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本編

二章2

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 ようやくベッドを降りられるくらい回復したので、剛樹は初めて一階の部屋に入った。
 中は三部屋に分かれていて、広い部屋が、居間兼食堂だ。左側に小部屋があり、奥には扉がない代わりに、入口に青い布がかかった部屋があった。
 剛樹がきょろきょろしていると、ユーフェが好きに見るように言ったので、遠慮なく覗いてみた。

「台所……」

 イルクがてきぱきと動く様子を眺める。ここの家具も獣人にあった大きさで、剛樹が使うには大変そうだ。
 まきストーブは調理用らしく、上に鍋をのせて温めている。水道はないが流し台はあった。大きな水瓶から、ひしゃく――半分に切って乾かしたひょうたんのようなもの――で水を汲んで使っているようだ。イルクは食器棚から皿を出して台の上に並べてから、流し台の隣にある調理台――丸太をスライスしたみたいなまな板の上で、果物を切っている。
 台所の右奥には、勝手口もあるらしい。
 剛樹は台所を出ると、今度は小部屋のほうを覗いてみた。

「風呂だ」

 自然と声が弾んだ。
 この土地には電気もガスもなく、異世界ファンタジーめいた魔法もない。明かりはアルコールランプかろうそく、暖炉の明かりだし、調理には薪を使っている。外にはロープをたぐるタイプの井戸しかない。風呂を期待しないほうがいいのではないかと思っていた。

(へえ、脱衣所と風呂場が一緒になってて、間に衝立ついたてを置いてるのか。なんかここだけ中華ものっぽい)

 床は白いタイル貼りだ。脱衣所には棚が二つあり、背の高い棚にはタオルや小物が置かれ、テーブルに似た棚のほうには洗面器がのっている。どう見ても洗面台で、端にタオルが引っ掛けてあった。
 風呂場には、石で塗り固められた浴槽がある。よく見ると中は鉄製で、底に木の板が敷かれてあるようだ。浴槽の傍には蛇口がある。

(水道がある? でも、台所にはなかったよな)

 剛樹が蛇口を見ていると、ユーフェが戸口から教えてくれた。

「そこをひねると、水が出る。雨どいの水が、外のタンクにたまるようになっているのだ。外には焚口たきぐちがあるから、そこで火を焚いて、ここに入れた水を熱して湯にするのだ。温度調整はこの蛇口の水だ。冬場はタンクに雪を放り込めばいいから楽なのだがな。水が足りない時は、井戸から汲んで入れている」
「へえ、ってことは、五右衛門ごえもん風呂みたいだな」

 アニメか民俗系の博物館でしか見たことがないが、こんな形をしていた。

「モリオンも、こういう風呂を使っていたのか?」
「いえ、俺の国では古いものですよ。今は電気やガスがあるので、湯沸かし器で湯を沸かして、水道の水を温めて、お湯が蛇口から直接出てきます」
「……やけどしないか?」
「温度の調節ができるので」
「なるほど、お前が便利な物が多い世界から来たというのは、本当のようだな。ここにはそんなものはないから、お前には不便だろうな。南西のほうに、からくりを作るのに長けた国があるが、危険だから連れていくわけにもいかないし」

 ユーフェの耳がペタンとなった。困っているのだろうか。

「どうして危険なんですか?」
「その国には、たいした資源がない。そのため、他国と戦をして、他国を支配下に置くことで手に入れているのだ。ここからは遠いから我が国には害はないが、その国の周辺では、小国から落とされている。お前がその国に行ったとして、徴兵ちょうへいされるだけだろう」
「い、行きません、そんな場所!」
「うむ。しかし、お前は素直だなあ。私が嘘をついているとは思わんのか」

 ユーフェの指摘に、剛樹は首を傾げる。

「嘘なんですか?」
「いいや」
「それならいいじゃないですか。なんでそんなことを訊くんです?」
「お前みたいな世間知らずは、良いように利用されるだけだろうから、心配になっただけだ」
「ユーフェさんは優しいんですね」

 良い人だと思う剛樹に対し、ユーフェはどうしてか溜息を吐く。

「親切にして、利用しようとしていたらどうするんだ」
「そう言われても……。俺は右も左も分からないので、利用されていたとしても、親切に教えてもらえるなら、それでおだいになったと思えばいいかなって」
「その考え方にも一理あるが、気を付けるように」
「あの」

 剛樹はうつむいて、ぎゅっとズボンの布を握る。日本で着ていた服を洗濯してもらえたので、今はそれを着ている。こちらに来る直前は、ちょうど六月の終わり頃だった。白いTシャツの上に、薄手の黒いパーカーを着て、紺色のカーゴパンツにスニーカーを合わせていた。

「俺、がんばってここのことを覚えます。迷惑だと思いますけど、でも、がんばるので」

 ユーフェが注意するから、もう剛樹を鬱陶しく思い始めたのかと思い、必死に、ここに置いてもらおうと言葉を紡ぐ。
 ここのことは何も分からない。ユーフェやイルクみたいな獣人ばかりだと思うと、外に出るのも怖い。まずはここでやっていくしかないのだ。
 見捨てないでくれと頼む前に、ユーフェにひょいっと腕に抱えられた。

「うわっ」
「あー、悪かった。そんなみどりオオトカゲを前にしたコケガエルみたいな顔をするな」
「え? 緑が何?」

 謎の表現に、剛樹は面食めんくらった。

(コケガエルって、蛙のこと?)

 剛樹がユーフェの横顔を覗き込むと、彼は渋い顔をしていた。

「私はつい、王宮のように考えてしまうのだ。お前を迷惑に思っているのではなく、これからやっていけるのかと」
「心配になった、とか?」
「うむ……」

 ユーフェは頷いた。

「しかし、最初から急ぎすぎるのも良くない。いずれ、周りを警戒できるようになれば構わない」
「はい」

 そもそも剛樹は気が弱いので警戒心は強いほうだ。熱を出して寝込んだところを、ユーフェには三日も世話になったのだから、彼に気を許すのはある意味では自然だと思うのだが、ユーフェにはそう思えないらしい。

「あの、なんで……」

 腕に座らせたのだろうかと問う前に、イルクが顔を出した。

「お二人とも、食事の支度ができましたよ。……何してるんです?」
「泣きそうだったから、つい」
「そんな赤ん坊じゃないんですから。人族を子ども扱いすると、怒りますよ。大工んとこの伴侶が、それで喧嘩してますからね」
「そうか、それは良くないことをしたな」

 さっきは慌てていたのだろうか、もしかして。
 ユーフェは剛樹を床に下ろして問う。

「怒ったか?」
「いえ。なんで腕に座らせるんだろうとは思いましたけど、疑問が解決したので。気にしてないです。ユーフェさんが優しい人なんだなと分かったので、いいですよ」

 剛樹の返事に、ユーフェとイルクは不思議そうに言いあう。

「えっと、ユーフェ様、どうしてそんな結論に着地したんですかね」
「私が知るわけがないだろう。どういうことだ?」

 ユーフェの質問に、剛樹も戸惑う。

「だって、ユーフェさん、子どもが泣きそうだと抱っこしちゃうんでしょ?」
「ん? まあ、そうだな」
「あやそうとして手を伸ばすんですから、優しいんだなと……」

 剛樹の説明に、イルクが感嘆の声を上げる。

「ほう、なるほどな。納得だ。冷たい人なら放っておくもんなあ、モリオン、お前、良い子だなあ。って、俺まで子ども扱いしちまったな。すまんすまん」
「そんなふうに言われたのは初めてだが……まあ、悪い気はしないな。ほら、朝食にしよう」

 大きな獣人達はのそのそとテーブルのほうへ行く。イルクは雑用のために部屋を出て、ユーフェと剛樹は台所で手を洗ってから、テーブルに向かい合わせに座った。

「どうだ、食べられそうか? 急に胃に入れるのは良くないからな、スープを中心に食べるといい。異世界の人族には毒かもしれない。体調が悪くなったら、すぐに言うのだぞ」
「はい」

 ユーフェに慎重に注意されて、剛樹も身構えた。
 見たところ、フランスパンのようなものと、サラダ、果物、分厚く切られたハムやウィンナー、野菜スープが大皿に盛られており、スープ以外は、トングを使って、自分で小皿に盛って食べるようだ。

「偉大なる森の神に感謝を」
「いただきます」

 ユーフェの祈りの声と、剛樹の声が重なった。

「神様にお祈りしてるんですか?」
「ああ。我ら銀狼族は森とともに生きる獣人だからな。森の神に恵みへの感謝をささげるのだ。お前のはなんだ?」
「俺のところは、八百万やおよろずっていうたくさんの神様がいるんです。食べる前に、そういう神様だとか自然だとか、作ってくれた人とか、いろんなのに『いただきます』って言います。食べ終わったら、『ごちそうさま』です」
「ふむ。それは良いことだな。この国は、信仰は簡単なものしかないが、お前の信仰であまり気にならないなら、森の神に祈っているということにするといい。外国人がこの国の文化を大事にしてくれていると分かると、親切にしたくなるものだ」
「そうなんですか。では、そうします」

 異世界の森の神だろうと、神様には違いない。特に気にならないので、剛樹はユーフェのアドバイスを受け入れることにした。
 改めて、両手を合わせる。

「森の神様、いただきます」
「いただきます」

 ユーフェも一緒に手を合わせてくれたので、なんだかうれしい。

「ありがとう、ユーフェさん」
「うむ。モリオンも、ありがとうな」

 そう返すユーフェに頷くと、剛樹はひとまず野菜スープに口をつける。ユーフェがじっとこちらを伺う。

「どうだ?」
「大丈夫です。コンソメスープみたいでおいしい」
「コンソメが何か知らんが、似たようなものがあるのか。他のも一口ずつ食べてみるといい」

 ユーフェのすすめに従い、サラダやハム、果物を少しずつ取って食べてみた。果物はプラムみたいな見た目で、皮をむいて食べると、果肉は桃みたいに甘くておいしい。

「それはラズリアプラムといってな、この辺で夏によく採れる木の実だ。甘い実がなるように、ここの村人達が改良したものだよ。美味いだろう?」
「おいしいです。ここの人達は、ラズリアプラムの農家さんなんですか?」
「他にもいろいろと作っているが、ラズリアプラムがメインだな。鋼木こうぼくも育てている。鋼木は、ラズリアではどこでも育てているがな。そうしないと冬を越せない」

 ユーフェは剛樹にラズリアプラムをすすめる。

「病人食にも向いているから、食べるといい。そんなに気に入ったのなら、イルクの伴侶に、プラムパイを焼いてもらおうか」
「甘いケーキみたいなものですか?」
「そうだ」
「砂糖がある?」
「ああ。南部のほうで甜菜てんさいを育てていてな、たまのぜいたくで、甘い菓子を食べるのだ。プラムパイは今の時期しか食べられないから、お前は良い時に来たな」

 目を細めているあたり、ユーフェも好んでいるようだ。

「食べてみたいです」
「よし、では後でイルクに頼んでおこう」

 ユーフェは剛樹の様子が変わらないことを見届けて安心したのか、自分も食事に取り掛かる。テーブルいっぱいにのっていた料理が次々と消えていくのを、剛樹は唖然と見守っていた。
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