至宝のオメガ

夜乃すてら

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本編 第一部

06. 因縁でしょうか

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 頭からつま先まで血の気が引いた気がした。
 周りに知り合いがいなかったから、まったく知らない異世界で目が覚めたのだと思い込んでいた。
 同じ人物がいるという可能性に、僕は衝撃を受けて固まる。
 あの日の言葉が、よみがえる。

 ――貴様との婚約は破棄する! その忌々しい番契約もだ。

 呆然としている僕の前で、アルフレッドにそっくりな男はお辞儀をして、僕の右手を取った。

「数日寝込まれておいでだったとか。心配していたのです。お見舞いを許してくださればよろしいのに、いとしい方」

 甘い言葉をささやいて、彼は僕の右手の甲にキスをした。
 おぞけが走り、僕は手を払っていた。椅子を立ち、大きく身を引く。

 吐き気がした。怖かった。
 彼だけでなく、タルボも驚いて息を飲む。
 僕は身をひるがえし、彼から一目散に逃げ出した。

「えっ。お待ちください、ディルレクシア様!」
「ディルレクシア様!」

 タルボが呼び止めると同時に、彼が走り出した。

(ひいっ、追ってくる!)

 僕はさらに恐ろしくなり、走る速度を上げる。

(足に力が入らない。やだ、嫌だ嫌だ嫌だ)

 病み上がりだし、ディルレクシアはさほど鍛えていない。
 僕は前の世界では、体力をつけるために剣術をたしなんでいた。子どもを作り、無事に産み育てるには、オメガは貧弱すぎる。ある程度鍛えないと、出産で体力がもたないせいだった。

 ここで起きてから体調が悪かった。それに、自殺した直後でもあったから、心が沈んでいて、何もしたくなかった。寝込むしかなかったのは、いっそ僕にとって良いことだった。下手に考える時間があると、アルフレッドに捨てられた日を思い出して、ぐるぐるとするからだ。
 僕が角を曲がったところで、誰かとぶつかりそうになった。

「あっ」

 よけようとして、足首がグキッと嫌な音がする。そのまま横へ倒れそうになるのを、相手は僕の腰を引いて抱き寄せることで回避する。

「おっと、危ない!」

 若い男の声だ。
 人一人を支えたにもかかわらず、男はよろけもしなかった。僕の腕をつかむ力も強く、たくましさを感じられる。
 ドキッとしたのは、そのせいだけではない。

(どこかで聞いたような)

 男の胸元に抱きとめられる格好のまま、僕はなつかしさを感じた。そろりと視線を上げる。

「あなたは……」

 銀髪碧眼の美しい青年は、アルフレッドから捨てられた後も、僕を見捨てずに傍にいてくれた護衛騎士その人だった。かっちりとした黒い上着とトラウザーズ姿が、シックに決まっている。

「ディルレクシア様、勝手に触れる無礼を失礼しました」

 青年はパッと身を離し、丁寧にわびる。

「あ……っ」

 しかし、さっき足をひねった僕は再びよろけた。思わず、目の前にある物をつかむ。青年の腕だ。その拍子に、袖についていた飾りを引きちぎってしまった。

「あ!」

 嫌な音がして、僕は青ざめる。青年のほうも驚きを見せた。青年が離れたせいで、僕がへたりこんだせいだ。

「もしや、足を痛めたのですか。タルボ殿はどちらですか?」

 青年が差し伸べた手を、他の手が払いのける。

「ディルレクシア様に触るな! レイブン卿!」

 汚いものを見るような目をして、アルフレッドのそっくりさんが言った。レイブン卿と呼ばれた青年は眉をひそめ、無言で身を引く。
 その彼を、僕が引き留める。

「待って! 助けて!」

 僕の護衛騎士ではないのに、僕はとっさにすがりつく。

「ディルレクシア様、そんな男ではなく、私が……」
「嫌だっ。触らないで、気持ち悪い!」

 猫なで声で腕をとろうとされ、僕はヒステリックに叫んだ。絶対に離すものかと、レイブン卿に正面から抱き着く。

「ディ、ディルレクシア様……?」

 レイブン卿は戸惑いがちに僕を呼ぶ。

「助けて、シオン」

 ほとんど無意識に、彼の名前を呼んでいた。

「ええ、よく分かりませんが、そうおびえなくても大丈夫ですよ」

 僕がガタガタと震えているので、レイブン卿は僕の背中を優しく叩く。そして、声に険を混ぜて、あの男に問う。

「ディルレクシア様をこんなに怖がらせるとは、いったい何をされたのですか、アルフレッド王子」

 びっくりした。やはりこの男、この世界でのアルフレッドなのだ!

「何もしていない! ごあいさつしただけだ。人聞きの悪いことを言うな。騎士風情が!」

 僕はビクッと身を震わせる。

(ああ、この世界でも、騎士を見下すような人なんだ! 怖い……っ)

 二人の男が言い争うのを、タルボが止める。

「失礼ですが、殿下、どうぞお帰りください。出口はあちらですよ」
「貴様っ、私を誰だとっ」

「第三王子殿下だと理解しておりますよ。そして、ここは〈楽園〉。外界の権力など一切関係ありません。お帰りくださらなければ、ペナルティーが付きますけれど、王家はそれでよろしいんでしょうかね?」

 聞いたこともない冷ややかな声で、タルボが牽制する。

「くっ。しかたない。ディルレクシア様、失礼いたします」

 アルフレッドは礼をして、その場を離れていく。

(第三王子? こっちだと王太子じゃないんだ)

 足音に耳を澄ませながら、僕はぎゅうぎゅうとレイブン卿にしがみつく。

「ディル様、そんなに力を入れると、レイブン卿の服が破れてしまいます」

 タルボにやんわりと声をかけられ、恐怖で縮こまっていた僕はハッと我に返る。

「あ……」

 上着は皺くちゃで、ボタンが取れかかっているではないか。
 その瞬間、僕は首をすくめた。きっと殴られた後に、処罰を受けると思ったのだ。

「ご、ごめんなさ……っ」

 じわっと目に涙が浮かぶ。
 レイブン卿は僕の頭をやんわりと撫でた。

「そんな叱られた子どものような顔をなさらないでください。この程度、修繕すればいいだけです」
「怒らないんですか?」
「〈楽園〉であなたを怒れる身分の者は一人もいませんが」

 僕がタルボのほうを見ると、タルボはその通りだと頷いた。

「で、でも、駄目です、そんな……。タルボ、この方に新しい服をご用意してさしあげて」
「かしこまりました、ディルレクシア様」

 タルボは慇懃にお辞儀する。
 僕はへたりこんだまま、頭を下げる。

「すみません、レイブン卿……。助けてくれてありがとうございました」

 そして顔を上げると、レイブン卿は驚愕で固まっていた。

(ディルレクシア、君って人は!)

 どうやらレイブン卿への態度も、ひどいものだったみたいだ。僕としては恥ずかしくてしかたがない。

「あ、そうだ。お礼にお茶でも……いたっ」

 立ち上がろうとして、右足首に痛みが走る。

「ディルレクシア様、足を痛められたのですか? ここからだと、レフ先生の所にお連れしたほうが早いですね。ええと……」

 僕がレイブン卿の袖をつかんだままなのを見て、タルボはにやりと笑う。

「ではレイブン卿、ディルレクシア様を運んでいただけますか。私、ちょっと腰を痛めてるんですよねえ」
「それは大変ですね。ディルレクシア様がよければ、お手伝いいたしましょう」

 え……? なんでウィンクするんだ、タルボ。

 僕はタルボの行動に戸惑ったが、このまま礼もせずにレイブン卿を帰したくなかった。

「あなたのご都合が良ければ……お願いしても……?」

 用事があるといけないのでそう断ると、レイブン卿は首を振る。

「いえ、予定はありません。今日はあなたへのお見舞いの品をお持ちしただけなので」
「そうなんですか。ありがとうございます」

 僕が礼を言うと、やはりレイブン卿は息をのむ。僕は気まずくてしかたがない。

「では、失礼します」

 レイブン卿は僕を抱える。いわゆるお姫様抱っこという格好だ。
 どうやら彼は柑橘系の香水を付けているようだ。

(前の世界でも、同じ香りがしていたな)

 近衛騎士は貴族しかなれないから、護衛騎士の彼も貴族の端くれだ。騎士になるのは、次男以下だから、彼もそうなんだろうか。裕福な実家を持つ、物静かな男だった。
 僕はなんだかとても安心して、そのままうとうとと寝入ってしまった。
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