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本編

三章3 <お題:つめ>

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 パチン、パチッ、パチン
 耳にさわる何かを弾くような音に、剛樹の意識はまどろみから浮上した。
 小さな窓から降り注ぐ朝日を頼りに、ユーフェが爪を切っている。
 家具や寝具がそろうまで、剛樹はユーフェと同じベッドで寝ていた。王子というのは、もっとのんびり過ごすものかと思っていたが、ユーフェの朝は早いし、規則正しい。

(あ、今日で一週間だ)

 異世界に来てからの日にちに気付いて、剛樹はなんとなくしんみりした気持ちになる。
 たった一週間なのに、もう半年近く経ったような懐かしさすら感じた。

(皆、どうしてるかな)

 剛樹がいなくなったことで、テレビや新聞、ネットで変な噂にされてはいないだろうか。望んで来たわけではないが、家族の生活が滅茶苦茶になっていたらと思うと、胃の辺りがキュウッと痛む。
 じんわりと涙がにじみ、すんと鼻をすすると、ユーフェがこちらを振り返った。

「なんだ、泣いているのか」
「……いえ」
「涙のにおいがするぞ」
「分かるんですか?」
「ああ」

 そんなにおいも分かるのか。狼の獣人というのは、嗅覚が鋭いらしい。

「今日で、一週間だなって」
「……寂しいな」

 返事の代わりに、剛樹の目から、ポロッと涙が零れる。
 寂しい。悲しい。頼りない。
 手を放したら飛ばされてしまう風船みたいな、そんな心地がする。

「不安定になるのはしかたがない。一人になりたいか?」
「いえ、一人のほうが寂しい」
「そうか」

 だってこの部屋は獣人向けで、天井は高いし、とても広い。ここに一人でいると、ぽつんと取り残された気分になる。
 剛樹は涙を袖でぬぐうと、ユーフェの隣に移動した。爪切りの形はよく見るものと同じだ。短く切って、丁寧にやすりをかけている。足元にはゴミ箱を置いていた。
 ユーフェが大きな体を丸くして、足の爪の手入れをしているのを見て、剛樹はなんとなく名乗り出た。

「俺がやすりをかけてもいいですか?」
「いいか?」
「なんだか窮屈そうですよ」
「ああ、手の爪ならいいんだが、足はどうも苦手でな。だが、お前が隣で寝ているから、怪我をさせてはまずいだろう?」

 朝っぱらから手入れを始めたのが剛樹のためだと分かり、剛樹は薄く笑った。

「ありがとう、ユーフェさん」

 言葉ははっきりしていても、この世界で、剛樹を一番気遣ってくれるのは彼だ。だんだん家族に対する親しみのようなものを抱き始めていた。

「うむ」

 照れ交じりに返し、ユーフェはシーツの上にタオルを敷き、そこに足をのせた。剛樹はその前にあぐらをかいて、やすりをかけていく。ショリショリ、サリサリ。丸くすると巻き爪になるから、四角になるように平らにする。全て終わらせると、ユーフェは心地良さそうに目を細めていた。

「爪の手入れは面倒だが、お前がすると気持ち良いな」
「へへ、こんなことならいつでも言ってください」
「いやいや、使用人扱いする気はない。だが、その誘いには心惹かれるな。言葉に甘えるやもしれぬ。その時は頼もう」
「はい!」

 剛樹は返事をすると、タオルをゴミ箱の上で振って、爪のくずを落とす。
 それからシスカから借りている服に着替えた。シスカも身長があったので、これでも剛樹には少し大きい。恐らく七分丈だっただろう袖が長袖みたいだ。なんとか着られるだけいい。

「よし、着替えたな。さ、下に降りて食事の用意をしよう」
「あ、ありがとう」

 ユーフェはそれが普通という様子で剛樹を腕に座らせ、足音も立てずに階段を下りていく。足音がしないのは、肉球のおかげだろうか。
 今日はイルクが来ない日だ。
 水汲みや火を使うのは剛樹には危ないからと、ユーフェにはテーブルを拭くことと、食器の用意を頼まれた。テーブルだって獣人サイズなので、拭いて回るだけで一仕事である。

「踏み台があると良さそうだな」
「はい……すみません」
「謝らなくていい。人族向けではないのだから、しかたがない。椅子に座るだけで大変そうだな」

 ユーフェの言う通りで、椅子によじ上った後、今度はテーブルが遠いので、クッションを重ねて座っている。これを繰り返すだけで、体を鍛えられそうだ。
 パンとスープの簡単な食事を済ませたら、畑の世話をして、そらの泉に向かう。
 今日はパイプのようなものがあった。水面に頭を突出し、斜めに沈んでいる。

「また、これか。これで三本目だな」

 ユーフェはうんざりした声で呟き、パイプを引っ張って地面に出した。底からあらわれたそれを見て、剛樹は目を丸くする。

「あっ、これ、手押しポンプだ」
「おお、何か知っているのか、モリオン」
「井戸で水を汲むのが楽になる道具ですよ。アニメで見たことがあって。ええと、確かここに呼び水を入れて……」

 泉にパイプの底を入れてもらい、斜めになっているものの、手押しポンプを出した状態で、ユーフェに支えていてもらう。そして、剛樹は手桶ておけに水を汲んで、上から流し込む。

「これはなんの意味があるのだ?」
「えっと、パイプの中の隙間を水で埋めて、真空状態にしないといけないって……」
「真空?」
「空気がないことです。水を吸い込むので、空気を抜かないといけないんです。確か」

 水を入れてから、手押しポンプを動かすと、何回目かでガスッと音がして、水がバシャッと出てきた。

「うおっ」
「ほら、出た!」
「これはすごい。おおー、井戸業界の革命だぞ!」

 ユーフェは面白がって、手押しポンプを何度も動かして水を出した。本当はまっすぐ立てて固定するのだと教えると、ユーフェは急に慎重になった。

「そうか。壊してはいけないから、試すのはやめておこう。他にも二つあるからな、二つを王宮に送って、一つは分解して職人に仕組みを理解させよう。しかし、どう説明したものか」
「俺が図を書きましょうか」
「おお、お前は絵が描けるのだったな。では、さっそく報告書を書こう。その前に、王宮に手紙を出すか」

 手押しポンプとパイプを丁寧に地面に横たえると、ユーフェは足早に宙の泉を出ていく。どうするつもりなのかと追いかけると、ユーフェは研究室で手早く小さな手紙を書いて筒に入れると、研究室兼倉庫の裏に向かった。そこには鳥小屋があった。黒い目玉がギョロッとした、白い鳥が入っている。グロテスクな白鳥はくちょうといった感じだ。全然可愛くない。

「な、なんですか、この鳥……」
伝書鳥でんしょどりのグーグだ。ほとんど鳴かなくて、賢い。帰巣本能が強い習性を利用して、手紙を運ばせるのだ。三日もあれば王宮に着くから、荷物の引き取り手を寄越してもらう。お前のことを報告するために留守にしていたが、ちょうど昨日になって戻ってきたのだ」

 ユーフェはグーグのあし鉄筒てつづつを固定すると、鳥小屋から出した。

「一日休んだから、もう大丈夫か? 働かせてばかりで悪いが、また王宮まで飛んでくれ」
「グゥ」

 グーグは短く鳴いて、翼を広げる。バサッと空へ羽ばたいた。

「よし、では報告書作りをしようか」
「はいっ」

 故郷のことを思って寂しくても、こうして役に立てると、少し気持ちがマシになる。

(俺、日本にいた時より役に立ってるかも……)

 そのことは、分からないことばかりの毎日の中で、なぐさめになっていた。
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