至宝のオメガ

夜乃すてら

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本編 第二部(シオン・エンド編)

97. 夢の人物

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 翌日、疲れから昼前に起きると、ブランチをもそもそと食べてから、僕は散歩に繰り出した。

(まったくもう、ネルってば。あんなにあちこちに痕をつけるなんて!)

 昨夜、ネルヴィスは目に毒と言っていた。その意味は、起きて着替えようとして分かった。
 よっぽどシオンが残したキスマークが気に入らなかったのだろう、服を着ていれば見えない位置に、びっくりするくらい赤い痕が散っていた。
 直接会って文句を言わなくては気がおさまらず、僕はタルボとともに屋敷の中を闊歩している。
 玄関ホールにネルヴィスを見つけて、僕は呼びかけた。

「ネル!」
「おや、ディル様。私をわざわざ探してくださったんですか」

 庭師らしき男と話していたネルヴィスは、にこやかに振り返る。

「僕はあなたに文句があってですね!」
「怒っているディル様も綺麗ですねえ」
「真面目に聞いてください!」

 ご機嫌でのほほんとしているネルヴィスに、僕は眉を吊り上げる。

「はい、申し訳ありません」

 ネルヴィスは素直に謝ったが、笑いをこらえているのが一目瞭然だ。

「まったくもう、あなたですね、いくらなんでも……」

 痕をつけすぎだと言おうとして、傍に控えている使用人を思い出した。こんな所で、昨夜は盛り上がりましたと発表するほど、僕は愚かではない。

「とにかく、いったん部屋で話しましょう」
「ええ、かしこまりました」

 分かっているんだかいないのだか、ネルヴィスはにこにこと返す。
 手近な応接室に入ろうとしたところ、フェルナンド家の私兵が玄関から入ってきた。僕がいるのを見て、少し迷ったが、ネルヴィスのもとにやって来る。

「ネルヴィス様、至急ご確認いただきたいのですが」
「どうしました?」
「エスター伯爵が、緊急事態なので協力をあおぎたいとご訪問でいらっしゃいます」
「エスター伯爵? 確か、〈楽園〉のオメガ様と新婚旅行にいらしてましたよね。まさかオメガに関わることですか?」
「そのようです」

 オメガと聞いて驚いたが、そういえば僕がいた〈楽園〉に輿入れを控えているオメガがいると聞いていた。そのオメガだろうか。

「ネル、僕とタルボも同席していいですか? 必要なら、神殿に協力をあおぎやすいですから」
「ひとまずエスター伯爵に会ってみましょう」



 私兵に付き添われて玄関ホールに入ってきたエスター伯爵は、落ち着きがない様子だった。
 黒い髪と黒い目、南方の血が混じっているのだろうか、褐色の肌はエキゾチックな魅力がある。

 ネルヴィスが簡単に教えてくれたが、エスター伯爵は、元は一介の騎士で、下級貴族の三男に過ぎなかった。大神殿の夏至祭に一般客として訪れた時に、舞台に立つオメガの少年とお互いに一目ぼれをして、婚約者候補にのし上がり、そのまま伯爵の地位と土地を与えられて結婚することになったそうである。

 なかなか輿入こしいれが進まなかったのは、急に立場が上がったため、エスター伯爵のほうに準備時間が必要だったせいらしい。

(そんなロマンスもあるんですね、この世界……)

 彼の伴侶となるオメガのことは、僕の知識にはない。
 ここから先はタルボが教えてくれたが、ラファルエルという名で、銀髪碧眼の美少年だそうだ。見かけがはかなげだが、実は健康的な熱血タイプで、決めたら一直線タイプらしい。

(想像がつかなくて混乱してきた)

 だが、ラファルエルは優しい常識人だから、神官からは手がかからなくて助かると思われていたようだ。

「ディル様とタルボ殿も同席なさりたいのですか? もちろんです、そうしていただけると心強いですよ」

 エスター伯爵は固い表情を少しだけゆるめた。

「私はオランド・エル・エスターと申します。オランドとお呼びください」

 それぞれ紹介しあったところで、応接室に移動する。
 メイドがお茶を運んできたが、オランドはそわそわとして、お茶を飲まずに切り出した。

「単刀直入に申し上げます。こちらには新婚旅行に来ていたのですが、昨日の観光中、ラファルエル様が突然さらわれてしまったのです」
「誘拐ですか? すぐに我が領の騎士に……」

 ネルヴィスが冷静に問うと、オランドは眉を寄せる。

「すでに神殿と騎士団には連絡して、支援をいただいています。誘拐ならば、いくらでも条件をのむ用意はあるのですが、なんの音沙汰もありません」

 どういう状況だったかについて、オランドは説明する。
 商店通りを徒歩で散策していた時、突然、爆竹が投げつけられた。腕を組んで歩いていたのだが、ラファルエルが驚いて手を離して逃げた後、騒ぐ人々の群れにまぎれるようにして、誰かに連れていかれた。

「フードをかぶっていたので、誰かは分かりませんが、あのがたいの良さとラファルエル様をかついでいたのを見るに、男でしょう」

 現場は大混乱で、オランドも護衛も後を追おうとしたが、混乱した人々に押しやられて無理だったという。

「ラファルエル様は火が苦手なのです。幼い頃に、無邪気にさわろうとしてやけどしたのが怖かったそうで……」
「爆竹を投げられたら、誰でも驚きますよ」

 ネルヴィスが口を挟んだ。僕は手を挙げて問う。

「あの、バクチクってなんですか?」

 一同、きょとんと僕を見つめた。
 タルボが申し訳ないという顔をして、僕に説明する。

「そうですね、ご存じありませんよね。花火の一種で、破裂音がすごいんですよ」
「破裂音ですか?」
「恐らくディル様は苦手なたぐいと思います」

 うるさい音がする花火だと教えられ、僕はなるほどと思った。思案げに考え込んでいたネルヴィスは、オランドに問う。

「騎士団と神殿に協力を要請済みならば、我が家に何を手伝って欲しいのですか」
「私は人に任せて、待っているのは性に合わないんです」

 オランドは切り出して、書付かきつけをネルヴィスの前に差し出した。

「どうやら、とある犯罪者が潜伏している様子。一網打尽にする協力をお願いしたくまいりました」

 書付を覗きこむと、ネルヴィスが取り上げた。オランドをにらむ。

「あなた、私やレイブン卿にとって、ディル様がどれほど大事か分かっていて、この方の同席を許可しましたね?」
「私にとってもそうであるというだけです。合理的とおっしゃってください」

 にこりと不遜な笑みを返すオランドだが、決然としたところがあった。

「犯人は、神の使徒オメガを狙う過激な信者ですか」

 一瞬で読み取った文面を、僕は口に出す。ただの誘拐よりたちが悪く、時間が勝負なことは理解した。

「つまり、エスター伯爵は、僕におとりになってほしいのですね。いいですよ」

 僕があっさりと承諾すると、息をのんだ人達がいっせいに声を上げた。

「ありがとうございます!」
「「駄目ですよ、ディル様!」」
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