至宝のオメガ

夜乃すてら

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本編 第二部(シオン・エンド編)

113. 月市で

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 ゆっくり休んでいるうちに、フェルナンド領の月市が開かれる時期になった。
 護衛をしっかりとつけて、僕はシオンとともに市場を観光しに出かけることにした。
 僕がエフォザに来た頃は、大広場は閑散としていたのに、それが一変して、整然と並んだ白いテントの屋台が出現している。

「わあ~」

 馬車の窓に張り付いて、僕は感嘆の声を上げる。
 あんな事件があった後だから、外出は遠慮するべきかもと迷っていたが、不審者が一掃された現在のほうが、むしろ以前よりも安全だからとネルヴィスに説得され、こうして出てきて正解だった。
 当のネルヴィスは遠慮して、フェルナンド領の騎士を護衛につけただけで、屋敷から見送った。僕のほうが寂しくなるくらいの、線引きっぷりである。

 ちょっと落ちこむ僕に、タルボはこれがオメガを至上とあがめる世界での、貴族のありようなのだと教えてくれた。オメガが相手を選んだら、それ以外はすぐさま身を引くのがルールで、すがりつくのは神殿の不興を買う行為なんだとか。

「どこにこんなにテントがあったんですか? 人もたくさんいますね」

 僕の独り言に反応して、タルボが向かいの席から説明する。

「テントはフェルナンド領が設置しているそうですよ。看板を置くのは自由ですが、通行の邪魔にならないようにとルールがあるそうです。普通、行商となると屋台は商人が用意するものですが、ここは設置済なので、空いたスペースにさらに商品を持ち込めると好評らしいですね」

 僕の左隣にいるシオンが、感嘆の声を出す。

「そうすると、さらに物資が入ってきて、商いが活発化するわけですか。場所が限られるから、激戦でしょうね」
「ええ。月市の終わりに、次の月市への参加権をかけたくじが行われるそうですよ」
「え? 参加権を買うのではなく?」

 入札という、高い金をつけた者が買うスタイルを想像していたので、僕には驚きだった。商人といえば、できるだけ利益を得ようとするものだ。領主が運営している事業だから、公共事業と考えたほうがいいのだろうか。

「まずはくじ引きをして、参加権を手に入れた者が、場所代を払って予約するそうです。商団と個人店でブースが分かれていて、どちらかにしか参加できません。恨みっこなしの勝負のようです」
「上手くできていますね」

 シオンはうなりながら、手帳にメモを付ける。フェルナンド領の商人としての姿勢は、シオンには勉強になるようだ。

「レイブン領では、月市は?」

 僕が問うと、シオンは首を振る。

「年を通してという形ではありませんね。冬は魔獣討伐と積雪で移動できないので、それ以外の期間は月市があります。収穫祭のほうがにぎわいますよ」

 レイブン領は〈黒い森〉の影響で育つ希少な植物を特産品とする以外は、牧畜をメインにしている。農作物は領内の食をまかなう程度しかなく、領民は市場にチーズや毛織物を持ち込んで、外から来た商人に必要なものを物々交換してもらっているようだ。

「物々交換……?」

 僕が首を傾げると、タルボがすぐに教えてくれた。

「食べ物と服を交換するというようなことですよ」
「えっ、お金にかえてから買うのではなく?」
「都会ではそのほうが便利ですが、田舎ですと物々交換のほうが手っ取り早いのだそうですよ。レイブン卿には失礼ですが」

 タルボが断ると、シオンは苦笑で返す。

「分かっているので大丈夫ですよ」
「ディル様があちらに嫁がれましたら、ディル様がいらっしゃるだけで恩恵がありますから、レイブン領はいくらか豊かになるでしょうね」

「嫁いでも、神殿から予算が出るんですか?」
「それもありますが、使徒の奇跡のほうですよ。幸せであれば土地が豊かになります。不幸ならば……」
「ああ、そうでしたね」

 呪いが発生したり、災害に見舞われたりするんだったと、僕はアカシアのことを思い浮かべた。

「ディル様は感情の制御がお上手なので、よほどのことがなければ、レイブン領に被害が起きることはないかと」

 タルボが思惑ありげに、ちらりとシオンを見る。シオンは背筋を正して返事をした。

「もちろん、誠心誠意、ディル様に愛を示しますとも」
「タルボってば、お嫁さんいびりみたいな真似をしないでくださいよ」

 ちくちくと嫌味を言うタルボに、僕は文句を言う。

「私は嫁ぎ先には参りませんので、輿入れまでは釘を刺しまくりますよ」

 反省するどころか、タルボはそう主張した。僕は傍仕えの代わりに、シオンに謝る。

「すみません……」
「いいんですよ、ご家族の心配は当然です」

 シオンがさらりとタルボを僕の家族扱いしたので、タルボは面くらってから、顔を赤くした。

「ごまをすろうったってそうはいきませんよ」

 どうやらタルボのウィークポイントを突いたようだった。言葉にトゲがあるわりに、タルボは照れているように見える。シオンはにこりと笑って問う。

「お義兄にいさんと呼ぶべきですか?」
「調子に乗らないでいただきたい!」

 義兄呼びはアウトのようだ。
 僕はつい笑みをこぼす。

「タルボは気難しいですねえ。それにしても、嫁いだ後は、もう会えないんですか?」
「いえ、オメガ様は年に二回、夏至と冬至の祭事には顔を出すことになっていますので、そちらでお会いできますよ。体調が許す範囲でとなりますので、義務ではありませんが」

「寄付金集め?」
「あなたがたの生活資金でもありますし、我々との面会の場でもあります。結婚生活で何か問題があれば、必ず相談してください」

 そういえば、結婚後、神殿に参拝することで、神官は妻のほうの様子見をして、問題があれば介入すると言っていた。オメガの場合、祭事を通して確認しているということか。

「困ったことに、世の中には、結婚さえしてしまえば、オメガを自分の持ち物として不当に扱ってもいいと思っている者がおりまして。レイブン卿はそんなことはないでしょうが、結婚後に性格が変わる悪党がいるのですよ。ですから、番契約については、そんなにすぐにしないようにとおすすめしています」

 僕は無意識に防護布に触れる。

(あの苦しい発情期をずっと耐えるのは無理だろうから、できれば早く契約してしまいたいんだけどなあ)

 それでも、前世での王太子との一件を思い出すと、自然と眉が寄った。

「ディル様、私は無理にとは申しませんので……。あなたと番契約を結べたらうれしいですが、あなたの受けた傷を思えば、契約を警戒するのはもっともです」

 僕の腕にそっと手を添え、シオンはいたわりをこめて言った。

「番契約を結ばず、結婚と離婚を繰り返したオメガもございますよ」
「タルボ、それは今、言うべきことではないかと」
「事実です。とにかく、最低でも半年は様子見期間をもうけることをおすすめします」
「他のオメガもそうなんですか?」
「アドバイスはしますが、聞き入れるかはオメガ次第です。例えば、ラファルエル様はすでに番契約をしておりますからね」

 そういえば、ラファルエルは首に防護布を付けていなかったなと、おぼろげな記憶を引っ張り出した。それよりも、あの時は、彼の美しさに目を奪われていたのだ。

(スタンピードの時、シオンは怒っていても、僕には絶対に手を上げなかったし、普段も優等生だから大丈夫だと思うんだけどなあ)

 母親を見れば大事にしているのが分かるのだ。神官が傍にいるから、裏の顔を隠しているとも思えない。
 僕がシオンの横顔をじっと見ていると、シオンは苦笑した。

「あなたが安心できるまで、私はいくらでも待ちますよ」
「疑っているわけでは……ごめんなさい」

 誤解させてしまったようだと、僕は焦りを覚える。
 ちょうどそのタイミングで、馬車とまりに着いた。話題を変えられることに、僕はほっとした。



 人でにぎわう月市でも、護衛に守られている僕の周りだけは、綺麗に空間ができる。
 好意と尊敬の視線があちらこちらから向けられ、いつかのように、祈りを捧げる民もいた。
 時折、彼らに手を振ってあげたりしながら、紗のかかったベール越しに、僕は屋台を覗いて回る。

「わあ、あれはなんでしょう」

 好奇心で離れようとすると、シオンの腕にかけていた右手が固定されていて、引き戻された。

「ディル様、約束しましたよね?」
「……はい、市場では、シオンの傍から離れないんですよね」

 以前の襲撃がよほどシオンにはこたえたようで、馬車を降りる前に約束したのだった。

「一緒に見ましょう」
「では、あちらへ」

 単独行動さえしなければ、なんでも付き合ってくれるようなので、僕はおずおずと希望を口にする。

(な、なんか、今更だけど、腕を組んで歩くのって照れる)

 今まで、エスコートされるのが当然で、それに対して何かを感じたことはなかったのに、両想いになった途端にこれとは、いろんな意味で恥ずかしい。
 ベールをしているおかげで、顔が赤いのはばれていないはずだと言い聞かせ、ガラス細工を眺めていると、市場にざわめきが広がった。

「ディル!」

 民衆が騒ぐのは当然だ。神の使徒がもう一人現れたせいである。

「ラファ?」

 僕が驚いている間に、ラファルエルはオランドの手を引っ張るようにして、こちらに駆けてくる。

「すぐそこのホテルに泊まっていてね。上から見えたから、会いに来たんだ。久しぶり、体調を崩していたそうだけど、あれからどうかな」

 感情を抑えていないラファルエルは、朗らかで快活な少年だ。牢で会った時の情緒不安定さはまったく見当たらない。彼の首に赤い痕を見つけて、僕は納得した。あれから新婚らしく甘い日々を送っていたのだろう。気持ちが安定するはずだ。

「問題ありませんよ。レフがおおげさに心配するから、大人しく養生していたんです」
「え?」
「なんですか?」
「てっきり、恋人と上手くいったから、部屋から出してもらえないだけかと思ってたよ」
「ふぁっ!?」

 放り投げられた爆弾発言に、僕は奇声とともに飛び上がった。ラファルエルは大笑いをする。

「ディルレクシアがそんな態度をしていると面白いな!」
「からかわないでくださいよっ」

 僕の抗議は、ラファルエルにはかわいいものとして笑って流された。

「俺がそうだったから、そうかと思ったんだけど」
「ちょっとは照れるくらいしてくださいよ……。まあ、なんにせよ、再会できて良かったですね」

 堂々とのろけられると、呆れるものらしい。僕がラファルエルの伴侶であるオランドのほうを見ると、彼はバッと片膝をついて頭を下げた。

「大それた願いをお聞き届けくださり、心から感謝申し上げます。ラファルエル様はもちろんですが、ディル様がご無事で何よりでございます」
「その件は許します。と言っても、罪悪感がおありでしょうから、今度、レイブン領から発売する新商品を買って、宣伝してくださいね」

「罰ではなく……?」
「ラファを助けに行くと決めたのは僕ですから、僕が何かすることはありませんよ。神殿からのほうは存じ上げませんので、お二人で解決すべきでしょう」

「かしこまりました。その折には、ディル様のお願いを叶えるとお約束いたします」

 緊張に強張った顔のまま、オランドは再び深々と頭を下げる。僕が手で立つように示したので、ラファルエルがオランドに姿勢を戻すようにうながした。

「ディルレクシア、以前より優しくなったね。伴侶を許してくれてありがとう」
「お礼は宣伝でいいですよ」
「はあ。まったくもう、分かったよ」

 ゆるゆると首を振り、ラファルエルは了解と返した。そこでラファルエルは首を傾げる。

「……ん?」
「なんです?」
「んんー?」

 ラファルエルは不可解そうに、僕のほうへ顔を近づける。同性と分かっていても、神像のような美貌が目の前に来ると緊張してしまう。無意識に顔を赤くした時、僕とラファルエルはほとんど同時に後ろに下がらせられた。

「ディル様」
「ラファ、近づきすぎだぞ」

 僕は不満そうな顔をしたシオンに腰を抱き寄せられ、ラファルエルはオランドに後ろから抱きしめられるような格好になっている。

「ははは、どちらもやきもちのようですね」

 タルボが忍び笑いをこぼす。

「ちょっとオランド、離してよ。これはまずい。気のせいじゃないよ」

 ラファルエルはオランドの手を丁寧な仕草で払い、再び僕のほうに近づく。

「お前達、気づいていないの? ディルレクシア、発情期ヒートが始まっているよ」
「は……?」

 僕とタルボの声が重なる。

「いえ、発情期はまだ先のはずですよ」

 僕がタルボのほうを確認すると、タルボは頷く。

「その通りです、ラファルエル様」
「いいや、まだ薄いけど、フェロモンの香りがするよ。同じオメガだから分かる。ほら、熱っぽいじゃないか」

 ラファルエルの手が、僕の額に当てられる。ひんやりとしてやわらかい手の平だ。

「すぐそこに、俺達が泊っているホテルがあるから、避難したほうがいい。ついてきなさい」

 真剣な顔で、ラファルエルは僕越しにタルボに命令した。有無を言わせぬ物言いに、神官や護衛達は「はっ」と了承を返す。

「え? どういうことですか、ラファ。本当に?」
「ディルレクシア、発情期は絶対に同じ周期で来るわけじゃないよ。恋に落ちたら、周期なんかあてにならなくなる。俺がオランドを好きになった後がそうだった」
「そ、それって……」

 カーッと顔が熱くなる。
 心で思うだけでなく、体全体でシオンを好きだと叫んでいるようなものではないか。

「ディル様、失礼します!」
「わっ」

 その瞬間、シオンが僕を腕に抱き上げた。ぎょっとしてしがみつく僕を、ラファルエルが叱りつける。

「馬鹿、こんな所でフェロモンを拡散する奴があるかっ」

 ――そんなことを言われてもどうすれば。

 反論する余裕もなく、ラファルエルとオランドに先導され、僕達は大急ぎでホテルの一室に逃げ込むことになった。
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