3 / 35
本編
一章2
しおりを挟む「スマホー!」
叫びながら目が覚めた剛樹は、天井に向けて右手を伸ばしていた。
「え?」
天井が石造りで、見覚えがない。剛樹の住んでいるアパートの部屋は、防音に向いた白いものだ。蛍光灯も見当たらず、薄暗い。明かりのほうを見ると、暖炉で火が燃えていた。小さな窓の向こうには青空が広がっている。
ひんやりした空気に身をすくめ、なにげなく服を見下ろして驚いた。
「何これ、ワンピース?」
薄い生地の長袖で、裾は膝より下くらい。やけに首元が広いし、袖が余っている。
「もしかして、サイズが合ってないのか?」
そのことに気付いて、ゾッとした。
(どれだけ体が大きいんだ)
想像できなくて首を傾げながら、恐る恐るベッドを降りる。裸足でペタッと石床に着地すると、ゆっくりと扉に近付いた。
(なんか変な夢を見たよなあ。車に水を引っ掛けられたら溺れて、狼が目の前にいて――)
どうせなら、ちゃんと見ておけば良かった。そうすれば絵の参考にできたのに。そう思いながら扉を少し開けたところで、上から声が降ってきた。
「起きたか」
扉の向こうでは、二メートル近い狼男がぬっと立ち、こちらを見下ろしていた。銀色の毛はつやつやしていて、袖なしの白いシャツを着て、腰を青い帯で締め、ゆったりした白いズボンを履いている。靴はなく、獣の素足に布を巻いただけだ。
「ひ……」
「おい、また気絶など勘弁」
「ギャ――――――!!」
「……そう来たか」
剛樹は大声で絶叫し、後ろに下がろうとして足を滑らせ、思い切り尻餅をついた。勢い余ってそのまま倒れ、後頭部を打って痛みで悶絶する。
「お、おい、大丈夫か。どんくさい奴だな」
狼男は動揺した様子で呟き、手に持っていた盆をテーブルに置くと、剛樹の傍らに膝をつく。
「ぎゃーっ」
狼のドアップに剛樹はまた悲鳴を上げ、慌ててベッドに逃げようとして、またすっ転んだ。ベチャッと床につぶれる剛樹に観念したのは狼男のほうで、溜息をついてベッドの反対側まで移動する。
「ああ、分かった。私は近付かぬから、安心しろ。ほら、出口はそこだ」
よろよろと起き上がった剛樹は、逃げ道があることにほっとした。そして、わざわざ出口をゆずった狼男の気遣いを見て、敵意はないようだと感じとる。恐怖がゆるやかに落ち着いていった。
殺されるのではと半泣きになってしまったので、袖で目元をぬぐい、深呼吸をする。
「……あの、すみません。ごめんなさい」
出てきたのは謝罪だった。狼男を刺激したくなかったのだ。ベッドの陰に隠れたままの剛樹にも、狼男は気を悪くした様子はない。
「その様子だと、お前は私のような獣人がいない世界か、もしくは獣人が敵の世界から来たようだな。もしやお前の世界では、獣人は人を食うのか?」
「食う!? 俺、食べられるんですか!?」
声が引っくり返った。
「まさか。獣人と人、見た目は違えど、同じ人間だ。共食いなどするか。狂人や危ない宗教の輩なんかは食う者もいるらしいが、禁忌だ。見つかれば処罰される。私は常識的な部類だから、安心していい。……まあ、信用するかどうかはお前次第だ」
「な、なるほど。とりあえず法律はあるような場所なんですね。規律があるなら大丈夫なのかな……」
怖いのは無法地帯だ。狼男でも、理知的な様子を見るに、ある程度の文明はありそうだ。
「俺のいた所には、人間しかいなくて。人種は色々ありましたけど、あなたみたいな狼男は見たことないです。えっと、伝承とか神話とか、空想の話にはいましたけど……」
「けど?」
「だいたい悪役で」
「ふっ。なるほどな。それでその反応か」
狼男が口の端を上げて笑うと、白い牙が覗いた。
「狼男というのは間違いではないが、正しくはない。私は銀狼族の獣人だ。名をユーフェ・ラズリアという。このラズリア王国で五番目の王子だ。異界からの客人よ、お前は私の名のもとに保護しよう。安心するがいい」
「あ、どうも……。俺は沖野剛樹といいます。ええと、どちらが名前ですか?」
「ユーフェだ」
「あっ、国の名前が後ろについてるんだから、そうだよな。これだから俺、ぼんやりしてるとか言われるんだ」
ぶつぶつと呟いて、余計なやりとりをさせたことに軽い自己嫌悪を覚えてうつむく。
「まあ、それだけ混乱しているのなら、いたしかたないのではないか。オキノゴキ?」
「ありがとう、ユーフェさん。沖野が苗字で、剛樹が名前です」
「そうか、ゴキだな」
「やめて! ゴキじゃなくて、ゴウキ! ゴキだと嫌われてる虫と同じ名前だから! 俺、それでいじめられたことあるから!」
小学生の時、短期間だけだがゴキ呼ばわりされて、登校拒否したことがある。事態を重く見た父が担任に相談して、子ども達を叱ってくれたので、なんとか教室に戻れるようになった。
有名人の息子なので、ただ、そこにいるだけで生意気などと言われることもあり、正直、沖野家に生まれて良かったことなどほとんどない。
どうやらそれだけでなく、兄達が「SNSにさらすぞ」という脅しを、子どもとその親にしたみたいだった。保護者が子どもを連れて謝りに来て、菓子折りを差し出して、猫撫で声でご機嫌とりをされたのは、さすがに気持ち悪くてよく覚えている。剛樹としては後味が悪く、次第にそのクラスメイトとは疎遠になった。
「う、害虫か。ゴーキ? 難しいぞ、この名前」
「ゴウは?」
「ゴー?」
「うーん……」
ゴキよりも戦隊ものみたいな呼ばれ方のほうがまだマシだが、オキノでも呼びづらそうである。もごもごと名を呟いて首をひねっている狼男が、ちょっと可愛らしく見えた。
(犬って、意外と顔に表情が出るんだなあ)
ペットを飼ったことがないので、剛樹は感心した。
「呼びづらいなら、あだ名でもいいですよ」
なんだか申し訳なくなって、妥協案を出す。ユーフェの三角耳がピクリと動いた。うれしそうだ。
「それはありがたい。ふむ、お前は黒い髪と目をしているから……モリオンなんてどうだ?」
「モリオン? 黒水晶のこと?」
「おお、お前の世界でもそう呼ぶのか? どうだ、強力な邪気払いの石ともいわれていてな、この名がお前を守ってくれるだろう」
とっさにつけたにしては、良い意味を込めてくれたようだ。
(王子ってすごいなあ。……王子?)
ようやく頭が追いついてきて、剛樹は青ざめた。
「あの、そういえば、違う世界って?」
これが夢ではないのは、さっきから転んでいた痛みでよく分かっている。ユーフェは剛樹が異界から来たとも言った。それに地球には獣人なんていないから、ここが異世界と言われても納得だ。
(漫画やアニメでよくあるパターンだと、俺が世界を救うとかそういう!?)
さーっと血の気が引く。
運動音痴で、それほど頭が良いわけでもなく、ちょっと絵が上手い程度の平凡な男だと、剛樹がよく分かっている。画家で世界的に有名になろうなんて気概があるわけもなく、祖母のように絵画教室を開いてのんびり暮らそうというのが、剛樹の将来の夢だ。イラストレーターとして、本の表紙に関われたら幸せだろうなあなんて、ツブヤイターを見ながら憧れている。
「この世界、とても大変だったり!?」
「戦をしている所はあるが、この国は平和だぞ」
「魔王なんて現われたりして!?」
「なんだそれは? 初めて聞いた」
「じゃ、じゃあ、国の改革のために呼ばれたとか!?」
「呼ぶ? お前は宙の泉に流れついただけで、特に意味はないが」
剛樹はのけぞった。
「意味が、ない!?」
無意味に周りを見回して、頬を指でかく。
(戦うなんて怖いから無理だ。よし、結果オーライ。期待されても困るけど、無意味は想定外だぞ!)
頭を抱え、剛樹は当然の要望を叫ぶ。
「それなら俺、帰りたいです!」
ユーフェはどこか困った顔で沈黙し、深々と溜息をつく。
「どう説明したものかな。とりあえずついてこい、見せるものがある」
「はい!」
勢いよく返事をした剛樹は立ち上がろうとして、ワンピースなんて普段はかないので、裾を思い切り膝で踏んで、その場にベチャッと倒れた。
「だ、大丈夫か……? 落ち着きがない子どもだな。十かそこらか?」
「え? 俺は十八です」
「……ちなみにこの国では、太陽が昇って沈み、また昇るまでを一日と数える。一年は三百七十日ほどだ」
「俺の世界は、三百六十五日です!」
「ざっと三ヶ月の差でも、これが十八か……」
何故だろうか。かわいそうなものを見る目をされている気がする。ユーフェは子どもにするように、剛樹の前に膝をついて覗き込む。
「この国の者は、私以上に体が大きい者がほとんどだ。建物や家具、衣服も同じだな。お前はその調子で怪我をしそうだから、腕に乗せていって構わんか?」
「腕に乗る……?」
お姫様抱っこのことだろうかと首をひねると、ユーフェは剛樹を左腕に座らせるようにして、ひょいっと持ち上げた。
「本当に座ってる……! すごい! おお、筋肉がすごい!」
「大丈夫そうだな。行くぞ。落ちぬように、肩に掴まっていろ」
「は、はいっ」
部屋の外に出てみて、ユーフェの心配が分かった。階段の一段の大きさが、日本で見るものの三倍の高さがあるのだ。剛樹にしてみれば、軽い登山みたいなものである。
ユーフェは身軽な足取りで、長い階段を下りていく。どうやらこの建物は塔のようだ。そして、外へ出た。
51
お気に入りに追加
184
あなたにおすすめの小説
Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜
天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。
彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。
幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。
運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。
【完結】転生して妖狐の『嫁』になった話
那菜カナナ
BL
【お茶目な挫折過去持ち系妖狐×努力家やり直し系モフリストDK】
トラック事故により、日本の戦国時代のような世界に転生した仲里 優太(なかざと ゆうた)は、特典により『妖力供給』の力を得る。しかしながら、その妖力は胸からしか出ないのだという。
「そう難しく考えることはない。ようは長いものに巻かれれば良いのじゃ。さすれば安泰間違いなしじゃ」
「……それじゃ前世(まえ)と変わらないじゃないですか」
他人の顔色ばかり伺って生きる。そんな自分を変えたいと意気込んでいただけに落胆する優太。
そうこうしている内に異世界へ。早々に侍に遭遇するも妖力持ちであることを理由に命を狙われてしまう。死を覚悟したその時――銀髪の妖狐に救われる。
彼の名は六花(りっか)。事情を把握した彼は奇天烈な優太を肯定するばかりか、里の維持のために協力をしてほしいと願い出てくる。
里に住むのは、人に思い入れがありながらも心に傷を負わされてしまった妖達。六花に協力することで或いは自分も変われるかもしれない。そんな予感に胸を躍らせた優太は妖狐・六花の手を取る。
★表紙イラストについて★
いちのかわ様に描いていただきました!
恐れ入りますが無断転載はご遠慮くださいm(__)m
いちのかわ様へのイラスト発注のご相談は、
下記サイトより行えます(=゚ω゚)ノ
https://coconala.com/services/248096
【R-18】僕のえっちな狼さん
衣草 薫
BL
内気で太っちょの僕が転生したのは豚人だらけの世界。
こっちでは僕みたいなデブがモテて、すらりと背の高いイケメンのシャンはみんなから疎まれていた。
お互いを理想の美男子だと思った僕らは村はずれのシャンの小屋で一緒に暮らすことに。
優しくて純情な彼とのスローライフを満喫するのだが……豚人にしてはやけにハンサムなシャンには実は秘密があって、暗がりで満月を連想するものを見ると人がいや獣が変わったように乱暴になって僕を押し倒し……。
R-18には※をつけています。
【完結】糸と会う〜異世界転移したら獣人に溺愛された俺のお話
匠野ワカ
BL
日本画家を目指していた清野優希はある冬の日、海に身を投じた。
目覚めた時は見知らぬ砂漠。――異世界だった。
獣人、魔法使い、魔人、精霊、あらゆる種類の生き物がアーキュス神の慈悲のもと暮らすオアシス。
年間10人ほどの地球人がこぼれ落ちてくるらしい。
親切な獣人に助けられ、連れて行かれた地球人保護施設で渡されたのは、いまいち使えない魔法の本で――!?
言葉の通じない異世界で、本と赤ペンを握りしめ、二度目の人生を始めます。
入水自殺スタートですが、異世界で大切にされて愛されて、いっぱい幸せになるお話です。
胸キュン、ちょっと泣けて、ハッピーエンド。
本編、完結しました!!
小話番外編を投稿しました!
獣のような男が入浴しているところに落っこちた結果
ひづき
BL
異界に落ちたら、獣のような男が入浴しているところだった。
そのまま美味しく頂かれて、流されるまま愛でられる。
2023/04/06 後日談追加
異世界転移したら猫獣人の国でした〜その黒猫は僕だけの王子様〜【改訂版)
アベンチュリン
BL
柔らかな春の日差しが、迷路の様な生垣を縫う様に降り注ぐーー
黒猫を追いかけて摑まえると、王子様がいたーー
猫獣人の国ネルザンドに異世界転移したルカは恋愛事情が異なる世界に困惑しながら、セオドール王子と繰り広げる学園ラブコメディ
R-18は★表記しています
フィクションです、猫に与えてはいけない食べ物(例:食パン)とかあります、ご注意下さい。
番外編 林間学校 更新しました
【続編】異世界転移したら猫獣人の国でした〜魔石食べたらチートになりました〜 公開しました。そちらも楽しんで頂けましたら幸いです。
初投稿です、一言でも感想頂けたら励みになります。
宜しくお願い致します。
【R18】満たされぬ俺の番はイケメン獣人だった
佐伯亜美
BL
この世界は獣人と人間が共生している。
それ以外は現実と大きな違いがない世界の片隅で起きたラブストーリー。
その見た目から女性に不自由することのない人生を歩んできた俺は、今日も満たされぬ心を埋めようと行きずりの恋に身を投じていた。
その帰り道、今月から部下となったイケメン狼族のシモンと出会う。
「なんで……嘘つくんですか?」
今まで誰にも話したことの無い俺の秘密を見透かしたように言うシモンと、俺は身体を重ねることになった。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる