至宝のオメガ

夜乃すてら

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本編 第一部

31. 疑い

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 僕は息を飲んで、ネルヴィスの綺麗な顔を見つめる。

「な、何者って……?」

 ごくりと飲み込んだ唾の音が、妙に大きく聞こえた気がした。

「さっきあなたが言っていたじゃないですか。『あのディルレクシアは、もういない。旅立った』って」
「聞いていたんですか?」
「そりゃあ、あの騒ぎではどうしても」

 僕は声量を落としていたつもりだが、きっとネルヴィスは耳をそばだてていたのだろう。

「フェロモンのにおいも、身体的特徴も同じなのに、あなたはどう見ても違う人間だ。もしかして、双子の片割れとかですか?」
「……いいえ」
「では、記憶喪失?」
「そうではないですけど、似たようなものかも」

 ネルヴィス相手に誤魔化しは通用しないだろう。
 僕は迷いつつ、正直に答える。
 しかし、中身が異世界の自分自身と入れ替わったなど、とても話せない。

「病気をする前と後では、あなたは明らかに変わった。記憶喪失なら、私をベッドに誘いたくなるんじゃないですか?」

 首筋にフッと息をかけられ、僕はビクリと震える。

「ちょ、ちょっと!」

 慌てて押し返そうとするが、思った以上に力が強く、びくともしない。僕は焦った。ネルヴィスはくすりと笑む。

「冗談ですよ」
「ひ、ひどい。意地悪しないで、離れて……っ」

 からかわれたのだと悟り、僕はカアッと顔を赤くする。僕がもがくのを難なく押さえつけ、ネルヴィスは話を続ける。

「別に、あなたが何者かなんてどうでもいいんですが、一つだけ確認させてください」
「なんです?」

 僕には意外だった。
 ディルレクシアかどうかは、かなり重要だと思う。僕が視線を合わせると、ネルヴィスは真剣な目でこちらを見ていた。

「病気前のディルレクシア様に戻る予定はありますか?」
「え? ありませんけど?」

 僕はうっかり、ぽろりとこぼした。失言を悟って、慌てる。

「あ、いや、なんでもないです! 聞き間違いです!」
「しっかり聞こえてましたし、変なところで雑ですよねえ、あなた」
「うっ」

 だって、しかたがないではないか。
 僕はがんばって気を引き締めているだけで、そうでない時はぼんやりしてしまうのだ。だから不意打ちには弱い。そのせいで、前の世界では、日々、精神力が削られて消耗するばかりだった。
 ネルヴィスはにっこり笑う。

「そうですか、戻る予定がないなら良かった。正直、以前のあなたはクソビッチという感じで、嫌いだったんで」
「へ……? クソなんですって?」

「ふふ。ディルレクシア様はご存じの単語も、あなたは知らないんですね。同じ顔なのに、性格が違うだけで、別人に見えるからすごい。あなたみたいな小動物っぽい人、好きなんですよね。いじめたくなるというか」

 猫によって、隅に追い詰められたネズミはこんな気分なんだろうか。
 僕はサーッと青ざめた。

「ひっ。ちょ、ちょっと、やめっ」
「フェルナンド卿、そこまでに。ディル様が嫌がっておいでだ」

 本格的に怖くなって、声に泣きが入ったところで、シオンが戸口から声をかけた。扉は半開きになっていて、シオンが眉をひそめている。

「相変わらずお行儀が良いですね、レイブン卿は」
「そろそろタルボ殿が戻ってこられる。困るのはあなただろう?」
「それもそうですね」

 ネルヴィスが上からどいたので、僕は心底ほっとした。布団をかぶって、どうしようかとシオンとネルヴィスを見比べる。
 ネルヴィスは部屋の出口から、するりと外へ出た。
 そのネルヴィスを、シオンはじっと見ている。また稲光が走り、シオンの青い目が光った。氷のように冷たく見えた。
 それからシオンはこちらにお辞儀する。

「驚かせて申し訳ありません、ディル様。アカシア様がひどく取り乱されていたため、タルボ殿は、かの方の傍仕えと席を外されておいでです。一応、退室のごあいさつをと思ったのですが、まずはフェルナンド卿があなたの様子を見たいとおっしゃるので」

「どういう意味ですか?」
「その……フェルナンド卿はディル様のお部屋に入る許可をお持ちですから」

 ディルレクシアは、フェルナンドを寝屋に呼んでいた。そのせいだろう。僕は理由をさとって、気まずくなる。

「フェルナンド卿のお戻りが遅いので、念のために確認にまいりました。お邪魔してしまいましたか?」
「いえ、そんなことはありません。ありがとうございます!」

 慌てて髪を手櫛で整えて、ベッドから抜け出す。

「あ、あの、放置してしまってすみません。ひどい嵐なので、今日のところは、お二人とも中央棟の客室にお泊まりください。タルボに話しておきます」
「ご慈悲に感謝いたします。……ところで、大丈夫ですか?」
「え?」

「アカシア様と口論なさって、傷ついたように見受けられます。〈楽園〉のオメガは、血より濃い絆を持つそうですね。そんなに泣くほど落ち込まれて……」
「分かるんですか? こんなに暗いのに」

 部屋には明かりがなく、時折、稲光が照らす程度だ。暗いから見えないだろうと油断して、僕は適当な身なりで戸口に近づいていた。

「私は多少、夜目がきくもので」

 シオンは戸口から動かず、僕の顔に手を伸ばす。指先で、目元をやんわりとぬぐった。
 稲光にひらめいた一瞬、シオンは苦しげな顔をしていた。

「……シオン?」
「きっとあなたにとっては、フェルナンド卿のように、なんでもお持ちの方がいいのでしょうね。それでもディル様を望んでしまう私を、どうかお許しください」

 そして僕の右手を取ると、恭しく指先に口付ける。
 シオンがお辞儀をして、廊下を静かに去っていく。
 僕は膝から力が抜けそうになり、戸口にしがみついた。
 バクバクと心臓が鳴っている。

(どっちかと結婚すると宣言してしまったけど、どうしよう……)

 シオンは優しくて、丁寧に接してくれる。ネルヴィスは意地悪だが、なぜかディルレクシアではないとばれ、今のディルのほうが好きだと言う。そう言われてほっとした自分がいるのだ。
 アカシアのことで感じていたもやもやが、吹っ飛ばされてしまった。

(今は無理だ。選べない!)

 とにかく旅を終えてから、決めるしかなさそうだ。
 だが、どちらかと結婚するのだと思うと、今までは平気だったのに、急に意識してしまう。
 どうして今までなんとも思わなかったのか不思議でならない。
 タルボが戻ってくるまで、僕は再びベッドに飛び込んで、布団を頭からかぶった。
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