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(そういえば、ヴィタリはどこの部署にいるんだろう?)

 本棚にはたきをかけながら、トリーシャはふと疑問を思い浮かべた。
 サンドイッチを食べた日から、トリーシャはすっかりヴィタリに気を許し始めている。ヴィタリはトリーシャのことをよく知っているようなのに、ヴィタリのことは恐らく上位であることと、名前くらいしか知らない。
 なんだかもやもやとしてきた。

 ――これは果たして、友人と呼べるのだろうか?

 その時、横合いから急に三十代ほどの女性である先輩司書に話しかけられ、油断していたトリーシャはビクッとする。

「ラスヘルグ君、ちょっといいですか」
「え? はい、どうかしましたか」

 先輩司書は慌てていて、トリーシャを驚かせたことにも気づいていない。

「さっき、司書長がぎっくり腰になったんです。医務室まで運ぶから、受付を頼んで構いませんか」
「司書長がですか? もちろんです! どうぞ、お任せください」

 先輩司書が焦っているのは、今日はたまたま希望休暇が重なって、勤務している司書がトリーシャを合わせても五人しかいないせいだ。
 トリーシャが急いで事務室のほうへ向かうと、ちょうど年配の司書達が司書長を担架たんかに乗せたところだった。

「うう。面目ない……」

 司書長は青い顔をしてうめいている。

「ですから、重い書籍は我々が運びますと申し上げていますのに!」
「お年なのに無理されるからですよ。知恵を貸していただけるだけで、あなたは長としては充分です!」

 司書長の傍では、中年の男性司書が二人、司書長に文句を言っている。見たところ、司書長が無理をして書籍を運ぼうとしたのを止めたのに、司書長が聞き入れなかったのだろう。
 上司に言うには失礼な気がしたが、この二人は司書長と長い付き合いのある部下だそうなので、親しさによるものだろうと思われる。

「ラスヘルグ君、ヘネリさん、あとは頼みました!」
「ええ、分かりました。お気を付けて」
「司書長、お大事に」

 先輩司書――ヘネリは頷き、トリーシャも声をかける。
 彼らを見送ると、ヘネリはトリーシャに向き直った。

「では、受付をお願いね、ラスヘルグさん。私は司書長が倒れた拍子にぶちまけた書類を整理します」
「わ、分かりました」

 ヘネリは苦い顔をして、事務所のほうを一瞥する。本が数冊とともに、書類の束が散乱していた。そこへ倒れこんだようで、紙がぐしゃぐしゃになっているものもある。

「あれはね、月末に提出予定の、経理に関係するものなの」
「月末」

 あと五日もないくらいではないかと、トリーシャは口端をひきつらせた。
 どこの部署でも、経理関係の提出期限時期はぴりぴりするものだ。

「司書長に最終チェックをしていただくはずだったけど……まあいいわ、なんとかします」
「はい。何かお手伝いしますか?」
「いいえ。受付にいてくれたら充分よ。でも、助けが必要なら呼んでくださいね」

 ヘネリは気合を入れた様子で、事務室へ入っていく。
 トリーシャも書類整理くらいならばできるが、経理関係は閲覧できる役職が限られているものもある。司書では新米のトリーシャには扱えないと判断されたようだ。トリーシャは察しがいいので、ヘネリに食い下がる真似はせず、大人しく受付カウンターに向かう。
 どうやら先輩は返却書籍の分類分けをしながら、カウンター業務をしていたようだ。
 トリーシャは閲覧室を見回す。
 よく来る利用者が、お気に入りの位置で読書や調べものをしているようだ。

(これなら平穏に過ごせそうかな?)

 王家の図書室だけあって、問題を起こす者はそうそういない。だが、ときどき、詳細がわからないことについて資料がないかという問い合わせから、司書が書籍をピックアップして教えるというレファレンスが発生することがある。
 トリーシャは先輩のようにスムーズに調べられないので、少し緊張した。

(とりあえず、分類分けをしておこう)

 トリーシャがせっせと仕事をしていると、急に目の前に一筋の光が差しこんだ。
 驚いて瞬きをすると、ヴィタリだった。金髪のせいなのか、美貌のせいなのか。彼が現れるだけで、その辺りが明るくなったような錯覚すら覚える。

「ヴィタリ……様」

 トリーシャは呼び捨てしそうになり、職場だと思い出して、急いで様を付けた。

「ヴィタリで構わないよ、リィ」

 ヴィタリは今日も穏やかに微笑んでいる。フォーマルウェアに身を包み、本を二冊抱えて、一人で立っていた。

「そういうわけにはまいりません。返却ですか?」
「分かったよ、ラスヘルグさん。そうだよ、返却をよろしく」

 ヴィタリは少し残念そうに肩をすくめたものの、トリーシャを困らせる真似はしない。こういう些細な気遣いをされるたびに、トリーシャは良い人だと胸が温かくなる。
 トリーシャは図書カードを預かると、すぐに返却手続きをした。

「はい、確かに」
「ありがとう。ところで、今日はやけに職員が少ないね」
「実は……」

 先ほどのトラブルについて、トリーシャはヴィタリに小声で説明する。

「司書長が? それはお気の毒に。お見舞いを用意しないとね。――それじゃあ、レファレンスは今度にしようかな」
「僕が対応しましょうか?」
「気を悪くしないでほしい。司書長ほどの見識がなければ難しい内容なんだよ。君の先輩でも無理だろう」

 事務室のほうを気にして、ヴィタリは声を潜める。

「簡単に言えば、奥の書庫にある、鍵付き書棚に用があるんだ」
「ああ、あちらは司書長の許可がなければ、誰も開けられません」

 トリーシャは納得しながらも、内心では驚愕している。

(あの鍵付き書棚は、王家の特別許可がなければ開けられないのに。ヴィタリの地位はどれくらい高いんだ?)

 ヴィタリは平然としているし、そんな貴重書を扱うのに気後れした様子もない。そういったことに普段から接している証拠だ。
 トリーシャがまじまじとヴィタリを見ていると、ヴィタリは気まずげに目を泳がせた。

「ええと、それじゃあ、私は奥の書棚に……」

 にじり下がるようにして、ヴィタリが移動しようとした時だった。その男が現れたのは。

「トリーシャ・ラスヘルグ!」

 憎悪のこもっただみ声に、トリーシャはビクリと肩を震わせた。驚いたからではない、聞き覚えのある声に怯えたのだ。

「う、嘘だろ……レルギ……?」

 図書室の入り口に立っていたのは、ぼろぼろな白いマントを羽織った中肉中背の男だった。
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