66 / 142
本編 第一部
64. 推測
しおりを挟む「ディル様」
ネルヴィスが声をかけ、自分の上着を脱いで、僕に着せかけた。あらわになっている胸元を隠し、きっちりボタンをとめられる。
安心させるように抱き寄せられ、僕はやっと少しだけ落ち着いた。すると、なぜか涙があふれてきた。
「どうしましょう、ネル。シオンが……」
喉が震えて、舌がもつれる。
「僕のせいだ。アカシアがここまでするなんて。連れていかれた先で、どんな目にあわされるか。シオンを助けないと」
立ち上がって、すぐに追いかけねばと思うのに、膝が震えて言うことをきかない。
「王妃様が実子であるアルフレッド殿下を次期王に推挙しないのは、あのご気性にも原因があります」
短気なところは、前の世界と変わりないのか。
「しかし、恐らくですが、あれ以上の手出しはされないかと思うので、ひとまず安心してください」
「どうして分かるんですか? 手出しされなくても、怪我を手当てもされず、放置されるかもしれないのに!」
「裁判で不利になるからですよ」
ネルヴィスの答えは分かりやすかった。
「裁判……?」
「殿下がご自分で言っていたでしょう? 公式に裁判を開く、と。つまり、王家の名声に傷をつけたくないと考えているのでしょう」
「こんな騒ぎにしておいて!?」
無理ではないだろうか。
ネルヴィスは深刻な表情をして頷いた。
「王家ならば、一方的に切り捨てることもできます。それをしなかったのは、あなたというオメガがいるから。このままレイブン卿を処刑して、それをあなたが嘆き騒いだら、それだけでアルフレッド王子の名が悪く広まります。ですが、公式裁判にかけられて有罪だったら違う」
「被害者とされてる僕が違うと言ってるのに、有罪になるわけが……」
「あちらにアカシア様がいるのが問題なんです」
ネルヴィスの指摘に、僕はぐっと黙り込む。
「『純粋なあの方は、哀れにも悪党にだまされているんです』とアカシア様が涙ながらに訴えてごらんなさい。あちらを信じて、あなたを保護しようとするでしょう。あなたの言葉は聞いてもらえないかもしれない」
想像して、気持ちが深く沈んだ。
そこで僕はふと、ネルヴィスを見つめる。
「――あの、ネルは誰の味方なんですか」
ネルヴィスにとって、シオンは面白くない存在だろう。それに、僕の婚約者候補になったのは、そもそも王家と神殿から頼まれたせいだ。フェルナンド侯爵は宰相だというし、王家を優先するのかもしれない。
政治に振り回されるのかと、胸に押し寄せる黒い波に、僕はぐっと歯がみする。
(だめだ。泣いてしまいそう……)
まだどちらも愛していないが、信頼していて好きだとは思っている。そんな感情を抱くのが間違いだったのかという考えがよぎった時、
「失礼な方ですね」
「にゃっ」
なっと言ったつもりだが、ネルヴィスに頬をゆるくつままれて、変な声になった。それで満足したのか、ネルヴィスはパッと手を離す。
「確かに、私はレイブン卿の味方ではありません。しかし、あなたの味方だ。深く傷ついているあなたに、これ以上、トラウマを植えつけるような真似を許すと思います? これでも私はアルフレッド殿下に怒っているのですけどね」
理不尽に殴られましたし。そう付け足して、ネルヴィスは眉間に深くしわを刻む。
蒼白でおろおろしている僕に対し、ネルヴィスはいつも通り落ち着いているように見えるが、威圧感は三割増しだとようやく気付いた。
「ここで話す内容ではありませんね。そこの、一室用意なさい。ディル様と話し合いをします」
「は、はいっ」
宿の従業員が慌てて準備に駆けていく。
上にならすでに部屋があると言いかけ、僕は口を閉ざす。さすがに僕とシオンがよろしくやっていた部屋にネルヴィスを入れるのは、無神経すぎだ。
準備ができると、ネルヴィスは僕を腕に抱える。腰が抜けていた僕は、ありがたく助けてもらった。
こぢんまりとした部屋には、ベッドが二つと、テーブルと椅子がある。ネルヴィスは僕を椅子に下ろし、彼自身は向かいに座る。すぐにネルヴィスの配下がお茶と菓子を運び、部屋を出た。
二人きりになると、ネルヴィスは話の続きを切り出す。
「先ほどの続きですが、今回のことはいろいろとおかしいです。あんな魔獣の波が起きた後に、見計らったかのようにレイブン卿を強姦罪で逮捕? さすがにタイミングが良すぎます」
「えっ。まさかあの波も彼らの仕業だと?」
確かに、有能な魔法使いだというアルフレッドならできないことはないだろうが、魔獣慣れしていないのに森に入るなんて命知らずではないだろうか。
「可能性の話です。不思議なのは、よそ者に厳しいレイブン領の人間が、彼らに気づかなかったことです。外を散歩するだけで、盗人を見るような目を向けるんですよ、ここの人達は」
「そうですか……?」
好意的な温かい目しか向けられていないので、僕は首を傾げる。
「将来、領主の嫁になるかもしれないオメガと、その他では扱いが違うでしょ」
「まだ決めてませんよ!」
「それでも、領民は期待しています。あなたに不快な思いはさせないでしょうよ。とにかく、ちょっと出歩くだけで怪しまれるというのに、アカシア様と王子殿下の一行なんて目立つ行列に気づかないわけがありません。その辺を確認しなくては」
ネルヴィスはつぶやいたが、何か考えこんでいる。まるで当てがあるような沈黙なので、僕は思い切って質問をぶつける。
「ネルには理由が分かるんですか?」
「これも、ただの可能性です。王家がバックについていると殿下がおっしゃっていたので、ありえるかもしれない」
「教えてください、どういうことですか」
「有事の際、王族が逃げるために身を隠す魔導具があるんですよ。鏡の結界といわれるもので、結界内のものの姿が見えなくなります」
「そんなものがあるのですか?」
お忍びに便利そうだなと思いながら、僕は問いかける。
「処刑されたレイブン卿の祖父が壊したとされている魔導具は、結界を張るものでした。イーデスブリーク王家は、結界に関する魔導具をいくつか所有しているんです。どれも国宝で、おいそれと持ち出せません」
「鏡の結界も?」
「ええ。しかし、国王の許可があるなら話は別です。その辺りをはっきりさせられたら、トリックが分かるのですが。公式な裁判なら、三日は猶予があるはずです。調べましょう」
裁判所も、突然、処刑を言い渡すわけではない。王家の圧力があっても、ルール通りに、最低でも三日の調査期間と証人探しはするはずだ。
「ネル、どうしたらシオンへの拷問を阻止できますか?」
調査期間中、容疑者を拷問して真実を聞きだそうとする場合がある。すると、ネルヴィスはため息をついた。
「ディル様、容疑者への拷問は禁止されています」
「そうなんですか?」
「刑罰や処刑の一種で拷問することはあります。まあ、王侯貴族がスパイを捕まえて秘密裏に……ということは公然の秘密ですがね。公式にとついた場合、裁判前に拷問されることはありませんよ。口封じで毒殺されることはありますが、今回の場合はその心配はないかと」
物騒な社会の闇をさらりと語り、ネルヴィスは安心するようにと薄く笑った。
「どうして毒殺の心配はないんです?」
「王子はあなたの傍付きを殴ったことで、罪に問われました。その時、助けに入ったのはレイブン卿でしょう? あの方は、自分が味わった屈辱を、レイブン卿に味あわせたいと考えるはずです」
牢に連れていけと命令していたタルボの声が、僕の頭によみがえる。
そういえば、シオンが連れていかれた状況はあの時と似ていた。
「望みは叶った」
「そうです。裁判にかけて、見世物にすれば王子の復讐は完璧なのでは?」
「なるほど……。狭量な男ですね。ひとまず、シオンが無事だろうと思えるので安心しました。ありがとうございます」
「どういたしまして」
ネルヴィスはお茶を口に運び、切った口端がしみたのか、眉をしかめる。
「ところで、どうしてまたアカシア様は、レイブン卿を罠にはめたんです?」
「僕が結婚して〈楽園〉を出て行くのを良しとしていないようで……。僕と一緒に、〈楽園〉で過ごしたいみたいです」
「私と結婚するかもしれないじゃないですか」
ネルヴィスは不満たらたらの様子である。
「いや、それはアカシアに言ってくださいよ。僕には分かりません」
「次は私を蹴落とすつもりなんですかねえ。あんな純粋そうな顔をして、怖い人だ。それでいて、あちらは王子と結婚して〈楽園〉を出て行きそうですが……。まさか王子のことも駒としか思っていないとか?」
「…………」
何も答えられないが、アカシアの真意が読めなくてゾッとするのは確かだ。
「とりあえず、調べましょう。僕はタルボやレフに会ってきます。それから、領民に協力を求めます」
「私も手勢を使って、状況を把握します」
そろって椅子を立ち、ネルヴィスが扉を開けると、大柄な騎士が立ちはだかっていた。
「外は危険です。外出なさいませんように」
騎士は威圧たっぷりに、こちらをけん制した。
12
お気に入りに追加
1,204
あなたにおすすめの小説

わたしは夫のことを、愛していないのかもしれない
鈴宮(すずみや)
恋愛
孤児院出身のアルマは、一年前、幼馴染のヴェルナーと夫婦になった。明るくて優しいヴェルナーは、日々アルマに愛を囁き、彼女のことをとても大事にしている。
しかしアルマは、ある日を境に、ヴェルナーから甘ったるい香りが漂うことに気づく。
その香りは、彼女が勤める診療所の、とある患者と同じもので――――?
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

王子のこと大好きでした。僕が居なくてもこの国の平和、守ってくださいますよね?
人生1919回血迷った人
BL
Ωにしか見えない一途なαが婚約破棄され失恋する話。聖女となり、国を豊かにする為に一人苦しみと戦ってきた彼は性格の悪さを理由に婚約破棄を言い渡される。しかしそれは歴代最年少で聖女になった弊害で仕方のないことだった。
・五話完結予定です。
※オメガバースでαが受けっぽいです。

欠陥αは運命を追う
豆ちよこ
BL
「宗次さんから番の匂いがします」
従兄弟の番からそう言われたアルファの宝条宗次は、全く心当たりの無いその言葉に微かな期待を抱く。忘れ去られた記憶の中に、自分の求める運命の人がいるかもしれないーー。
けれどその匂いは日に日に薄れていく。早く探し出さないと二度と会えなくなってしまう。匂いが消える時…それは、番の命が尽きる時。
※自己解釈・自己設定有り
※R指定はほぼ無し
※アルファ(攻め)視点

捨てられオメガの幸せは
ホロロン
BL
家族に愛されていると思っていたが実はそうではない事実を知ってもなお家族と仲良くしたいがためにずっと好きだった人と喧嘩別れしてしまった。
幸せになれると思ったのに…番になる前に捨てられて行き場をなくした時に会ったのは、あの大好きな彼だった。
ふしだらオメガ王子の嫁入り
金剛@キット
BL
初恋の騎士の気を引くために、ふしだらなフリをして、嫁ぎ先が無くなったペルデルセ王子Ωは、10番目の側妃として、隣国へ嫁ぐコトが決まった。孤独が染みる冷たい後宮で、王子は何を思い生きるのか?
お話に都合の良い、ユルユル設定のオメガバースです。

婚約者が義妹を優先するので私も義兄を優先した結果
京佳
恋愛
私の婚約者は私よりも可愛い義妹を大事にする。いつも約束はドタキャンされパーティーのエスコートも義妹を優先する。私はブチ切れお前がその気ならコッチにも考えがある!と義兄にベッタリする事にした。「ずっとお前を愛してた!」義兄は大喜びして私を溺愛し始める。そして私は夜会で婚約者に婚約破棄を告げられたのだけど何故か彼の義妹が顔真っ赤にして怒り出す。
ちんちくりん婚約者&義妹。美形長身モデル体型の義兄。ざまぁ。溺愛ハピエン。ゆるゆる設定。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる