33 / 142
本編 第一部
31. 疑い
しおりを挟む僕は息を飲んで、ネルヴィスの綺麗な顔を見つめる。
「な、何者って……?」
ごくりと飲み込んだ唾の音が、妙に大きく聞こえた気がした。
「さっきあなたが言っていたじゃないですか。『あのディルレクシアは、もういない。旅立った』って」
「聞いていたんですか?」
「そりゃあ、あの騒ぎではどうしても」
僕は声量を落としていたつもりだが、きっとネルヴィスは耳をそばだてていたのだろう。
「フェロモンのにおいも、身体的特徴も同じなのに、あなたはどう見ても違う人間だ。もしかして、双子の片割れとかですか?」
「……いいえ」
「では、記憶喪失?」
「そうではないですけど、似たようなものかも」
ネルヴィス相手に誤魔化しは通用しないだろう。
僕は迷いつつ、正直に答える。
しかし、中身が異世界の自分自身と入れ替わったなど、とても話せない。
「病気をする前と後では、あなたは明らかに変わった。記憶喪失なら、私をベッドに誘いたくなるんじゃないですか?」
首筋にフッと息をかけられ、僕はビクリと震える。
「ちょ、ちょっと!」
慌てて押し返そうとするが、思った以上に力が強く、びくともしない。僕は焦った。ネルヴィスはくすりと笑む。
「冗談ですよ」
「ひ、ひどい。意地悪しないで、離れて……っ」
からかわれたのだと悟り、僕はカアッと顔を赤くする。僕がもがくのを難なく押さえつけ、ネルヴィスは話を続ける。
「別に、あなたが何者かなんてどうでもいいんですが、一つだけ確認させてください」
「なんです?」
僕には意外だった。
ディルレクシアかどうかは、かなり重要だと思う。僕が視線を合わせると、ネルヴィスは真剣な目でこちらを見ていた。
「病気前のディルレクシア様に戻る予定はありますか?」
「え? ありませんけど?」
僕はうっかり、ぽろりとこぼした。失言を悟って、慌てる。
「あ、いや、なんでもないです! 聞き間違いです!」
「しっかり聞こえてましたし、変なところで雑ですよねえ、あなた」
「うっ」
だって、しかたがないではないか。
僕はがんばって気を引き締めているだけで、そうでない時はぼんやりしてしまうのだ。だから不意打ちには弱い。そのせいで、前の世界では、日々、精神力が削られて消耗するばかりだった。
ネルヴィスはにっこり笑う。
「そうですか、戻る予定がないなら良かった。正直、以前のあなたはクソビッチという感じで、嫌いだったんで」
「へ……? クソなんですって?」
「ふふ。ディルレクシア様はご存じの単語も、あなたは知らないんですね。同じ顔なのに、性格が違うだけで、別人に見えるからすごい。あなたみたいな小動物っぽい人、好きなんですよね。いじめたくなるというか」
猫によって、隅に追い詰められたネズミはこんな気分なんだろうか。
僕はサーッと青ざめた。
「ひっ。ちょ、ちょっと、やめっ」
「フェルナンド卿、そこまでに。ディル様が嫌がっておいでだ」
本格的に怖くなって、声に泣きが入ったところで、シオンが戸口から声をかけた。扉は半開きになっていて、シオンが眉をひそめている。
「相変わらずお行儀が良いですね、レイブン卿は」
「そろそろタルボ殿が戻ってこられる。困るのはあなただろう?」
「それもそうですね」
ネルヴィスが上からどいたので、僕は心底ほっとした。布団をかぶって、どうしようかとシオンとネルヴィスを見比べる。
ネルヴィスは部屋の出口から、するりと外へ出た。
そのネルヴィスを、シオンはじっと見ている。また稲光が走り、シオンの青い目が光った。氷のように冷たく見えた。
それからシオンはこちらにお辞儀する。
「驚かせて申し訳ありません、ディル様。アカシア様がひどく取り乱されていたため、タルボ殿は、かの方の傍仕えと席を外されておいでです。一応、退室のごあいさつをと思ったのですが、まずはフェルナンド卿があなたの様子を見たいとおっしゃるので」
「どういう意味ですか?」
「その……フェルナンド卿はディル様のお部屋に入る許可をお持ちですから」
ディルレクシアは、フェルナンドを寝屋に呼んでいた。そのせいだろう。僕は理由をさとって、気まずくなる。
「フェルナンド卿のお戻りが遅いので、念のために確認にまいりました。お邪魔してしまいましたか?」
「いえ、そんなことはありません。ありがとうございます!」
慌てて髪を手櫛で整えて、ベッドから抜け出す。
「あ、あの、放置してしまってすみません。ひどい嵐なので、今日のところは、お二人とも中央棟の客室にお泊まりください。タルボに話しておきます」
「ご慈悲に感謝いたします。……ところで、大丈夫ですか?」
「え?」
「アカシア様と口論なさって、傷ついたように見受けられます。〈楽園〉のオメガは、血より濃い絆を持つそうですね。そんなに泣くほど落ち込まれて……」
「分かるんですか? こんなに暗いのに」
部屋には明かりがなく、時折、稲光が照らす程度だ。暗いから見えないだろうと油断して、僕は適当な身なりで戸口に近づいていた。
「私は多少、夜目がきくもので」
シオンは戸口から動かず、僕の顔に手を伸ばす。指先で、目元をやんわりとぬぐった。
稲光にひらめいた一瞬、シオンは苦しげな顔をしていた。
「……シオン?」
「きっとあなたにとっては、フェルナンド卿のように、なんでもお持ちの方がいいのでしょうね。それでもディル様を望んでしまう私を、どうかお許しください」
そして僕の右手を取ると、恭しく指先に口付ける。
シオンがお辞儀をして、廊下を静かに去っていく。
僕は膝から力が抜けそうになり、戸口にしがみついた。
バクバクと心臓が鳴っている。
(どっちかと結婚すると宣言してしまったけど、どうしよう……)
シオンは優しくて、丁寧に接してくれる。ネルヴィスは意地悪だが、なぜかディルレクシアではないとばれ、今のディルのほうが好きだと言う。そう言われてほっとした自分がいるのだ。
アカシアのことで感じていたもやもやが、吹っ飛ばされてしまった。
(今は無理だ。選べない!)
とにかく旅を終えてから、決めるしかなさそうだ。
だが、どちらかと結婚するのだと思うと、今までは平気だったのに、急に意識してしまう。
どうして今までなんとも思わなかったのか不思議でならない。
タルボが戻ってくるまで、僕は再びベッドに飛び込んで、布団を頭からかぶった。
22
お気に入りに追加
1,201
あなたにおすすめの小説
【完結】別れ……ますよね?
325号室の住人
BL
☆全3話、完結済
僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。
ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!
梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!?
【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】
▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。
▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。
▼毎日18時投稿予定
もう人気者とは付き合っていられません
花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。
モテるのは当然だ。でも――。
『たまには二人だけで過ごしたい』
そう願うのは、贅沢なのだろうか。
いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。
「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。
ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。
生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。
※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
とまどいの花嫁は、夫から逃げられない
椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ
初夜、夫は愛人の家へと行った。
戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。
「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」
と言い置いて。
やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に
彼女は強い違和感を感じる。
夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り
突然彼女を溺愛し始めたからだ
______________________
✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定)
✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです
✴︎なろうさんにも投稿しています
私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ
迷子の僕の異世界生活
クローナ
BL
高校を卒業と同時に長年暮らした養護施設を出て働き始めて半年。18歳の桜木冬夜は休日に買い物に出たはずなのに突然異世界へ迷い込んでしまった。
通りかかった子供に助けられついていった先は人手不足の宿屋で、衣食住を求め臨時で働く事になった。
その宿屋で出逢ったのは冒険者のクラウス。
冒険者を辞めて騎士に復帰すると言うクラウスに誘われ仕事を求め一緒に王都へ向かい今度は馴染み深い孤児院で働く事に。
神様からの啓示もなく、なぜ自分が迷い込んだのか理由もわからないまま周りの人に助けられながら異世界で幸せになるお話です。
2022,04,02 第二部を始めることに加え読みやすくなればと第一部に章を追加しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる