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本編 第一部
63. 容疑
しおりを挟む※暴力表現注意
アカシアはここにいるはずのない人間だ。
「アカシア、どうしてここに……。まさか、一人で〈楽園〉を抜け出してきたんですか? なんて危険なことを!」
オメガが一人でふらふらしていては、どんな危険が待ち構えているか分からない。
血相を変えてアカシアを叱ろうとした僕は、続いて入ってきた人間を目にして、踏み出しかけた足を戻した。
アルフレッドが扉から入ってきて、アカシアの肩を抱き寄せる。
「アカシア様、一人で飛び出してはいけませんよ」
アカシアに優しく話しかけ、アルフレッドは甘い眼差しを向ける。アカシアはうれしそうに頬を染め、アルフレッドの肩にすり寄る。
アカシアがアルフレッドを婚約者候補に選んで、それほど経っていないはずだが、アルフレッドはアカシアを上手く手なずけたようだ。
(なんだろう。見ているといたたまれない……)
前の世界で、王太子のアルフレッドに、言葉たくみに良いように扱われていた自分の姿と重なった。
だが、前の世界でもアルフレッドはアカシアを選んでいたから、この二人なら上手くいくのだろうか。それともアカシアを保護すべきなのか。
もんもんとしていると、シオンが僕の前に出て、ネルヴィスもシオンの隣に移動した。シオンの横顔は緊張しており、ネルヴィスはいつも通り余裕ある態度だが、アルフレッドを隙無く見つめている。
「お兄様と僕の間に割り込むなんて、どういうつもり?」
たちまちアカシアは不機嫌そうに眉をしかめる。すると、ネルヴィスが平然と返す。
「いいえ、アカシア様。我々はアカシア様ではなく、アルフレッド殿下とディル様の間に割り込んだんですよ。神殿からの接触禁止の命令をお忘れですか」
「ああ、そうだったね。僕のアルフレッドは、元々はお兄様の婚約者候補だった」
アカシアはしゅんとへこんだ子犬のような顔をして、僕のほうを見る。
「お兄様、不愉快でした?」
「いいえ。それよりアカシア、どうしてここにいるんですか。魔獣の波に巻き込まれたんじゃないですか? 怪我は?」
前の世界での確執よりも、怪我のほうが気になる。僕はシオンの横から顔だけを出して、アカシアに問う。途端にアカシアはパアッと明るい表情を浮かべた。
「お気遣いうれしいです、お兄様! お兄様が旅行するとお城で聞いて、心配で追いかけてきたんです。魔獣のことは大丈夫ですよ。アルフレッドは、優れた魔法使いなので」
そういえば、前にそんなことを聞いた。
前の世界のイメージがあるせいで、どうもアルフレッドと魔法使いが重ならない。
「神殿に許可はとったんですよね?」
「僕がそうしたいと言っているのに、どうして許可がいるんですか?」
僕の質問に、アカシアはきょとんとして返す。これにはさすがに驚く。
「まさか独断で!?」
「私が傍にいるんです。問題などありませんよ」
アルフレッドが口を挟み、アカシアににこりと笑いかける。
「アルフレッドは頼りがいがあって素敵です。お兄様、彼はとても優しいんですよ。僕のお願いをなんでも聞いてくれるんです」
「それは……」
僕は口ごもる。
本当に優しいといえるのか? アカシアを大事に思うなら、無謀は止めるべきなのに。それに、アカシアに何かあったら、アカシアに関係する者が全て破滅する。その危険性も教えているんだろうか。
僕はアカシアを問い詰めたくなったが、ぐっとこらえる。
僕からアカシアと距離をとったのに、責任について問い詰めるのはおかしい。それは一の傍仕えの仕事だろう。
僕が逡巡していると、ネルヴィスが冷笑まじりに口を開く。
「アルフレッド殿下、いったい何をお考えなんですか。アカシア様をこんな僻地までお連れして……。王家へのペナルティーがかせられるかもしれないんですよ。家臣として申し上げますが、あなたはシーデスブリーク王家をつぶす気なんですか?」
僕は内心驚いた。王家取り潰しまでできるのだろうか、神殿は。
(まあでも、王家だって一つの家ですし、血筋だけ守ればいいなら、傍系を擁立すればいいだけですもんね)
王家は国のトップだが、揺るがないわけではない。戦が起きれば王が変わることもある。この世界では、人口減少のせいで戦がないだけで、病気で全滅というパターンも考えられる。それでも、王家は続いていく。
「僻地は言いすぎではありませんかね、フェルナンド卿」
「失礼。辺境でしたね」
シオンが口を挟むと、ネルヴィスはしれっと言い換えた。どちらにしても失礼だ。
「何も問題はない、フェルナンド卿。さすがに私の独断で、こんな勝手はできないからな」
「まさか、王家が後ろ盾についているのですか?」
「私がアカシア様と婚姻するなら、陛下だけでなく、議会も後押ししてくださると確約くださった」
「な……っ」
ネルヴィスはぎょっと目をみはる。
その苦々しい顔を見るに、続きは「何を考えているんだ、あのうつけども」だろうか。
「まだ結婚されていないのに? 目先の利益だけで動いたのですか?」
「アカシア様たっての願いだ。結婚前に、ディル様を影で見守りながら旅をしたい……と。城に帰り次第、式を挙げる予定だ。今頃、陛下が誓約書を〈楽園〉に送っているだろう」
「物事には順序があるのですよ。そんな後出しの真似をして、神殿が怒るとは思わないんですか」
「フェルナンド卿、勘違いするな。この国は誰のものだ? 我らシーデスブリーク王家のものだ! どうして何もかもを神殿に左右されなくてはならんのだ」
アルフレッドもまた、冷ややかな態度で言い返す。そして、にやりと悪い笑みを浮かべた。
「それに、我らのことは些末な問題だ。この大きな問題の前ではな!」
旅の一団が、魔獣のスタンピードに巻き込まれたことだろうか。
僕は身構えたが、なぜかそこでアカシアがアルフレッドの傍を離れ、僕のほうへ駆け寄った。
さすがにオメガが近づいては、シオンとネルヴィスは離れるしかない。
アカシアは正面から僕に抱き着いて、わっと泣き出す。
「かわいそうなお兄様! 魔獣の血で狂った男に、無理矢理手ごめにされるなんて!」
「……は?」
何を言われたのか分からず、僕はあ然と抱き着かれたままになる。
「アカシア? いったい何を……」
「神官達、何をしているの! レイブン卿……いや、そこの薄汚いカラスを捕まえて! あいつは神の使徒オメガを強姦した!」
アカシアが大声で罪状を叫び、周囲がざわりとなる。
オメガが助けを求めたことで、場の空気が嫌なものに変わる。
「ちょっ、何を言ってるの? 僕はそんなことはされてな……わっ」
突然、アカシアが僕のシャツの襟を引っ張った。前をとめていたボタンが飛んで、鎖骨や胸につけられた赤い痕が衆目にさらされる。
「これが証拠だ。かわいそうに、お兄様。僕が来たから、もう大丈夫だよ」
僕にしか見えない近距離で、アカシアは涙を浮かべながら微笑んだ。声は心配しているのに、目は悪意そのもので、僕はゾッとして背筋が凍る。
遅れて、見慣れない神官が飛び込んできて、シオンを取り押さえた。
「待って! シオンは何も悪くない!」
僕は慌てて止めるが、アカシアは僕の腕をつかんだまま離さない。
「行って。お兄様は混乱しているんだ」
二人のオメガの間で困惑する神官達だったが、うろたえている僕に対し、アカシアが落ち着いた態度できっぱりと断言する様は説得力があったようで、アカシアの命令を優先した。
「やめないか! レイブン卿になんの落ち度もないのは、私が証明し……っ」
ネルヴィスが止めたが、アルフレッドに殴られ、テーブルのほうへ派手に倒れ込んだ。
「ネル!」
アカシアの手を払って、僕はネルヴィスを助けようと飛び出す。
「大丈夫ですか?」
「ええ……痛っ」
ネルヴィスは殴られた時に口の端を切ったようで、唇に血がにじんでいるものの、問題ないと顔をしかめつつ首を振る。
「フェルナンド卿! こんな強引なことが許されるとお思いですか、王子」
シオンは踏みとどまって、アルフレッドをにらむ。アルフレッドは剣帯から鞘ごと長剣を外すと、シオンに近づいて、鞘のままでシオンを殴りつけた。
「グッ」
固い鞘で頭を殴られ、シオンの額から血が一筋流れ落ちる。
「犯罪者が、王族に余計な口をきくな。無礼者!」
二回、三回と殴られ、シオンがよろける。いくら体が頑丈でも、頭を狙われればどうしようもない。
「シオン!」
喉から悲鳴のような声が出たが、僕は膝が震えて動けない。
前の世界で、自分がアルフレッドに殴られて、あっさりとゴミみたいに捨てられたことを思い出して、怖くてしかたがなかった。
それでも、この場でシオンを救えるのは自分しかいない。
「アルフレッド王子、あなたこそ無礼だ。僕の婚約者候補に、危害を加えることは許さない!」
アルフレッドはぴたりと暴行をやめ、つまらなさそうに息をつく。
「ああ、まだそうでしたね。公式に裁判をしましょう。安心してください、ディル様。強姦は処刑ですから」
ほの暗い笑みを浮かべ、アルフレッドは神官に指示を出す。
「犯罪者を牢へ連れていけ!」
頭から血を流してぐったりしているシオンを連れて、神官達が宿を出て行く。
それを見届けると、まるで何もなかったみたいに、アルフレッドはアカシアに手を差し出した。
「アカシア様、参りましょう。これで約束は果たしました。私を契約者に選んだあなたは賢いですね」
「ありがとう、アルフレッド。お兄様を助けてくれて。お兄様、後で一緒に食事でもしましょう」
これで問題解決とばかりに、アカシアは無邪気にほほ笑んで、アルフレッドの手を取った。二人が和気あいあいと宿を出て行くのを、僕は呆然と見送る。
あんなアルフレッドの悋気を目の当たりにして、アカシアは何も感じないのだろうか。
アカシアは無邪気で優しい少年だと思っていたが、違ったのだろうか。人一人を罪に問うのを、まるで蟻を踏んだだけみたいに興味もなくやりとげるなんて。
――僕はこんなにも震えが止まらないのに。
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