千里眼の魔法使い

夜乃すてら

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千里眼の魔法使い5 --小鳥の帰る家--

5-1 変わり者の魔女

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 王都から、ギグーの牛車ぎっしゃで南へ一週間行った所に、エイダ・アレットの治める領地がある。
 王国内でも温暖な土地で、丘がいくつも連なり、葡萄ぶどう畑や小麦畑が続いている。
 長閑で豊かな場所だ。
 赤レンガと黒い屋根瓦が上品な屋敷は、とりわけ高い丘の上にあった。門から広々とした前庭を通り抜け、玄関先で牛車が止まる。
 牛車を降りると、使用人がずらりと並んで出迎えた。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 中年くらいの執事がお辞儀すると、メイド達も一斉に礼をとった。エイダが執事に近付いて問う。

「バリー、どんな具合だ?」
「は、お命じになられた通り、つつがなく用意しております。離れのご用意も」
「乳母は? あの子達の世話を頼みたい。必要ならメイドも使っていい」
「畏まりました」

 執事がちらりと振り返ると、ふっくらした優しそうな女性がお辞儀をした。乳母のようだ。

「彼女が新しく雇いました、乳母のアンナです。アンナ、ご挨拶を」
「よろしくお願いします」
「うむ。イスル・ブランカ、この女性の世話になる、仲良くやりたまえ」

 エイダが振り返って言うので、イスルは丁寧に頭を下げた。

「よろしくお願いします、アンナさん。僕も出来る限り面倒を見ますので」
「勉強を教えるのはイスル・ブランカが得意だから、それ以外を頼むとしよう。それからバリー、こちらは客のグエン男爵だ。イスル・ブランカの……」

 エイダはどう紹介すべきか迷い、サリタスをじっと見た。サリタスはにこりと笑う。

「お付き合いしています、サリタス・グエンといいます。しばらく滞在するので、どうぞよろしく」

 同性の恋人だと名乗っても、執事はぴくりとも表情を変えず、お辞儀した。

「何かご用件がございましたら、何なりとお申し付け下さい」

 エイダは薄ら微笑んだ。サリタスのきっぱりした言葉に、イスルは安堵と気恥ずかしさを覚える。

「グエン男爵とイスル・ブランカは離れに。子ども達は母屋に案内を――手筈通りに」
「はい、畏まりました、旦那様」
「ラナ、お前もこちらだ」

 イスルの傍にくっついていたラナは、エイダに手招かれてショックを受けたようだった。

「何で? 私は師匠といる!」
「そうですよ、僕は構いませんよ」

 反発するラナにイスルも頷いたが、エイダは呆れた顔をした。

「イスル・ブランカ、私の気遣いが分からないのか? 男爵の休暇中くらい、二人でゆっくり過ごせと遠回しに言っていたつもりだ」
「二人で……ゆっくり……?」

 ぱちくりと目をしばたたき、遅れてイスルは理解して、顔を赤くした。あわあわするイスルの隣で、サリタスが嬉しそうに返す。

「ありがとうございます、伯爵」
「ちょ、ちょっとサリタス」

 サリタスがここぞとばかりにイスルの肩を抱き寄せるので、イスルはうろたえた。その様子を見たラナは、急に素直になってエイダの傍に行く。

「分かった。夫婦の時間は邪魔しちゃ駄目だって、お母さんとお父さんが言ってた」
「夫婦じゃないよ!?」

 声が裏返ってしまったイスルに、ラナは生ぬるい視線を返す。

「慌てなくても、私、ちゃんと分かってるよ、師匠。神官の娘だもの。聖堂には色んな人が来る。神様の愛は公平なの、愛し合う人を邪魔すると天罰が下るのよ」
「ははは、ラナはませているな」

 エイダがたまらないと声に出して笑い、ラナの頭を撫でた。ラナはにっこり笑い、エイダの左手を取って勝手に繋ぐ。
 執事がおやという顔をした。余程意外だったのか、周りの使用人も驚いている。
 この気恥ずかしい空気をどうすればいいのだと、イスルがはらはらしていると、玄関から小柄な女性が出てきた。
 緑の髪を三つ編みに結った、丸眼鏡の女性だ。白い肌をしていて、鼻の頭にはそばかすが散っており、理知的な目は緑色をしている。
 地毛ではありえないので、髪は染めているのだろう。
 彼女は薄水色のドレスの上に白衣を着ていた。

「これは閣下、お出迎えが遅れまして大変失礼しました。地下にこもっていたら、時間を忘れてしまいましてね」

 女性は慇懃に礼をした。

「出迎え? いったい何の天変地異の前触れだ。いつもは私の帰宅程度では出てこないだろうが」

 エイダが不気味そうに言い、一歩退く。

「心外ですなあ。これでもこのマリー・フォレスト、閣下には敬意を抱いておりますよ。何せ、僕にとっては大事な金づる……いえ、飯の種ですからね」
「少しは隠さないか、マリー」

 執事が咳払いとともにたしなめるが、マリーは気にしていない。

「あれ? フォレストって、もしかしてウォルさんの妹さんですか?」

 エイダの従者、ウォルリード・フォレストを思い出したイスルの問いに、マリーは目を丸くする。それにはエイダが答えた。

「マリーはウォルリードの妻だ」
「妻ぁ!? あの人、結婚してらしたんですか? 初耳です」

 マリーはふふっと楽しげに頷く。

「僕の旦那様は、それは恥ずかしがりなので、僕の話はしないんですよ」
「……知られるのが恥だと思っているのは確かだ」

 エイダがぼそりとささやいた。
 イスルは混乱する。
 マリーは女性名だが、主語が僕だ。痩せている上、胸のふくらみもささやかだ。もしかして女装している男で、だから恥なのだろうか。

「ええと、ええと……ミスター?」

 何とか絞り出した質問に、その場にいた面々が噴き出した。マリーがその筆頭で、腹を抱えてひいひいと笑う。

「分かる、君がこの数秒で何を考えたのか。僕が女装している男だとでも思ったのかい? 残念だけど、性別は女だ。僕が変わっているのは自覚している。僕の旦那は僕を恥だと思っているが、仕方がない。僕が無理矢理押しかけて結婚したからね。口では悪く言うが、愛はある男だよ」

 にやにやと笑い、マリーはイスルを観察する。

「いやあ、可愛らしい男だ。お近づきの印に、プレゼントをあげよう」

 白衣の内ポケットから、コルクで蓋をした試験官を取り出す。中には赤色の液体が詰まっていた。

「そちらが恋人かな? うーん、どちらが上だい?」
「上?」

 きょとんとするイスルの後ろで、サリタスが何とも言えない顔でマリーを見た。

「君か! これをあげるよ。お楽しみの時に使うといい。塗るんだよ、いいね? 飲んでも問題はないけど」
「ええと……」

 押し付けられたサリタスは、困ってエイダを伺う。エイダはこめかみに指先を押し当てる。

「マリー! またお前は、下らん薬を作っていたのか?」
「夫婦の仲を良くする薬ですよ。下らなくはない。よく売れるんですよ?」
「研究費は充分にやっているだろう!」
「これは趣味です。ポケットマネーで開発していますからご安心を」
「安心できるかーっ」

 怒鳴るエイダの足元に氷が生えだした。イスルなら謝っている怖さだが、マリーはけらけらと笑っている。
 ふとイスルは気付いた。いつの間にか、乳母やメイドが子ども達の耳を塞いでいる。

「死の風の生き残りに、協力願いたいことがあるのだが、また今度にしよう。暇になったら研究室に来て、いいね、ええと……」
「イスル・ブランカです」
「イスル君」

 マリーは頷いた。
 だが、イスルはそれで終わりには出来ない。薬と聞いてはじっとしていられなかった。

「よく分かりませんが、内容のよく分からないものをサリタスに飲ませるわけにはいきません。少し失礼しますよ」
「え?」

 サリタスから薬を取り上げ、イスルは蓋を抜いた。まずはにおいをかぐ。

「ふむ、ベリー系の香りですね」

 そしてすぐに小指を液体につけ、口に含む。

「イスル、何してんの!?」

 慌ててサリタスが薬を取り返す。イスルはというと、舌に乗せた薬から成分を分析した。

「うーん、これは木苺と、それから麻酔に使う木の実、消毒用のハーブ、それから精力剤の一種? 特に害になるものはありませんね、良かった」
「いやいや、良くない! 水を出して、口をすすいで!」
「何を慌ててるんですか、サリタス。この程度では効果なんてたかが知れています。何に使うのだか、分かりませんけど。内容から察するに、栄養剤でしょうか?」

 大慌てのサリタスに対し、イスルは冷静に返す。
 マリーは大爆笑している。

「これはすごい! 薬師とは聞いていたが、腕が良いな。なめただけで分かるか。面白い。いいね、君、気に入った!」

 マリーは目を輝かせ、更に新しく瓶を追加して、サリタスに握らせる。

「これがあれば最高に燃える一夜になるぞ、君。僕のとっておきだ」
「やめんか! お前のその低俗で下品なところが恥だと言っておるのだ、馬鹿者!」

 エイダの雷が落ちたが、マリーは笑うばかりである。

「人間が生き残ってきたのは、その低俗で下品なところのせいですよ。僕は神秘を感じているのです」
「面白がっているだけだろうが!」
「あ、分かりました?」
「ウォルリードが屋敷に寄りつかんのは、お前が薬の実験台にするからだろう。旦那ならもっと労わってやれ」
「ええ、慰めてあげてますよ。精一杯」
「もういいっ」

 エイダが会話をぶった切った。
 マリーはイスルとサリタスに笑いかける。

「では、楽しんでね。イスル君、また会おう。そうだなあ……三日後の夜に母屋の談話室で。その頃には回復しているだろう」
「え? 体調は良いですが……」

 笑いながら去っていくマリーを、イスルはぽかんと見つめる。サリタスは赤い顔をして、疲れたように溜息を吐くが、イスルには何も言わない。
 エイダが執事に手で示す。

「バリー、ただちに二人を離れに連れていってやれ。――イスル・ブランカ、馬鹿な真似をしたな。見知らぬ薬になんて手を出すな。あの魔女の薬は最悪だぞ」
「毒は入ってませんけど」
「もういいから、行け」

 エイダに促され、イスルは首を傾げながら、サリタスとともに執事についていく。
 どうして皆、可哀想なものを見る目でイスルを眺めるのだろう。まったくもって不可解だ。
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