置き去りにされたら、真実の愛が待っていました

夜乃すてら

文字の大きさ
上 下
5 / 8

 5

しおりを挟む


 ランチから五日後。
 トリーシャは自分のデスクにランチを入れた籠を置いて、朝からそわそわしていた。
 ヴィタリと約束した手前、トリーシャは休日になると、母と兄嫁に事情を話して、サンドイッチ作りを教わった。
 簡単で初心者向けだったおかげで、ほとんど包丁を触ったこともないトリーシャでも、なんとか形になった。両親と兄夫婦、独身の次兄と、家族の分も練習で作るうちに、特に見た目がいいものを選んで持ってきた。

(ヴィタリができの悪さを笑わないといいけど)

 ヴィタリは失敗を笑うような人ではないと思うが、不慣れなことをしたトリーシャは緊張している。

(レルギなら、貴族が料理するなんてみっともないと言うのだろうな)

 ふとレルギのことを思い出して、トリーシャの心が沈んだ。
 気にしないようにしていても、レルギと婚約していた時間はトリーシャには長いものだったから、勝手に思い出されるのだ。
 当のレルギは傷害罪に問われて、僻地での労働刑に課されている。

(父上は殺人未遂だと訴えたけど、レルギは転移門の行先設定を間違えたと言い張ったんだ。僕を吹雪の中に置いてから戻ったのは間違いないのに……)

 トリーシャの胸に暗澹あんたんたる思いが湧いた。レルギに温情が与えられたのは、〈枝〉を与えられる魔法使いは、国にとって貴重だからだ。殺人未遂ならば死刑になる場合もあるので、国はそれを避けたかったのだろうと思われる。
 この世界では、例えば魔力の乱れにより寒地スノーホワイトができるように、場所によっては、動物が濃い魔力に当てられて魔物化することもある。その対処には魔法使いの力が必要だった。労働刑とは、魔物討伐の任務だ。死と隣り合わせの過酷な刑でもある。ただし、任期が終わるか、功績をあげれば、罪を許されて戻ってくることもできた。

(特別扱いされる魔法使いなんて、大嫌いだ)

 レルギの結末を知った時、トリーシャは魔法使いへの嫌悪をますますつのらせた。あれは凡人には与えられない恩恵だ。たとえそれが、そのまま殺すよりも、駒として使いつぶすほうがましという、国の残酷な考えでも。
 トリーシャは頭を振って、暗い気持ちを追い払う。それから昼まで、司書の仕事に没頭した。



 昼休みになると、トリーシャは図書室の外に出た。
 くすのきの枝が揺れ、葉擦れの音がさあと聞こえてくる。その木漏れ日の中、東屋がぽつんと建っていた。
 図書室周辺は静かなので、休憩スペースが置かれている。たいていの者は食堂やカフェテリアに行くせいか、利用者はほとんどいない。
 人影が見えたので近づこうとしたトリーシャは、息をのんだ。
 魔法使い師団を示す白いマントと〈枝〉を持った男が、ヴィタリと話していた。トリーシャはとっさに木の後ろに隠れる。男はお辞儀をすると、速足で歩き去った。

「トリーシャ?」

 トリーシャが蛇ににらまれた蛙みたいに固まっていると、木の向こうから、ヴィタリがひょっこりと顔を覗かせた。
 それでトリーシャは息を止めていることを思い出した。空気を吸おうとして失敗し、ゲホゴホと咳きこむ。あの寒さの中に置き去りにされた時みたいに、体は震えている。

「どうしたんだ、顔色が悪い」

 ヴィタリはトリーシャの傍にしゃがみこみ、トリーシャの右手にやんわりと触れた。咳をするトリーシャの背中をさする。

「手が冷たいね。体調が悪い? 医務室まで運ぼうか」
「だ、大丈夫です。たまにあることなので」
「持病かい?」

 徐々に気持ちが落ち着いて、トリーシャは大きく息を吐いた。にこりと笑みを取り繕い、木の幹を支えにして立ち上がる。

「とりあえず、食事にしませんか」

 ヴィタリは難しげにトリーシャを眺めたが、トリーシャが話したくないと思っているのを察知したのか、しかたがなさそうに頷く。

「そうしようか」

 ヴィタリはトリーシャの背に手を添えて、トリーシャが転ばないように気遣ってくれた。おかげでヴィタリの流れるようなエスコートを受けて、トリーシャは気づけば東屋のベンチに座っていた。

(なんて見事な誘導だ)

 ヴィタリはトリーシャの不自然な様子を追及するだろうかと心配したが、ヴィタリはすでにベンチに用意していた水筒を見せた。

「君がサンドイッチをごちそうしてくれるから、私は紅茶を用意してきたよ。はい、どうぞ」

 籠の中から美しい白磁の茶器を取り出して、テーブルに置くと、ヴィタリは水筒の中身をカップに注いだ。
 湯気とともに、香しさが立ち昇る。

「その水筒は……?」
「最近、魔法使い師団で開発している魔法道具でね。保温の魔法がかけられているんだ。すごいでしょ」

 ヴィタリは子どもみたいに自慢した。

「……先ほどの魔法使いは?」
「仕事の関係で話していたんだよ」
「そうなんですか」

 ヴィタリの詳しい役職は知らないが、上位にいるのは間違いない。他部署からの伝達でも受けたのだろうか。
 トリーシャは質問しようか迷ってやめた。王城で平穏に過ごしたければ、好奇心には蓋をしなければならない。それっきり口をつぐんで、籠からサンドイッチを取り出す。
 ふと顔を上げると、ヴィタリが苦笑していた。

「リィは賢すぎるね。聞きたいことがあれば聞けばいい。業務上で答えられないことにはそう返すよ」

 ヴィタリはそう言うと、迷った様子で少し沈黙してから口を開く。

「君が不快にならないといいのだけど。噂を聞いたんだ」

 トリーシャはすぐにぴんときた。

「もしかして、僕の魔法使い嫌いについて?」
「うん。先ほどの様子を見るに、嫌いというより……怖い?」
「どこまで知っているのか聞きたい」
「元婚約者のことも全部だよ」
「そっか……」

 やはりヴィタリは情報を手に入れられる位置にいる人間のようだ。トリーシャはむしろ気が軽くなった。あの事件について自分から全てを説明するのは、今でもストレスだった。
 トリーシャは苦々しい気持ちとともに笑みを浮かべる。

「聞いた通りだよ。元婚約者に殺されかけて以来、魔法使いが怖いんだ。僕はささいな魔法を使える程度の凡人だから」

 それから、急いで付け足す。

「もちろん、全ての魔法使いが悪いとは思ってはいないよ。でも、どうしても怖くて……。あの白いマントと〈枝〉を見るだけで、気分が悪くなる」
「一応、弁解させてほしい。魔法使いが一般人に危害を加えるのは、重罪だ」
「ええ。それでもレルギは……、あ、元婚約者は、彼は殺人未遂ではなく傷害罪に問われて、労働刑になった」
「その……傷は深いのかい?」

 ヴィタリは恐る恐る問う。彼の淡い緑の目は、心配だと訴えている。トリーシャは首を横に振る。

「いえ、魔法で攻撃されたわけじゃないんだ。転移門を通った後に置き去りにされたんだよ」
「……どこに?」
「寒地スノーホワイト」

 トリーシャがそう答えた途端、ヴィタリは突然、石のテーブルに額をぶつけた。ゴンッという音が響く。

「あのクソ野郎、よりによって、あの危険地帯を選んだのか。わざとに決まってる」

 ヴィタリがうめくように何かをぼそぼそつぶやくが、トリーシャには何を言っているのか聞き取れない。

「だ、大丈夫? ヴィタリ」

 トリーシャは眉を下げた。

「ごめん、こんな話、聞きたくないよね」
「いやいや、大丈夫。ちょっと激しい怒りが襲ってきたから、なだめるためにこうしただけ」

 ヴィタリはへらりと笑った。その美しい額に血がにじむのを見て、トリーシャがぎょっとする。

「血が出てる!」
「ん? これくらい、すぐに治るよ。問題ない」

 袖で適当に血をぬぐう様に、トリーシャはヴィタリの大雑把さを見た。

「おおよそは聞いていたけど、そいつが何をしたかまでは分からなかったんだ。なぜかそこだけ情報規制がされていてね。恐らく、転移門を悪用する例を示さないためだろう。真似をする者が出てきては困る」

 ヴィタリはしなやかな指先で、自身の顎を撫でる。

「よし、なるほどね。分かった。転移門の利用方法についての修正案を出しておくよ。君の被害を無駄にはしない。二度と、同じようなことが起きないように、転移先への見届け人をつける運用にしようかな」
「見届け人?」
「転移門を使う時は、一緒に門を通った者は、必ず同じ場所に出るんだ。だから、見届け人がいれば、少なくとも一般人が危険地帯に置き去りにされることにはならない」
「ヴィタリは転移門について詳しいんだね」

 トリーシャは首を傾げる。
 ヴィタリがトリーシャの受けた被害について怒り、冷静に解決策を練ってくれていることをうれしく思う一方で、妙に詳しいので不思議に思った。

「ええと、業務でたまに利用するから。ははは」
「外交の仕事もしているの?」
「うーん、どっちかというと、外交への付き添いかな?」
「なるほど」

 転移門は王国内の各地にあり、隣国に近い地点にもある。移動の短縮をはかるため、政務官はよく使うのだ。

「この件は任せておいてくれ。リィの気持ちが、少しでも慰められることを願うよ」
「ヴィタリ……」

 トリーシャの胸に熱いものがこみ上げた。

「ヴィタリは友人に優しいんだね。こんなふうに言ってくれた上位の方は初めてだよ」
「勘違いしないでほしいのだけど、リィ」

 ヴィタリはむっと眉を寄せる。

「君は友人よりも、もっと特別だよ。私は君を贔屓ひいきしているんだ」

 トリーシャは目を丸くする。

「そんなに堂々と、えこひいきしてると言われたのは初めてだ」
「それじゃあ、ちゃんと理解して。困ったことがあったら、私に助けを求めてくれ。絶対に助けるから」

 ヴィタリは約束だと、右手を差し出す。トリーシャは、どうしてここまで親切にしてくれるのだろうかと戸惑いながら、握手を返す。

「あの……ありがとう」
「いいんだ。これは私の自己満足だから、負担には思わないで」
「……うん」

 ヴィタリという男が優しいことだけは理解して、トリーシャは頷いた。
 ヴィタリはにこりと微笑み、手を離す。

「それじゃあ、君が作ってくれたサンドイッチを食べるとしよう。あ、紅茶が冷めてしまったね」
「このままで大丈夫だよ」

 ヴィタリはトリーシャが作ったサンドイッチを、美味しいと褒めた。初めて作ってこんなに上手なんて天才だという、やや過剰なリップサービス付きだが、トリーシャは悪い気はしなかった。
 気づけば過去のことなど忘れて、和やかな時間を過ごした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

歳上公爵さまは、子供っぽい僕には興味がないようです

チョロケロ
BL
《公爵×男爵令息》 歳上の公爵様に求婚されたセルビット。最初はおじさんだから嫌だと思っていたのだが、公爵の優しさに段々心を開いてゆく。無事結婚をして、初夜を迎えることになった。だが、そこで公爵は驚くべき行動にでたのだった。   ほのぼのです。よろしくお願いします。 ※ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。

使用人の俺を坊ちゃんが構う理由

真魚
BL
【貴族令息×力を失った魔術師】  かつて類い稀な魔術の才能を持っていたセシルは、魔物との戦いに負け、魔力と片足の自由を失ってしまった。伯爵家の下働きとして置いてもらいながら雑用すらまともにできず、日々飢え、昔の面影も無いほど惨めな姿となっていたセシルの唯一の癒しは、むかし弟のように可愛がっていた伯爵家次男のジェフリーの成長していく姿を時折目にすることだった。  こんなみすぼらしい自分のことなど、完全に忘れてしまっているだろうと思っていたのに、ある夜、ジェフリーからその世話係に仕事を変えさせられ…… ※ムーンライトノベルズにも掲載しています

名もなき花は愛されて

朝顔
BL
シリルは伯爵家の次男。 太陽みたいに眩しくて美しい姉を持ち、その影に隠れるようにひっそりと生きてきた。 姉は結婚相手として自分と同じく完璧な男、公爵のアイロスを選んだがあっさりとフラれてしまう。 火がついた姉はアイロスに近づいて女の好みや弱味を探るようにシリルに命令してきた。 断りきれずに引き受けることになり、シリルは公爵のお友達になるべく近づくのだが、バラのような美貌と棘を持つアイロスの魅力にいつしか捕らわれてしまう。 そして、アイロスにはどうやら想う人がいるらしく…… 全三話完結済+番外編 18禁シーンは予告なしで入ります。 ムーンライトノベルズでも同時投稿 1/30 番外編追加

【短編】眠り姫 ー僕が眠りの呪いをかけられた王子様を助けたら溺愛されることになったー

cyan
BL
この国には眠りの呪いをかけられ、眠り続ける美しい王子がいる。 王子が眠り続けて50年、厄介払いのために城から離れた離宮に移されることが決まった頃、魔法が得意な少年カリオが、報酬欲しさに解呪を申し出てきた。 王子の美しさに惹かれ王子の側にいることを願い出たカリオ。 こうして二人の生活は始まった。

悩ましき騎士団長のひとりごと

きりか
BL
アシュリー王国、最強と云われる騎士団長イザーク・ケリーが、文官リュカを伴侶として得て、幸せな日々を過ごしていた。ある日、仕事の為に、騎士団に詰めることとなったリュカ。最愛の傍に居たいがため、団長の仮眠室で、副団長アルマン・マルーンを相手に飲み比べを始め…。 ヤマもタニもない、単に、イザークがやたらとアルマンに絡んで、最後は、リュカに怒られるだけの話しです。 『悩める文官のひとりごと』の攻視点です。 ムーンライト様にも掲載しております。 よろしくお願いします。

初恋を諦めるために惚れ薬を飲んだら寵妃になった僕のお話

トウ子
BL
惚れ薬を持たされて、故国のために皇帝の後宮に嫁いだ。後宮で皇帝ではない人に、初めての恋をしてしまった。初恋を諦めるために惚れ薬を飲んだら、きちんと皇帝を愛することができた。心からの愛を捧げたら皇帝にも愛されて、僕は寵妃になった。それだけの幸せなお話。 2022年の惚れ薬自飲BL企画参加作品。ムーンライトノベルズでも投稿しています。

左遷先は、後宮でした。

猫宮乾
BL
 外面は真面目な文官だが、週末は――打つ・飲む・買うが好きだった俺は、ある日、ついうっかり裏金騒動に関わってしまい、表向きは移動……いいや、左遷……される事になった。死刑は回避されたから、まぁ良いか! お妃候補生活を頑張ります。※異世界後宮ものコメディです。(表紙イラストは朝陽天満様に描いて頂きました。本当に有難うございます!)

異世界転生先でアホのふりしてたら執着された俺の話

深山恐竜
BL
俺はよくあるBL魔法学園ゲームの世界に異世界転生したらしい。よりにもよって、役どころは作中最悪の悪役令息だ。何重にも張られた没落エンドフラグをへし折る日々……なんてまっぴらごめんなので、前世のスキル(引きこもり)を最大限活用して平和を勝ち取る! ……はずだったのだが、どういうわけか俺の従者が「坊ちゃんの足すべすべ~」なんて言い出して!?

処理中です...