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本編 第一部
68. からかう
しおりを挟むベアズは手を縛られて、町長の家にある納屋に入れられることになった。
本来なら、シオンと同じく、町の裁判所に連れていかれるべきだ。
そうしなかったのは、小さな町の裁判所など広さはたかが知れており、牢は二つに分けられる程度だ。凶悪犯か、それ以外か。アルフレッド王子が誰を買収しているか分からない状況で、逆恨みしそうな屈強な男を、シオンの傍に近づけるわけにいかなかった。
「彼のことはどうすれば?」
どうやら町長は領主派のようで、領民がこっそりと連れてきてくれた。
「尋問していいですよ。ただし暴行はしないこと。水と食料を与えること」
ネルヴィスがさらりと言った。内容はまっとうだったが、これに反発を見せたのは領民だ。
「俺達の領主をぶん殴っておいて?」
「危害を加えたのは、王子殿下であって、彼ではありませんよ。下級貴族の末弟ともなると、王家には逆らえませんから、少し目こぼししてさしあげては?」
領民達は意外そうに、ネルヴィスをまじまじと見る。
「なんです?」
「いやあ、あんた、いかにも冷たそうだから、手段を選ぶなと言いそうで……」
後ろのほうで、若い男がつぶやく。失礼だと、周りが男をたしなめたが、皆もおおむね同意見らしかった。
「直接危害を加えてきたのなら、別ですが。あくまで監視役。下っ端ですよ」
「それもそうですな」
町長が頷くと、周りも納得を見せた。
「さあ、彼らが騒ぎを聞きつける前に連れていってください」
ネルヴィスがうながすと、彼らはどこからか持ち込んだボロマントをベアズに着せ、板に乗せて運んでいった。気絶しているから、連れていきやすい。もしとがめられても、浮浪者が倒れていたと言えば、王子は近づきもしないだろう。
リードもまた、マントを目深にかぶって出て行く。護衛の代わりに、町の騎士を連れてきた。こちらも口裏を合わせ済みだ。
ネルヴィスの配下や町の騎士も出かけた頃、ようやくアルフレッドが異変をかぎつけてやって来た。
「いったい、なんの騒ぎだ? どうして王国の騎士がいない? 職務怠慢で罰してやろうか」
警戒をあらわにしながら、足音荒く踏み込んできたアルフレッドは、ぽかんと口を開けた。
宿の一階にある食堂で、僕がネルヴィスの頬を、水で濡らした布で冷やしてあげていたからだ。――それもネルヴィスの膝の上に座って。
「殿下、ディル様はご傷心なんですよ。お静かになさってください」
無表情で、ネルヴィスが淡々と言った。
「どこが‥…」
アルフレッドは「どこが傷心だ」と言いたかったのだろうが、賢明にもそれ以上は言わなかった。気を取り直して問う。
「何か騒ぎがあったそうだが」
「殿下みずからご確認とは、お仕事熱心ですね。ありがとうございます」
どう聞いても、皮肉だ。
アルフレッドが怖いのは事実だが、ネルヴィスが真顔でおちょくっているのが面白すぎる。僕は笑いをこらえるために、ネルヴィスの肩に額を当てた。どうしても我慢できず、肩がぷるぷると震える。
「それがベアズは問題を起こして、逃走したんです。リードが後を追いました」
「問題?」
「ええ。領主様の無実を訴えようと、女性達がやって来たんですが、その際に、女性の胸に触ってしまったんですよ。かわいそうに! 事故だと言っても、男達が怒り心頭で……」
芝居がかった「かわいそうに!」で、僕は噴き出しかけた。ネルヴィスが僕をとがめようと、足を軽く叩いた。
(ポーカーフェイスといえば聞こえがいいけど、大根役者ですよ)
僕は心の内で言い訳する。
アルフレッドは頬をひくりとひきつらせた。
「そ、そうか。女性の胸を……それはしかたがないな」
「事故とはいえ、ちかんですからね。リードは騎士としてあるまじきと怒って、追いかけていったんです。そのうち戻ってくるでしょう。代わりに、町の騎士を護衛に当てましたので」
「……後で代理をよこす」
「かしこまりました」
大人しく従うふりで、ネルヴィスは首肯した。
そこに、タイミングを見はからってレフが訪ねてきた。
「失礼ですが、ディル様にお目通りいただきたい」
「面会禁止だ。帰れ!」
アルフレッドはすぐに帰したが、僕は口を挟む。
「体調が悪いんです。主治医を通してください」
「駄目だ」
「そうですか。それで僕が倒れたら、あなたの責任ですよ」
責任の所在をはっきりさせると、アルフレッドは眉をひそめる。生意気な奴だと、顔に書かれている。猫をかぶるのはやめたようだ。
(シオンから守るという建前があるんだから、せめて品行方正にふるまうくらいすればいいのに)
まったく、愚かな王子だ。
「――通せ。余計なことをするなよ」
アルフレッドはレフに釘を刺すと、もう興味はないという態度で宿を出て行った。
「仮にも、『強姦された被害者』だというのに、配慮が足りないのでは?」
アルフレッドがいなくなると、レフがいまいましげに呟く。そして、こちらを見て、呆れ顔をした。
「なんですか、その格好は」
「ネルを心配しているんですよ」
僕の答えに、ネルヴィスが補足する。
「という理由で、王子殿下をからかっているんです。これくらいしてもいいでしょ?」
相変わらず、見かけは冷静そのものだったが、ネルヴィスはブチ切れているようだ。にこりとした微笑みは、冷たくてブリザードを思わせた。
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