6 / 8
6
しおりを挟む(そういえば、ヴィタリはどこの部署にいるんだろう?)
本棚にはたきをかけながら、トリーシャはふと疑問を思い浮かべた。
サンドイッチを食べた日から、トリーシャはすっかりヴィタリに気を許し始めている。ヴィタリはトリーシャのことをよく知っているようなのに、ヴィタリのことは恐らく上位であることと、名前くらいしか知らない。
なんだかもやもやとしてきた。
――これは果たして、友人と呼べるのだろうか?
その時、横合いから急に三十代ほどの女性である先輩司書に話しかけられ、油断していたトリーシャはビクッとする。
「ラスヘルグ君、ちょっといいですか」
「え? はい、どうかしましたか」
先輩司書は慌てていて、トリーシャを驚かせたことにも気づいていない。
「さっき、司書長がぎっくり腰になったんです。医務室まで運ぶから、受付を頼んで構いませんか」
「司書長がですか? もちろんです! どうぞ、お任せください」
先輩司書が焦っているのは、今日はたまたま希望休暇が重なって、勤務している司書がトリーシャを合わせても五人しかいないせいだ。
トリーシャが急いで事務室のほうへ向かうと、ちょうど年配の司書達が司書長を担架に乗せたところだった。
「うう。面目ない……」
司書長は青い顔をしてうめいている。
「ですから、重い書籍は我々が運びますと申し上げていますのに!」
「お年なのに無理されるからですよ。知恵を貸していただけるだけで、あなたは長としては充分です!」
司書長の傍では、中年の男性司書が二人、司書長に文句を言っている。見たところ、司書長が無理をして書籍を運ぼうとしたのを止めたのに、司書長が聞き入れなかったのだろう。
上司に言うには失礼な気がしたが、この二人は司書長と長い付き合いのある部下だそうなので、親しさによるものだろうと思われる。
「ラスヘルグ君、ヘネリさん、あとは頼みました!」
「ええ、分かりました。お気を付けて」
「司書長、お大事に」
先輩司書――ヘネリは頷き、トリーシャも声をかける。
彼らを見送ると、ヘネリはトリーシャに向き直った。
「では、受付をお願いね、ラスヘルグさん。私は司書長が倒れた拍子にぶちまけた書類を整理します」
「わ、分かりました」
ヘネリは苦い顔をして、事務所のほうを一瞥する。本が数冊とともに、書類の束が散乱していた。そこへ倒れこんだようで、紙がぐしゃぐしゃになっているものもある。
「あれはね、月末に提出予定の、経理に関係するものなの」
「月末」
あと五日もないくらいではないかと、トリーシャは口端をひきつらせた。
どこの部署でも、経理関係の提出期限時期はぴりぴりするものだ。
「司書長に最終チェックをしていただくはずだったけど……まあいいわ、なんとかします」
「はい。何かお手伝いしますか?」
「いいえ。受付にいてくれたら充分よ。でも、助けが必要なら呼んでくださいね」
ヘネリは気合を入れた様子で、事務室へ入っていく。
トリーシャも書類整理くらいならばできるが、経理関係は閲覧できる役職が限られているものもある。司書では新米のトリーシャには扱えないと判断されたようだ。トリーシャは察しがいいので、ヘネリに食い下がる真似はせず、大人しく受付カウンターに向かう。
どうやら先輩は返却書籍の分類分けをしながら、カウンター業務をしていたようだ。
トリーシャは閲覧室を見回す。
よく来る利用者が、お気に入りの位置で読書や調べものをしているようだ。
(これなら平穏に過ごせそうかな?)
王家の図書室だけあって、問題を起こす者はそうそういない。だが、ときどき、詳細がわからないことについて資料がないかという問い合わせから、司書が書籍をピックアップして教えるというレファレンスが発生することがある。
トリーシャは先輩のようにスムーズに調べられないので、少し緊張した。
(とりあえず、分類分けをしておこう)
トリーシャがせっせと仕事をしていると、急に目の前に一筋の光が差しこんだ。
驚いて瞬きをすると、ヴィタリだった。金髪のせいなのか、美貌のせいなのか。彼が現れるだけで、その辺りが明るくなったような錯覚すら覚える。
「ヴィタリ……様」
トリーシャは呼び捨てしそうになり、職場だと思い出して、急いで様を付けた。
「ヴィタリで構わないよ、リィ」
ヴィタリは今日も穏やかに微笑んでいる。フォーマルウェアに身を包み、本を二冊抱えて、一人で立っていた。
「そういうわけにはまいりません。返却ですか?」
「分かったよ、ラスヘルグさん。そうだよ、返却をよろしく」
ヴィタリは少し残念そうに肩をすくめたものの、トリーシャを困らせる真似はしない。こういう些細な気遣いをされるたびに、トリーシャは良い人だと胸が温かくなる。
トリーシャは図書カードを預かると、すぐに返却手続きをした。
「はい、確かに」
「ありがとう。ところで、今日はやけに職員が少ないね」
「実は……」
先ほどのトラブルについて、トリーシャはヴィタリに小声で説明する。
「司書長が? それはお気の毒に。お見舞いを用意しないとね。――それじゃあ、レファレンスは今度にしようかな」
「僕が対応しましょうか?」
「気を悪くしないでほしい。司書長ほどの見識がなければ難しい内容なんだよ。君の先輩でも無理だろう」
事務室のほうを気にして、ヴィタリは声を潜める。
「簡単に言えば、奥の書庫にある、鍵付き書棚に用があるんだ」
「ああ、あちらは司書長の許可がなければ、誰も開けられません」
トリーシャは納得しながらも、内心では驚愕している。
(あの鍵付き書棚は、王家の特別許可がなければ開けられないのに。ヴィタリの地位はどれくらい高いんだ?)
ヴィタリは平然としているし、そんな貴重書を扱うのに気後れした様子もない。そういったことに普段から接している証拠だ。
トリーシャがまじまじとヴィタリを見ていると、ヴィタリは気まずげに目を泳がせた。
「ええと、それじゃあ、私は奥の書棚に……」
にじり下がるようにして、ヴィタリが移動しようとした時だった。その男が現れたのは。
「トリーシャ・ラスヘルグ!」
憎悪のこもっただみ声に、トリーシャはビクリと肩を震わせた。驚いたからではない、聞き覚えのある声に怯えたのだ。
「う、嘘だろ……レルギ……?」
図書室の入り口に立っていたのは、ぼろぼろな白いマントを羽織った中肉中背の男だった。
304
お気に入りに追加
272
あなたにおすすめの小説
【完結】婚約破棄された僕はギルドのドSリーダー様に溺愛されています
八神紫音
BL
魔道士はひ弱そうだからいらない。
そういう理由で国の姫から婚約破棄されて追放された僕は、隣国のギルドの町へとたどり着く。
そこでドSなギルドリーダー様に拾われて、
ギルドのみんなに可愛いとちやほやされることに……。
俺の体に無数の噛み跡。何度も言うが俺はαだからな?!いくら噛んでも、番にはなれないんだぜ?!
汀
BL
背も小さくて、オメガのようにフェロモンを振りまいてしまうアルファの睟。そんな特異体質のせいで、馬鹿なアルファに体を噛まれまくるある日、クラス委員の落合が………!!
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました
楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたエリオット伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。
ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。
喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。
「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」
契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。
エリオットのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。
魔力ゼロの無能オメガのはずが嫁ぎ先の氷狼騎士団長に執着溺愛されて逃げられません!
松原硝子
BL
これは魔法とバース性のある異世界でのおはなし――。
15歳の魔力&バース判定で、神官から「魔力のほとんどないオメガ」と言い渡されたエリス・ラムズデール。
その途端、それまで可愛がってくれた両親や兄弟から「無能」「家の恥」と罵られて使用人のように扱われ、虐げられる生活を送ることに。
そんな中、エリスが21歳を迎える年に隣国の軍事大国ベリンガム帝国のヴァンダービルト公爵家の令息とアイルズベリー王国のラムズデール家の婚姻の話が持ち上がる。
だがヴァンダービルト公爵家の令息レヴィはベリンガム帝国の軍事のトップにしてその冷酷さと恐ろしいほどの頭脳から常勝の氷の狼と恐れられる騎士団長。しかもレヴィは戦場や公的な場でも常に顔をマスクで覆っているため、「傷で顔が崩れている」「二目と見ることができないほど醜い」という恐ろしい噂の持ち主だった。
そんな恐ろしい相手に子どもを嫁がせるわけにはいかない。ラムズデール公爵夫妻は無能のオメガであるエリスを差し出すことに決める。
「自分の使い道があるなら嬉しい」と考え、婚姻を大人しく受け入れたエリスだが、ベリンガム帝国へ嫁ぐ1週間前に階段から転げ落ち、前世――23年前に大陸の大戦で命を落とした帝国の第五王子、アラン・ベリンガムとしての記憶――を取り戻す。
前世では戦いに明け暮れ、今世では虐げられて生きてきたエリスは前世の祖国で平和でのんびりした幸せな人生を手に入れることを目標にする。
だが結婚相手のレヴィには驚きの秘密があった――!?
「きみとの結婚は数年で解消する。俺には心に決めた人がいるから」
初めて顔を合わせた日にレヴィにそう言い渡されたエリスは彼の「心に決めた人」を知り、自分の正体を知られてはいけないと誓うのだが……!?
銀髪×碧眼(33歳)の超絶美形の執着騎士団長に気が強いけど鈍感なピンク髪×蜂蜜色の目(20歳)が執着されて溺愛されるお話です。
婚約破棄したら隊長(♂)に愛をささやかれました
ヒンメル
BL
フロナディア王国デルヴィーニュ公爵家嫡男ライオネル・デルヴィーニュ。
愛しの恋人(♀)と婚約するため、親に決められた婚約を破棄しようとしたら、荒くれ者の集まる北の砦へ一年間行かされることに……。そこで人生を変える出会いが訪れる。
*****************
「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく(https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/703283996)」の番外編です。ライオネルと北の砦の隊長の後日談ですが、BL色が強くなる予定のため独立させてます。単体でも分かるように書いたつもりですが、本編を読んでいただいた方がわかりやすいと思います。
※「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく」の他の番外編よりBL色が強い話になりました(特に第八話)ので、苦手な方は回避してください。
※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。
評価やブックマーク登録をして頂けて嬉しいです。
※小説家になろう様でも公開中です。
親友と同時に死んで異世界転生したけど立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話
gina
BL
親友と同時に死んで異世界転生したけど、
立場が違いすぎてお嫁さんにされちゃった話です。
タイトルそのままですみません。
弟のために悪役になる!~ヒロインに会うまで可愛がった結果~
荷居人(にいと)
BL
BL大賞20位。読者様ありがとうございました。
弟が生まれた日、足を滑らせ、階段から落ち、頭を打った俺は、前世の記憶を思い出す。
そして知る。今の自分は乙女ゲーム『王座の証』で平凡な顔、平凡な頭、平凡な運動能力、全てに置いて普通、全てに置いて完璧で優秀な弟はどんなに後に生まれようと次期王の継承権がいく、王にふさわしい赤の瞳と黒髪を持ち、親の愛さえ奪った弟に恨みを覚える悪役の兄であると。
でも今の俺はそんな弟の苦労を知っているし、生まれたばかりの弟は可愛い。
そんな可愛い弟が幸せになるためにはヒロインと結婚して王になることだろう。悪役になれば死ぬ。わかってはいるが、前世の後悔を繰り返さないため、将来処刑されるとわかっていたとしても、弟の幸せを願います!
・・・でもヒロインに会うまでは可愛がってもいいよね?
本編は完結。番外編が本編越えたのでタイトルも変えた。ある意味間違ってはいない。可愛がらなければ番外編もないのだから。
そしてまさかのモブの恋愛まで始まったようだ。
お気に入り1000突破は私の作品の中で初作品でございます!ありがとうございます!
2018/10/10より章の整理を致しました。ご迷惑おかけします。
2018/10/7.23時25分確認。BLランキング1位だと・・・?
2018/10/24.話がワンパターン化してきた気がするのでまた意欲が湧き、書きたいネタができるまでとりあえず完結といたします。
2018/11/3.久々の更新。BL小説大賞応募したので思い付きを更新してみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる