24 / 34
千里眼の魔法使い5 --小鳥の帰る家--
5-1 変わり者の魔女
しおりを挟む王都から、ギグーの牽く牛車で南へ一週間行った所に、エイダ・アレットの治める領地がある。
王国内でも温暖な土地で、丘がいくつも連なり、葡萄畑や小麦畑が続いている。
長閑で豊かな場所だ。
赤レンガと黒い屋根瓦が上品な屋敷は、とりわけ高い丘の上にあった。門から広々とした前庭を通り抜け、玄関先で牛車が止まる。
牛車を降りると、使用人がずらりと並んで出迎えた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
中年くらいの執事がお辞儀すると、メイド達も一斉に礼をとった。エイダが執事に近付いて問う。
「バリー、どんな具合だ?」
「は、お命じになられた通り、つつがなく用意しております。離れのご用意も」
「乳母は? あの子達の世話を頼みたい。必要ならメイドも使っていい」
「畏まりました」
執事がちらりと振り返ると、ふっくらした優しそうな女性がお辞儀をした。乳母のようだ。
「彼女が新しく雇いました、乳母のアンナです。アンナ、ご挨拶を」
「よろしくお願いします」
「うむ。イスル・ブランカ、この女性の世話になる、仲良くやりたまえ」
エイダが振り返って言うので、イスルは丁寧に頭を下げた。
「よろしくお願いします、アンナさん。僕も出来る限り面倒を見ますので」
「勉強を教えるのはイスル・ブランカが得意だから、それ以外を頼むとしよう。それからバリー、こちらは客のグエン男爵だ。イスル・ブランカの……」
エイダはどう紹介すべきか迷い、サリタスをじっと見た。サリタスはにこりと笑う。
「お付き合いしています、サリタス・グエンといいます。しばらく滞在するので、どうぞよろしく」
同性の恋人だと名乗っても、執事はぴくりとも表情を変えず、お辞儀した。
「何かご用件がございましたら、何なりとお申し付け下さい」
エイダは薄ら微笑んだ。サリタスのきっぱりした言葉に、イスルは安堵と気恥ずかしさを覚える。
「グエン男爵とイスル・ブランカは離れに。子ども達は母屋に案内を――手筈通りに」
「はい、畏まりました、旦那様」
「ラナ、お前もこちらだ」
イスルの傍にくっついていたラナは、エイダに手招かれてショックを受けたようだった。
「何で? 私は師匠といる!」
「そうですよ、僕は構いませんよ」
反発するラナにイスルも頷いたが、エイダは呆れた顔をした。
「イスル・ブランカ、私の気遣いが分からないのか? 男爵の休暇中くらい、二人でゆっくり過ごせと遠回しに言っていたつもりだ」
「二人で……ゆっくり……?」
ぱちくりと目をしばたたき、遅れてイスルは理解して、顔を赤くした。あわあわするイスルの隣で、サリタスが嬉しそうに返す。
「ありがとうございます、伯爵」
「ちょ、ちょっとサリタス」
サリタスがここぞとばかりにイスルの肩を抱き寄せるので、イスルはうろたえた。その様子を見たラナは、急に素直になってエイダの傍に行く。
「分かった。夫婦の時間は邪魔しちゃ駄目だって、お母さんとお父さんが言ってた」
「夫婦じゃないよ!?」
声が裏返ってしまったイスルに、ラナは生ぬるい視線を返す。
「慌てなくても、私、ちゃんと分かってるよ、師匠。神官の娘だもの。聖堂には色んな人が来る。神様の愛は公平なの、愛し合う人を邪魔すると天罰が下るのよ」
「ははは、ラナはませているな」
エイダがたまらないと声に出して笑い、ラナの頭を撫でた。ラナはにっこり笑い、エイダの左手を取って勝手に繋ぐ。
執事がおやという顔をした。余程意外だったのか、周りの使用人も驚いている。
この気恥ずかしい空気をどうすればいいのだと、イスルがはらはらしていると、玄関から小柄な女性が出てきた。
緑の髪を三つ編みに結った、丸眼鏡の女性だ。白い肌をしていて、鼻の頭にはそばかすが散っており、理知的な目は緑色をしている。
地毛ではありえないので、髪は染めているのだろう。
彼女は薄水色のドレスの上に白衣を着ていた。
「これは閣下、お出迎えが遅れまして大変失礼しました。地下にこもっていたら、時間を忘れてしまいましてね」
女性は慇懃に礼をした。
「出迎え? いったい何の天変地異の前触れだ。いつもは私の帰宅程度では出てこないだろうが」
エイダが不気味そうに言い、一歩退く。
「心外ですなあ。これでもこのマリー・フォレスト、閣下には敬意を抱いておりますよ。何せ、僕にとっては大事な金づる……いえ、飯の種ですからね」
「少しは隠さないか、マリー」
執事が咳払いとともにたしなめるが、マリーは気にしていない。
「あれ? フォレストって、もしかしてウォルさんの妹さんですか?」
エイダの従者、ウォルリード・フォレストを思い出したイスルの問いに、マリーは目を丸くする。それにはエイダが答えた。
「マリーはウォルリードの妻だ」
「妻ぁ!? あの人、結婚してらしたんですか? 初耳です」
マリーはふふっと楽しげに頷く。
「僕の旦那様は、それは恥ずかしがりなので、僕の話はしないんですよ」
「……知られるのが恥だと思っているのは確かだ」
エイダがぼそりとささやいた。
イスルは混乱する。
マリーは女性名だが、主語が僕だ。痩せている上、胸のふくらみもささやかだ。もしかして女装している男で、だから恥なのだろうか。
「ええと、ええと……ミスター?」
何とか絞り出した質問に、その場にいた面々が噴き出した。マリーがその筆頭で、腹を抱えてひいひいと笑う。
「分かる、君がこの数秒で何を考えたのか。僕が女装している男だとでも思ったのかい? 残念だけど、性別は女だ。僕が変わっているのは自覚している。僕の旦那は僕を恥だと思っているが、仕方がない。僕が無理矢理押しかけて結婚したからね。口では悪く言うが、愛はある男だよ」
にやにやと笑い、マリーはイスルを観察する。
「いやあ、可愛らしい男だ。お近づきの印に、プレゼントをあげよう」
白衣の内ポケットから、コルクで蓋をした試験官を取り出す。中には赤色の液体が詰まっていた。
「そちらが恋人かな? うーん、どちらが上だい?」
「上?」
きょとんとするイスルの後ろで、サリタスが何とも言えない顔でマリーを見た。
「君か! これをあげるよ。お楽しみの時に使うといい。塗るんだよ、いいね? 飲んでも問題はないけど」
「ええと……」
押し付けられたサリタスは、困ってエイダを伺う。エイダはこめかみに指先を押し当てる。
「マリー! またお前は、下らん薬を作っていたのか?」
「夫婦の仲を良くする薬ですよ。下らなくはない。よく売れるんですよ?」
「研究費は充分にやっているだろう!」
「これは趣味です。ポケットマネーで開発していますからご安心を」
「安心できるかーっ」
怒鳴るエイダの足元に氷が生えだした。イスルなら謝っている怖さだが、マリーはけらけらと笑っている。
ふとイスルは気付いた。いつの間にか、乳母やメイドが子ども達の耳を塞いでいる。
「死の風の生き残りに、協力願いたいことがあるのだが、また今度にしよう。暇になったら研究室に来て、いいね、ええと……」
「イスル・ブランカです」
「イスル君」
マリーは頷いた。
だが、イスルはそれで終わりには出来ない。薬と聞いてはじっとしていられなかった。
「よく分かりませんが、内容のよく分からないものをサリタスに飲ませるわけにはいきません。少し失礼しますよ」
「え?」
サリタスから薬を取り上げ、イスルは蓋を抜いた。まずはにおいをかぐ。
「ふむ、ベリー系の香りですね」
そしてすぐに小指を液体につけ、口に含む。
「イスル、何してんの!?」
慌ててサリタスが薬を取り返す。イスルはというと、舌に乗せた薬から成分を分析した。
「うーん、これは木苺と、それから麻酔に使う木の実、消毒用のハーブ、それから精力剤の一種? 特に害になるものはありませんね、良かった」
「いやいや、良くない! 水を出して、口をすすいで!」
「何を慌ててるんですか、サリタス。この程度では効果なんてたかが知れています。何に使うのだか、分かりませんけど。内容から察するに、栄養剤でしょうか?」
大慌てのサリタスに対し、イスルは冷静に返す。
マリーは大爆笑している。
「これはすごい! 薬師とは聞いていたが、腕が良いな。なめただけで分かるか。面白い。いいね、君、気に入った!」
マリーは目を輝かせ、更に新しく瓶を追加して、サリタスに握らせる。
「これがあれば最高に燃える一夜になるぞ、君。僕のとっておきだ」
「やめんか! お前のその低俗で下品なところが恥だと言っておるのだ、馬鹿者!」
エイダの雷が落ちたが、マリーは笑うばかりである。
「人間が生き残ってきたのは、その低俗で下品なところのせいですよ。僕は神秘を感じているのです」
「面白がっているだけだろうが!」
「あ、分かりました?」
「ウォルリードが屋敷に寄りつかんのは、お前が薬の実験台にするからだろう。旦那ならもっと労わってやれ」
「ええ、慰めてあげてますよ。精一杯」
「もういいっ」
エイダが会話をぶった切った。
マリーはイスルとサリタスに笑いかける。
「では、楽しんでね。イスル君、また会おう。そうだなあ……三日後の夜に母屋の談話室で。その頃には回復しているだろう」
「え? 体調は良いですが……」
笑いながら去っていくマリーを、イスルはぽかんと見つめる。サリタスは赤い顔をして、疲れたように溜息を吐くが、イスルには何も言わない。
エイダが執事に手で示す。
「バリー、ただちに二人を離れに連れていってやれ。――イスル・ブランカ、馬鹿な真似をしたな。見知らぬ薬になんて手を出すな。あの魔女の薬は最悪だぞ」
「毒は入ってませんけど」
「もういいから、行け」
エイダに促され、イスルは首を傾げながら、サリタスとともに執事についていく。
どうして皆、可哀想なものを見る目でイスルを眺めるのだろう。まったくもって不可解だ。
21
お気に入りに追加
91
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
魔術師の卵は憧れの騎士に告白したい
朏猫(ミカヅキネコ)
BL
魔術学院に通うクーノは小さい頃助けてくれた騎士ザイハムに恋をしている。毎年バレンタインの日にチョコを渡しているものの、ザイハムは「いまだにお礼なんて律儀な子だな」としか思っていない。ザイハムの弟で重度のブラコンでもあるファルスの邪魔を躱しながら、今年は別の想いも胸にチョコを渡そうと考えるクーノだが……。
[名家の騎士×魔術師の卵 / BL]
飯屋の娘は魔法を使いたくない?
秋野 木星
ファンタジー
3歳の時に川で溺れた時に前世の記憶人格がよみがえったセリカ。
魔法が使えることをひた隠しにしてきたが、ある日馬車に轢かれそうになった男の子を助けるために思わず魔法を使ってしまう。
それを見ていた貴族の青年が…。
異世界転生の話です。
のんびりとしたセリカの日常を追っていきます。
※ 表紙は星影さんの作品です。
※ 「小説家になろう」から改稿転記しています。
【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!
楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。
(リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……)
遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──!
(かわいい、好きです、愛してます)
(誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?)
二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない!
ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。
(まさか。もしかして、心の声が聞こえている?)
リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる?
二人の恋の結末はどうなっちゃうの?!
心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。
✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。
✳︎小説家になろうにも投稿しています♪
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる