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本編
四章2
しおりを挟むイルクの子ども達とそろってラズリアプラムのコンポートを食べた後、バドの仕事を見学させてもらってから、シスカの待つ家へと向かう。
シスカとバドの家の裏には小屋があり、シスカはそこで染物工房をしている。もともと、町で織物と染物の工房で育ち、バドと結婚してからは、村で染物研究をしているんだとか。
「銀狼族はにおいが強いからって、染物をしたがらないんだよ。だから、細々とやってるけど、それなりにもうかるよ。これなんて綺麗でしょ?」
綺麗な深紅に染まった布や糸を見せ、シスカは楽しげに笑う。
「今度の誕生日にね、お母さんがこの布で服を作ってくれるのよ。お姫様みたいでしょ!」
パールが胸を張り、シスカや兄弟の顔が微笑ましいものになる。
「パールちゃん、誕生日が近いの?」
「うん。八歳よ!」
「人形って好き?」
「大好き!」
なるほどと、剛樹は頷く。それならパールへの誕生日プレゼントは人形にしよう。
「あ、モリオン君。町から遊びに来た友達がおすそ分けしてくれたんだ。君にもあげるよ」
「ぶどう?」
「うん。甘酸っぱくておいしいから、おやつに食べて」
シスカから籠を受け取り、剛樹はお礼を言って、ザザナ村を出た。
塔に向け、森の間の小道をジュエルと歩いていく。
「もしかして、パールに人形を作るのか?」
ロスと殴り合いをしたせいで、左頬がはれた顔で、ジュエルが問う。
「いや、裁縫はあんまりしたことないから無理だよ。ボタンを付けるくらい……」
「ボタンを付けられるの? すげえよ! 人族は器用だよなあ。俺、あんな小さいものを持つのは苦手だ」
ボタンを付けられる程度で褒められた剛樹は、銀狼族の不器用さを甘く見ていたことに気付いた。
「獣人には、ボタンを付けるのも難しいんだね」
「小型の獣人なら別だけどな。銀狼族でそういう服を着てるのは、人族を雇えるか、人族と結婚してる人くらいだよ。それじゃあ、人形にするんじゃないのか。俺はいつも通り、木彫りの人形かな」
「妹に誕生日プレゼントをあげるんだ。えらいね」
「だって、パールが喜ぶと可愛いだろ」
「エルは良い子だね~」
「子ども扱いすんなっ」
ジュエルは怒ったような声で言ったが、剛樹を放り出さず、塔まで送る辺りは良い子だ。
「俺、絵を描くのが好きだから、紙人形をあげようかなって」
「紙人形?」
「うん。できたら見せるよ」
「パールの誕生日は来週の頭だから、それまでに見せてくれよ。それじゃあな」
塔に着いたので、ジュエルはすぐにとって返して帰っていった。剛樹は門の脇に垂れている紐を引く。ガロンガロンと鐘の音がした。
しばらくして、ユーフェが門を開けてくれた。
「おかえり、どうだった?」
「ただいま、ユーフェさん。皆でおやつを食べて、バドさんのお仕事を見学してきました」
「遊んでくればいいだろうに」
「パールちゃんと遊んでますよ」
パールも剛樹と同じで人見知りするタイプらしいが、剛樹が同類だと分かるのか、兄みたいになついてくれている。末っ子の剛樹は戸惑いつつも、あんなに全力でしたわれると可愛いもので、気付いたら面倒を見ていた。
「お前は無害にしか見えぬからな。幼子がなつくのも分かるぞ。なんだ、その籠は」
「シスカさんがくれたんです」
「村人と親しくするのはいいことだ。お前は大人しいからいじめられやしないかと心配していた。あの宝石名同盟の少年がいるから大丈夫そうだな」
「ジュエル?」
「ジュエルというのか? それは……また」
ユーフェは言葉を不自然に切った。横顔が不憫そうである。
「弟がダイアで、妹がパール。宝石三兄弟って馬鹿にされてたとかで、俺がモリオンって呼ばれてるから、仲間ができてうれしいみたいですよ」
「まあ、なんにせよ、獣人の友ができたことは喜ばしい」
門扉に板を渡して施錠すると、ユーフェは塔へ歩いていく。ユーフェが外出する時は、外からも鍵をかけられるようになっているそうだ。
剛樹は籠を台所に持っていき、かけていた布を外した。つやつやした紫色のぶどうは見るからにおいしそうだ。味見で一つつまんでみる。
「ん、おいしい」
「モリオン!」
「ひゃいっ」
剛樹は飛び上がった。
台所の入り口で、ユーフェが恐ろしい顔をしてこちらを見ていた。剛樹の背筋がひやりとして、緊張で喉が引きつる。
「お前、それを食べたのか?」
「え……と」
――怒っている。
頭が真っ白になり、剛樹は硬直した。なんとか声を出して、とにかく謝る。
「あ、あの、つまみ食いして、すみませ……」
「つまり、食べたのか?」
「食べ……ました。ごめんなさい!」
うなるような低い声が恐ろしい。膝が震え始め、剛樹は逃げを打つ。流し台のほうへ下がったが、ユーフェが一足飛びで距離を詰めた。
「なんてことだ! 早く吐かないと!」
「え? ええ?」
訳が分からないまま、ユーフェに腕をつかまれた。動きを押さえこまれ、背中を軽く叩かれる。軽いせきは出るが、吐くまでは無理だ。
「げほっ、な、何……」
どうしてこんな真似をされるか分からない。
怖くてしかたなくて逃げたいのに、ユーフェの力が強すぎて身動き一つできない。だんだん恐慌状態になってきた。
ユーフェが舌打ちをした。
その音に、身をすくめる。
「口を開けろ、モリオン」
「え? んっ、うぐっ」
ユーフェの手は大きい。二本の指を口に突っ込まれて、剛樹はたまらずえずいた。吐き気がして、我慢できずにその場に嘔吐してしまう。すえたにおいが広がり、吐いた場面を見られたことに、頭が真っ白になった。
「よし、吐いたな」
「……う、うぇ」
「モリオン?」
手が緩んだ隙にユーフェを突き飛ばし、剛樹は台所から逃げ出した。
「あ、おいっ。待たぬか、医者に行かねば!」
玄関の扉を開けるのにもたついているうちに、ユーフェに追いつかれて、後ろから抱えられる。
「嫌だ。離して!」
「おい、落ち着け! 無理に吐かせたのは悪かったが、ぶどうには毒があるのだぞ!」
「……どく?」
その一言に、パニックがすっと落ち着いた。
「急性腎不全を起こして、最悪だと死ぬのだ。どうしてシスカはこんなものをお前にっ」
後ろでうなり声がして、剛樹はまたぶるぶると震え始める。
「すぐに医者だ! 医者!」
ユーフェはそんな剛樹にはお構いなしに腕に抱きあげると、一階の部屋の戸棚から鍵を取り出して、塔を出て行く。門に鍵をかけて、剛樹の足だと歩いて十五分かかる道をあっという間に走り抜け、村の医者の家を叩いた。
「ああ、大丈夫ですよ、ユーフェ様。銀狼族や獣人のいくつかには毒ですが、人族には問題ないんです」
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「大丈夫だぞ、モリオン君。怖かったのは分かるが、ユーフェ様は心配しただけだから」
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(良い人で、優しくしてくれたのに。怖い。最悪だ)
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「今日はうちに泊まるかい?」
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「どこかでサンダルを落としたみたいだ。抱えても構わぬか?」
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剛樹は医者に頭を下げると、ユーフェの傍をすり抜けて出口に向かう。
「お、おいっ」
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結局、数歩も歩かないうちに、ユーフェに強引に抱えられた。
「下ろしてっ」
「怪我をするから駄目だ」
「だって、俺、くさいし……」
吐しゃ物が服についていて、剛樹でもくさく感じて、余計にいたたまれない。嗅覚の鋭いユーフェに近付かれたくない。
「私が無理に吐かせたせいだ。悪かった。まさか人族はあれを食べても平気とは」
「すみません」
「謝るのは私のほうだ。書物でも取り寄せて、勉強しよう」
「……すみません」
手間をかけさせて、申し訳なさで情けない。
「なんで謝るんだ。乱暴をしたと怒っていいんだぞ」
森の間の小道をゆっくり歩きながら、ユーフェは持て余したように言う。
「だって、俺……」
「うん?」
「ユーフェさんに、殺されるかと。怖くて」
「体の大きな相手に押さえこまれたら、そりゃあ怖いだろう。私はな、銀狼族では小柄なのだ。だから、小さき者の気持ちは、少しは分かる」
ユーフェの声は沈んでいた。
「家族は皆、大きくてな。私がどれだけがんばっても、兄にはかなわない。腕力も、体力もだ。持久力だって全然駄目で。しかたないから、体格の関係なしに倒せる体術を学んだ。私のとりえは瞬発力しかない」
どんなにがんばっても家族には勝てない。スポーツ一家で育ち、スポーツに才能がなかった剛樹には、ユーフェの気持ちは痛いくらい分かる。剛樹はとうに諦めていたが、ユーフェはとりえと思えるものを見つけられるくらいには努力したのだ。それだけでもすごいと思う。
「銀狼族は、女ですら、私より大きい者がほとんどだ。二年前まで、私には婚約者がいた。私より小さい女の銀狼族だった。彼女となら……そう思ったんだが」
自嘲気味に、ユーフェは笑う。
「ははっ、結局、彼女は大柄で強い男を選んだ。よりによって、私の兄を」
「ユーフェさん……」
話を聞くうちに、剛樹の震えは治まっていた。
今は、ユーフェの痛いほどの悲しみと自己嫌悪が伝わってきて、なぐさめたくなった。
「王宮にはとてもいられなかった。私は小柄だから、親や兄達は私を守ろうとする。私がいかに矮小な存在か、毎日突きつけられるのだ。私は、誰かを守るほうになりたかった」
そんなふうに心をずたずたにされても、誰かを守りたいのだというユーフェの言葉に、剛樹は涙を我慢できなかった。
肩にぎゅっと抱きつく。
「ごめん。ごめんなさい、ユーフェさん。俺を助けようとしただけなのに、俺、どうしても怖くて」
「ああ」
「親切心を裏切ったみたいで。そんな自分も嫌で」
ぎゅっと額を肩に押し当てて、恐る恐る問う。
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しばしの沈黙の後、ユーフェの空気がふっと緩んだ。
「そんなわけがあるか。責めるでもなく、私に嫌われるかを心配していたとはなあ。お前は臆病だが、優しいな」
「違うよ。ユーフェさんが優しいから、返したいって思うんだ」
「……そうか」
大きな手がぽふっと剛樹の背を叩く。
その後は特に会話はなかったが、不思議と穏やかな時間が流れていた。
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