフェが遊んでいる間に、剛樹は子ども用や女性用などのバランスボールを全て引っ張り出した。空気が入っている物は一つもなく、なぜか綺麗にパッケージされている物ばかりだ。店から消えて、盗難騒ぎになっているのではと、他人事ながら心配になる。
「あと、これ、殺虫剤のスプレーです」
奥の危険物入れから持ってきた、比較的安全な物を見せると、ユーフェはしげしげとスプレー缶に描かれている絵を眺める。
「ああ、だから虫の絵が描かれているのだな」
「スプレー缶は暑い場所に置いていると爆発することがあるので、使わないなら中身を出してしまったほうが安全ですよ。それと、人に向けてかけたら駄目です」
「それはそうだろうなあ」
研究室の外に出て、試しに地面の蟻に向けてシューッと殺虫剤を吹き付ける。
「ぐっ」
ユーフェが鼻を押さえてうめいた。
「なんだ、そのにおいは! 最悪だ!」
「あ、ごめんなさいっ」
剛樹でも嫌なにおいがするのだから、ユーフェには大ダメージだろう。慌てて使用をやめた。
「むうう。しかし、確かに蟻が死んでいるな。白アリ駆除に使えるかもしれぬが、これは世に出すには危険かもしれぬな。成分も分からぬし」
「そうですね。中にはガスが詰まってるので、穴をあけて出してしまうほうがいいでしょうけど……ユーフェさんにはきついかも」
「とりあえず倉庫に戻そう」
「はい」
よほどきつかったみたいで、ユーフェは鼻をぐずぐず鳴らし、目から涙までこぼしている。剛樹は台所のかめから水を汲んできた。
「洗い流したほうがいいですよ」
「うう、すまぬ。しゃがむから、顔にかけてくれ」
「はい」
何回か顔に水をかけると、ようやくユーフェは息をついた。剛樹は自分の部屋からタオルを取ってきて、顔をぬぐってあげる。
「どうですか?」
「もう大丈夫だ。しかし、ひどいにおいだった」
「殺虫剤は動物には毒ですよね。俺ってば、すみません!」
「動物扱いするな」
「すみません!」
ユーフェに注意され、剛樹は再び謝る。
「毛をすいてくれ。それで手打ちとしよう」
「はい、分かりました」
倉庫にあった犬や猫用のブラシを試しに使ったら、ユーフェが気に入ったのだ。お風呂上がりに毛をすきながら乾かすうちに、ふわふわの毛に変わり始めている。
「もうすぐ換毛期だからな。あのブラシは素晴らしいぞ。木の櫛や馬毛のブラシより良い。毛が引っかかると痛くてなあ。それがあのブラシは痛くない上に、生え変わる毛だけ取ってしまう」
「それじゃあ、このブラシやコームを広めるのは?」
「おお、それはいいアイデアだな! この素材なら似た物を作らせるだけでいい」
毛玉取り用のコームなんかもあるが、剛樹が楽だと思うのは、手袋の手のひら部分にプラスチックのイボがついていて、櫛になるタイプだ。手の平の大きな銀狼族には使いにくいだろうが、人族にはもってこいである。
この一週間、あれこれと引っ張り出して、どれを王宮に広めるか話していたが、結局、銀狼族の毛の手入れ道具に決まった。
「お前のほうはどうだ、誕生日プレゼントは?」
「もう出来てますよ。ほら」
剛樹が衝立に囲まれた部屋から紙人形のセットを持ってくると、ユーフェは感嘆の声を上げた。
「おお、これは新しい! なるほど、下着姿の女の子の絵に、服や飾りを付け替える遊び道具なのだな。男の子に、母親と父親、銀狼族の男女もいるのか?」
「人形にも家族がいるほうが楽しいかと思って。ジュエルにも見せたら、こういうのは持ってないから喜ぶって言ってくれました。それで、急だけど、ジュエルとダイアで、人形を入れる家型のケースを木工で作ってくれるって」
「考えたな。人形と、人形の家か!」
「で、その壁紙にこれを貼って……」
壁紙用に描いた紙を見せると、ユーフェは手を叩く。
「面白いな。これも王宮に持っていけば、話題の的になるぞ。銀狼族の女も戦士がモテるが、彼女達は可愛い物も好きだからな」
「そうですか? それじゃあ、俺、お土産分も作ります。そうしたら、いじめられないかな……」
剛樹が役に立つと分かれば、銀狼族達も一目置いてくれるかもしれない。
「だから、私がいるからいじめられないと言っているだろうに」
「いじめる時は、ユーフェさんがいない所で何かするんですよ。俺と四六時中一緒にいるわけじゃないでしょ?」
「しかたがないな。お前は臆病だから、その分、警戒心も強いのだろう。無警戒よりマシか」
そう言ったユーフェだが、剛樹がユーフェに頼りきらないことに、少しすねているようだ。口元を引き結んで、面白くないとあらわにしている。
「ユーフェさんってば……」
お互いに弱い面を分かち合い、気の置けない友人にまでなれたようだ。素を見せてくれるのがうれしい反面、年上の男にすねられて、剛樹はどうしていいか困ってしまう。たまに兄もこんなふうにして気を引こうとしてきたが、その時も剛樹は困っていた。
「よし、ここを片付けてしまおう。毛をすいてもらわねば」
「はい」
剛樹が困っているのに気付いたのか、ユーフェが話題を変えたので、剛樹はほっとした。それから、王宮に運ぶ物以外を片付けると、剛樹はユーフェの後について塔のほうに移動した。
※次のページですが、モブによるレイプ未遂表現が入る予定なので、閲覧にはご注意ください。
31
お気に入りに追加
184
あなたにおすすめの小説
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
モフモフになった魔術師はエリート騎士の愛に困惑中
risashy
BL
魔術師団の落ちこぼれ魔術師、ローランド。
任務中にひょんなことからモフモフに変幻し、人間に戻れなくなってしまう。そんなところを騎士団の有望株アルヴィンに拾われ、命拾いしていた。
快適なペット生活を満喫する中、実はアルヴィンが自分を好きだと知る。
アルヴィンから語られる自分への愛に、ローランドは戸惑うものの——?
24000字程度の短編です。
※BL(ボーイズラブ)作品です。
この作品は小説家になろうさんでも公開します。
Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜
天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。
彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。
幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。
運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。
俺の伴侶はどこにいる〜ゼロから始める領地改革 家臣なしとか意味分からん〜
琴音
BL
俺はなんでも適当にこなせる器用貧乏なために、逆に何にも打ち込めず二十歳になった。成人後五年、その間に番も見つけられずとうとう父上静かにぶちギレ。ならばと城にいても楽しくないし?番はほっとくと適当にの未来しかない。そんな時に勝手に見合いをぶち込まれ、逃げた。が、間抜けな俺は騎獣から落ちたようで自分から城に帰還状態。
ならば兄弟は優秀、俺次男!未開の地と化した領地を復活させてみようじゃないか!やる気になったはいいが………
ゆるゆる〜の未来の大陸南の猫族の小国のお話です。全く別の話でエリオスが領地開発に奮闘します。世界も先に進み状況の変化も。番も探しつつ……
世界はドナシアン王国建国より百年以上過ぎ、大陸はイアサント王国がまったりと支配する世界になっている。どの国もこの大陸の気質に合った獣人らしい生き方が出来る優しい世界で北から南の行き来も楽に出来る。農民すら才覚さえあれば商人にもなれるのだ。
気候は温暖で最南以外は砂漠もなく、過ごしやすく農家には適している。そして、この百年で獣人でも魅力を持つようになる。エリオス世代は魔力があるのが当たり前に過ごしている。
そんな世界に住むエリオスはどうやって領地を自分好みに開拓出来るのか。
※この物語だけで楽しめるようになっています。よろしくお願いします。
小学生のゲーム攻略相談にのっていたつもりだったのに、小学生じゃなく異世界の王子さま(イケメン)でした(涙)
九重
BL
大学院修了の年になったが就職できない今どきの学生 坂上 由(ゆう) 男 24歳。
半引きこもり状態となりネットに逃げた彼が見つけたのは【よろず相談サイト】という相談サイトだった。
そこで出会ったアディという小学生? の相談に乗っている間に、由はとんでもない状態に引きずり込まれていく。
これは、知らない間に異世界の国家育成にかかわり、あげく異世界に召喚され、そこで様々な国家の問題に突っ込みたくない足を突っ込み、思いもよらぬ『好意』を得てしまった男の奮闘記である。
注:主人公は女の子が大好きです。それが苦手な方はバックしてください。
*ずいぶん前に、他サイトで公開していた作品の再掲載です。(当時のタイトル「よろず相談サイト」)
狼は腹のなか〜銀狼の獣人将軍は、囚われの辺境伯を溺愛する〜
花房いちご
BL
ルフランゼ王国の辺境伯ラズワートは冤罪によって失脚し、和平のための人質としてゴルハバル帝国に差し出された。彼の保護を名乗り出たのは、銀狼の獣人将軍ファルロだった。
かつて殺し合った二人だが、ファルロはラズワートに恋をしている。己の屋敷で丁重にあつかい、好意を隠さなかった。ラズワートは最初だけ当惑していたが、すぐに馴染んでいく。また、憎からず想っている様子だった。穏やかに語り合い、手合わせをし、美味い食事と酒を共にする日々。
二人の恋は育ってゆくが、やがて大きな時代のうねりに身を投じることになる。
ムーンライトノベルズに掲載した作品「狼は腹のなか」を改題し加筆修正しています。大筋は変わっていません。
帝国の獣人将軍(四十五歳。スパダリ風戦闘狂)×王国の辺境伯(二十八歳。くっ殺風戦闘狂)です。異種族間による両片想いからの両想い、イチャイチャエッチ、戦争、グルメ、ざまあ、陰謀などが詰まっています。エッチな回は*が付いてます。
初日は三回更新、以降は一日一回更新予定です。
猫が崇拝される人間の世界で猫獣人の俺って…
えの
BL
森の中に住む猫獣人ミルル。朝起きると知らない森の中に変わっていた。はて?でも気にしない!!のほほんと過ごしていると1人の少年に出会い…。中途半端かもしれませんが一応完結です。妊娠という言葉が出てきますが、妊娠はしません。
俺は成人してるんだが!?~長命種たちが赤子扱いしてくるが本当に勘弁してほしい~
アイミノ
BL
ブラック企業に務める社畜である鹿野は、ある日突然異世界転移してしまう。転移した先は森のなか、食べる物もなく空腹で途方に暮れているところをエルフの青年に助けられる。
これは長命種ばかりの異世界で、主人公が行く先々「まだ赤子じゃないか!」と言われるのがお決まりになる、少し変わった異世界物語です。
※BLですがR指定のエッチなシーンはありません、ただ主人公が過剰なくらい可愛がられ、尚且つ主人公や他の登場人物にもカップリングが含まれるため、念の為R15としました。
初投稿ですので至らぬ点が多かったら申し訳ないです。
投稿頻度は亀並です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる