至宝のオメガ

夜乃すてら

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本編 第一部

49. せめて共にいる時は <side:シオン・エル・レイブン>

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 まさか、レイブン領の女性達による冬の過ごし方が、この地方独特のものだったとは。
 偶然、ディルが見つけ出したことを前にして、シオンの目からうろこが落ちた。
 その後は、ディルとシオンの母・マリアンの独壇場だった。
 シオンだって貴族の生まれだ。それなりに服装のことには詳しいが、ファッションに造詣が深いかというと、そうではない。ディルとマリアンの間で飛び交う服飾用語の意味が分からず、完全に無になった。

(楽しそうで何より)

 出しゃばらずに役立つことをと考えて、書記の役目を引き受け、二人の話をノートにまとめる。
 この点は、ネルヴィスもお手上げのようだ。三割ほどしか分からないからと、同席して話を聞いている。意見を求められれば答えるが、自分から口を挟む真似はしない。

 ディルとマリアンは水を得た魚のようで、生き生きと話し合っている。
 こんなに楽しそうな母を見るのは、ずいぶん久しぶりだ。ディルが病気をして優しくなってから、マリアンまで元気になってきた。

 そして見守るうち、三日が過ぎて、ディルが結論をしっかり話したいからと、シオンと二人の時間をとった。

 商売のためとはいえ、新しい伝統を作り出して、昔からありましたという顔で広めるのはどうかと思ったが、ディルの言う通り、没落寸前の今、手段を選べる状況ではない。誰かを傷つける嘘でもないから、なんとか飲み込めた。

 シオンにとって、最も大事なのはなんなのか。ディルに問われて、シオンは自分が恥ずかしくなったくらいだ。領地と民のためならば、役者にだってなってみせよう。
 シオンが心からの礼を言うと、ディルはシオンの手を取って励ました。

「がんばってください、シオン。もしあなたと結婚しなかったとしても、僕はずっと応援しています」

 頭を殴られたような衝撃があった。
 こんなに身を入れて考えてくれるのに、ディルはシオンとの間に線を引く。
 旅を終えるまで結論は出さないと言われていたのに、シオンはどうしても期待してしまう。神殿の後ろ盾より何より、この優しくて美しい人が自分の妻になって、隣にいてくれはしないか、と。

「ああ、まったく。ディル様は月のような方ですね。美しく輝いていて、まるで手が届きそうなのに、遠い」

 切なさで胸が焦げつく。
 シオンはぎゅっとディルの手を握り返し、目を閉じる。
 多少強引でも、自分のものにしてしまえとささやく悪魔が、心の奥にいる。だが、冷静な自分が、そんな真似をして傷つけるほうが、嫌われるよりずっと嫌だと返す。ディルの優しさには、シオンは優しさと誠実さで応えたかった。
 深呼吸をして落ち着いてから、目を開けた。

「深く案じてくださるディル様の慈悲に、感謝申し上げます」

 床に片膝をついて、ディルの手の甲にキスを落とす。騎士としての最敬礼だ。

「いいんです、シオン。……こちらこそ、ありがとう」

 ディルは礼を言い、何が引き金になったのか泣き出した。シオンには衝動的なものに見えた。

「ごめんなさい、ごめんなさい、ありがとう」
「ディル様……?」

 両手で顔を覆って、ディルは嗚咽をこぼす。
 シオンは戸惑いを込めて見つめていたが、なんとなく、以前のことを思い出した。シオンによく似た誰かに助けられたと話していたのだ。謝る彼は、あきらかにシオンを通して、誰かを見ている。

「私とよく似ているという方と、重ねていらっしゃるのですか」
「…………」

 ディルは黙ったまま答えないが、それは肯定しているのと変わらない。
 シオンの胸に複雑なものがこみ上げたが、口は違うことを訊いていた。

「それほど想われていらっしゃるのに、その方と結ばれないのですか?」

 ディルは〈楽園〉のオメガだ。望めば、たいていのことは叶う。
 すると、彼はたどたどしく答える。

「もう二度と会えないんです。でも、僕はあの人にひどいことをしてしまった。あなたにもひどいことをしている自覚はあります。あなたを助けることで、罪悪感を減らしたかったのかもしれない」

 嗚咽まじりで、つっかえながら話すから聞き取りづらい。だが、この話し方で、真実だと知れた。

(この方があそこまでひねくれてらっしゃったのは、そのせいなんだろうか)

 叶わない望みがディルをむしばんで、あんなふうに冷たくなったのかと、シオンは想像した。
 そして、シオンを婚約者候補に選んだのは、その彼に似ていたからではないか。

 シオンの望みはレイブン領を立て直すことだ。そんな理由でも、選んでくれるなら構わないはずなのに。心には黒々としたものが浮かぶ。だが、ディルの顔があまりに悲しそうなので、あっという間に憐憫にとってかわった。
 ディルがそんな顔をしていると、シオンの胸が痛む。

「ですが、あなたが真剣に助けてくださったのは事実です。何もひどくはありません」

 シオンは精一杯なぐさめたが、ディルは泣き止まない。
 ディルがかわいそうなのに、この瞬間も彼の頭を悩ませている誰かが憎たらしい。

「ディル様」
「……?」

 キスをしたのは、ほとんど衝動的だった。ディルがこはく色の目をまん丸に開くのが、至近距離に見える。驚いた拍子に、涙が止まった。

「その男とは、こんなこともしたのですか?」
「まさか。触れたこともありません」

 この答えは、意外だった。
 ディルとネルヴィスの関係を見ていれば、ディルが体の関係も躊躇しないのは分かっている。

 驚きで固まっているのを良いことに、シオンはディルの手を取って、その手首にキスを落とす。手首へのキスには、欲望という意味がある。遠回しにあなたが欲しいのだと告げたシオンの真意に気づいたのか気づいていないのか、ディルが顔を赤らめた。

「では、こういうことは?」
「し、してませんってば」

 気まずそうに目をそらすディル。シオンはさらに問う。

「愛の告白をしたのですか」
「いいえ」
「あなたのような方にそれほど想われておきながら、告白一つしないなんて、とんだいくじなしですね。そんな情けない男、いつまでも気にかけなくてよろしいかと」
「で、でも」

 今すぐにでも、忘れてしまえばいい。
 ディルを哀れみながらも、頭に居座る誰かを消し去りたい。
 ディルが反論しようとした口を、シオンはキスでふさぐ。彼が離れようとしたので、むきになって舌を深くからめた。

「ん……っ。んんっ」

 少しの間、夢中になってしまい、気づけばディルの息が上がっていた。
 急に我に返って、シオンは罪悪感で胸がじりじりした。そして、虚しさも湧き上がる。どれほどシオンがディルを欲しがっても、この気持ちは一方通行だ。

 ディルはぼーっとこちらを見ている。上気した頬に、うるんだこはくの目。今、ディルがどれほど色っぽい顔をしているか、きっと理解していない。
 シオンは青い目をすっと細めた。

「その似た男がうらやましいし、腹が立ちます。私を見ると、思い出すんでしょう?」
「…………」

 ディルはやはり答えない。
 否定されても、信じられなかっただろうが。

 二度と会えないのに、ディルの胸に居座る誰かがうとましい。その男がシオンと顔が似ているから、ディルと近づけたことだけは感謝するが、それ以外はひたすら邪魔だ。

 せめて共にいる時だけは、ディルにはシオン自身を見て欲しい。
 シオンはディルの頬にキスを落とす。そのまま耳元でささやいた。

「私を見て、その男を思い出したようだと察したら、キスしますね。そのたびに、こちらの記憶で上書きしてさしあげます」
「シ、シオン……?」

 恐る恐る、ディルがシオンを伺う。シオンは笑みを浮かべた。

「思い出していいですよ。キスをする良い口実ができました」

 ディルがそうやってシオンをないがしろにするなら、シオンは実力行使で、その誰かをディルの頭から追い出すしかない。

「もしかして、かなり怒ってます?」
「…………」

 シオンは答えず、また微笑んだ。上手く笑えたつもりだったが、黒い気持ちが出てしまったのか、ディルがおびえて後ろに下がろうとする。
 怖がらせたと気付いて、シオンは反省した。
 シオンはディルを守りたい。相手が誰であれ。それが自分自身だとしても。
 なだめるように、ディルの髪をなでる。

「すみません。あなたには怒っていませんが、その似た誰かに嫉妬してしまいます。母上の言う通りですね。独占欲が強くて申し訳ありません」

 もう一度、ディルの頬にキスをしてから、シオンは椅子を立つ。

「頭を冷やして参ります」
「は、はい……」

 ディルの弱弱しい返事を聞きながら、シオンは応接室の扉を閉める。
 廊下に出ると、はあと重いため息をついて、くしゃりと前髪をかき上げた。

(まさか自分がこんなに嫉妬深いとは……)

 結婚すると決まったわけでもないのに。

(少し距離をとるべきか)

 その考えを、すぐに否定する。

(いや。貴重な期間を無駄にするわけにはいかない。良い子でいたら、負けるだけだ)

 ディルは無意識に他人と距離をとっているし、ライバルがネルヴィスなのだから、遠慮していては後悔するだけだ。

(もしお迎えすることになったとして、ディル様に不自由をさせるわけにはいかない。この事業、全力で軌道にのせなくては)

 心配なのは、王家の横槍だ。
 応接室前から離れようとした時、第五騎士団の部下リードが、廊下の陰からすっと出てきた。

「団長」

 ひそめた声での呼びかけに、内密の報告があるのが分かった。

「リード、ここでの生活はどうだ?」
「楽しくしていますよ。頼まれていた職人への伝言の件ですが」
「ああ、あれだな。私の部屋に行こう。ついでに一緒に茶でも飲みながら、城下の様子を聞かせてくれ」

 他愛のない話だとよそおいながら、使用人に茶を用意させ、執務室に向かう。使用人が茶を置いて出て行くと、リードは廊下に耳を澄ませ、こくりと頷いた。
 静かにシオンの傍に来て、リードはひそひそ声で話す。

「ベアズが動きました」
「予想通りだな。総団長か?」
「恐らく。しかし、総団長はどうして団長の邪魔を?」

 リードはけげんそうにしている。
 元々、護衛として付き添うと言い出したのは、リードだけだった。彼は以前の団長の下で、不遇の憂き目にあっていたので、そこをシオンが助けたから、シオンに恩義を感じてくれていた。
 団内で心から信頼できる、数少ない部下の一人だ。

「地位をおびやかされるかもしれないと、焦っておいでなんだろう。例え〈楽園〉の後援を受けたとして、二十歳の若輩者には総団長などつとまらないというのに。総団長経由で、王家に報告が行っているはずだ」

 第五騎士団のてんでばらばらな騎士達をまとめるのに、半年はかかった。だが、一枚岩ではない。総団長派の人間はいるし、王家の間者もまぎれている。
 シオンは彼らの自由にさせていた。

 なぜなら、彼らはシオンを見張るために、穏便に傍にいなくてはいけない。嫌でも協調性をたもたねばならず、結果として、騎士団の和をたもつくさびになっている。
 分かっていて、シオンも彼らを利用しているのだ。

「新しい伝統案についても、近い内に、報告されるだろうな」
「案がまとまったのですか?」
「ディル様のお考えだが……」

 シオンがリードに簡単な説明をすると、リードは顔に「意外」と書いていた。

「まるで宮廷人みたいな考え方をするものですね。副団長の策士っぷりを思い出しますよ」

 第五騎士団の頭脳の名をあげて、リードはつぶやく。彼なりの誉め言葉だ。

「どうするんですか。そんな嘘、すぐにつつかれますよ」
「ああ。だから、そうされても反論できるように、領内の女性達を味方にするべく、根回しをするつもりだ」

「なるほど。ご婦人方が口をそろえて、昔からの伝統だと言えば、それが真実になるわけですか。恐ろしいことを考えますね」
「男にとっては、触れたくない辺りだからな。レイブン領の女性が反発すれば、宮廷の女性も眉をひそめるだろう」

 女性の持つ影響力は強い。彼女たちの感情を逆なですれば、社交界から締め出される。そうなると痛手が大きい。
 王族だって踏み込みたくない範囲だ。

「リード、ベアズの動きには注意を払っておいてくれ。だが、危険はおかすなよ。数少ない部下を失うのは、私には痛手だ」

「ご心配なく。そもそもこの領内で不審な動きをしていたら、領民が放っておきませんよ。ちょっと出歩いただけで、不審者を見る目をされますしね。きっとベアズもやりにくいでしょう」

 リードはにやりと意地悪く笑った。お茶を飲んでから、リードは執務室を出ていった。
 シオンは領内の女性達に根回しするため、さっそくマリアンに相談することにした。女性のことは、女性に任せないといけない。


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 すみません。ストック切れと体調不良のため、更新が遅くなりました。
 明日、無理そうだったら、またお休みを入れます。
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