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本編 第一部
44. レイブン領
しおりを挟む片道で一週間の馬車の旅は、思ったよりも疲れた。
お忍びとはいえ、神官の厚い警護がついた豪華な馬車が通るので、オメガの一団とばれている。
町や村では、それぞれの長が宴を用意して歓迎してくれたが、毎夜のように続くと負担でしかない。体調がすぐれないからと、少しだけ顔を出して、部屋に入る日もあった。
王都から北へ進むにつれ、空気がひんやりしてきた。シーデスブリーク王国北部には、天剣山脈が広がっていて、その裾野に、広大な森がある。夏でも、山脈の頂上には雪が積もっているのが見えた。
「あの山脈の雪解け水が川になって、王国をうるおす大河になってるんですか」
どうも地理は前の世界と変わりないようで、僕の記憶とも合う。写真資料でしか見たことがなかった山脈は、実際に見るほうが美しい。神々しさから、「天の剣」と呼ばれるわけだ。
「ええ、そうですよ」
窓を開けて、外の景色に見とれていると、丘の向こうに小さな旗がいくつも風になびいているのが見えた。
赤い布に、交差する剣と大ガラスの紋章だ。
レイブン領に入ってすぐの場所で、騎士の一団が待っていた。丘の下で、彼らは手を振る。
「お帰りなさいませ、レイブン伯爵!」
「ようこそいらっしゃいました、栄えあるお方!」
ほがらかで温かく出迎えてくれたのは、レイブン領がゆうする北方騎士団の騎士達だった。
レイブン領の領民は気難しいと聞いていたが、今のところ、僕には朴訥で優しく見えた。
こっそりと窓から見ていると、騎士達と馬を並べ、シオンが年相応の青年らしく笑って話している。
「お友達みたいですね」
シオンは領民に――騎士達に慕われているようだ。
故郷に入って、シオンはリラックスしている。
「レイブン領の方はよそ者に厳しいですが、一度、受け入れると、とても親切と聞きますよ。厳しい冬を助け合って生き延びる土地柄でしょうかね」
タルボはそう説明し、彼も微笑ましそうにシオンらを眺めている。
「それに、季節が良かったかと。今は恵み豊かな夏ですし、魔獣もそこまで活発ではないので余裕があるんでしょう」
「なるほど、良い時期に来たようですね」
夜まで太陽が沈まないこの時期は、作物が豊富にとれる。
北部は痩せた土地が多いそうだから、飢えを気にしないでいられる季節は、彼らを開放的にさせているようだ。
「なんだあ、フェルナンド領の騎士はひょろいじゃないか。そんなんで我らが若君と張り合おうなんざ、いい度胸だな!」
「没落寸前の貧乏貴族こそ、厚かましいですね」
「なんだと~っ」
その一方、レイブン領の騎士と、フェルナンド領の騎士はいがみあっている。どちらも主君の恋愛を応援しているので、熱が入っていた。
とはいえ、子どもみたいな口喧嘩ばっかりだ。北方騎士団の彼らは暴力に走る真似はせず、なぜかポーズをとって筋肉を見せつけ、馬上から彼らを威圧している。
「……彼らは何をしているんですかね?」
「筋肉の自慢大会では?」
珍妙な光景を眺め、僕の口元には笑みがこみあげる。タルボも肩を震わせていた。
レイブン領は畑よりも牧草地が多いようだ。
風が吹いて、草がざあっと揺れる。羊やヤギ、牛といった家畜がのんびりと草をはみ、犬を連れた羊飼いが、鈴のついた杖をカランカランと鳴らして行きかう。
羊飼いや牛飼いはこちらに気づくと、帽子を脱いで頭を下げた。
北方騎士団に守られている一団に、敬意を示しているようだ。
そして、緑深い〈黒い森〉に近づくと、分厚い城壁に守られた城が悠々とそびえたつ。実利を優先した無骨な外観だ。
堀に囲まれ、はね橋を越えると、城壁の中に入れる。入り口には分厚い門の他に、落とし格子があるようで、今は高く吊り上げられていた。
中に入ると、小さな町がある。灰色の家並みだが、扉は色とりどりだ。
「わあ、絵本の家みたいだ」
三角屋根に、カラフルな扉。それぞれに小さくても必ず庭がある。
窓に張り付く僕に、タルボは教える。
「あの屋根は雪が積もらないようにするためで、庭は冬での雪置き場ですね。扉の色は、雪が積もっても、どれが自分の家か分かるようにするための目印だそうです」
「へ~」
とりあえず、彼らは僕を歓迎してくれているようで、通りには人々が出てきて、手を振ってくれた。僕が手を振り返すと、さらに熱を入れて手を振ってくれた。
「よそ者嫌いなのに、優しいですね」
「そりゃあ、将来、ディル様は領主の嫁になるかもしれない人なんですから、良い印象を残そうとするでしょう」
「ああ、そうですよね」
「それに、こういった土地こそ、神官を手厚く歓迎します。死活問題ですから」
「神官の慈善事業への期待もあるわけですか」
寒村に医者の一団が来たと思えば、この歓迎ぶりも理解できる。
「もし、ディル様がこちらに嫁いでこられたら、神殿の後ろ盾から神官が多く派遣されるでしょう。借金問題も解決するので、彼らにとっては良いことづくしです」
「あまりプレッシャーをかけないでください」
「事実ですよ。かといって、同情でお決めになりませんように。まあ、ディル様とレイブン卿のお人柄なら、間違いなくほっこり家庭になりそうですけどね」
確かに、シオンとの結婚生活は想像しやすい。きっといつものあの調子で、優しく大事にしてくれることだろう。
「ネルヴィスなら、どんなふうに思う?」
「惜しみない財力で、物理的に溺愛しつつ、まめに顔を出しそうですよね」
「ああ、うん。ネルって、嫁のために宮殿を一つ建てそうなところがありますよねえ」
僕は半ば冗談で言ったが、タルボは否定しない。
「え? タルボ。冗談ですけど」
「フェルナンド家の家長は、実際、嫁のために屋敷を建てたり、庭園を造ったり、橋を建てて嫁の名前を付けたりしています」
「……スケールが大きすぎて想像がつきませんよ」
その辺の小国より、よほど金を持っていそうだ。
「ディル様のお気持ちが大事なので、それ以外は些末ですよ」
「そこがすごいよね、神殿。寄付金の額で決めるとか……ありそうじゃないですか」
「それは人身売買と何が違うんです? 奴隷なんて言葉を口にするのもおぞましいですのに」
そうだった。こちらの世界は、とにかく人の命を大切にするのだ。
タルボと話すうちに、町を抜けて、城へ入った。広々とした玄関前広場では、使用人が勢ぞろいして出迎えてくれた。
玄関前で馬車が止まる。扉が開くと、シオンが手を差し伸べた。
「レイブン領へようこそ、ディル様。あなたをお招きできる栄誉にさずかり、大変光栄にございます」
僕はにこりと微笑んで、シオンの手を取った。
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