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番外編
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しおりを挟むオルヴァがルヴィスに付き添って、滞在先のホテルまで辻馬車に乗りこむのを見送った頃には、王立図書館の警備が現場に駆けつけた。
サリエから事情を聞くや、すぐに警備は上司を呼びに走る。警備の長は五分もせずに現れ、状況を把握すると、まずは敷地内にあるマンホールの巡回をするようにと、部下に命じた。
「西の壁公にお手間をとらせ、申し訳ございません。この場は我々が引き継ぎますので」
敬礼する警備の長に、ブラッドリーは魔法使い協会の対応や現状について、簡単に情報共有をする。
「は……? 鼠の魔物が都市内に出没していると? そのような伝達は受けておりません」
「騎士団のほうには、今朝報告したばかりだ。ここまで被害が増えているとは……王都の魔法使い協会の鈍足さには呆れたものだよ」
ブラッドリーが愚痴をこぼすが、警備の長は苦笑を返すだけだった。下手なことを言えば、方々に恨まれるからだ。
「それでは、後は任せる。私は休暇に来たのでな」
「は。ご協力に感謝いたします!」
状況把握をしたばかりの警備ですら、こんなふうに迅速な対応をしている。それなのに、魔法使い協会ではまだ会議中だったのを思い出して、ニコルはなんとも言えない気持ちになった。ブラッドリーが協会で話していて、彼らの対応の遅さに驚くのも理解できる。
「ひとまず、叔父上に連絡しておこう」
ホテルに着くなり、ブラッドリーは手早く手紙をしたため、部下にハウゼン家に急いで届けるように言いつけた。
「これでいい。あとは叔父上の陣頭指揮が物を言うだろう」
「早く収束するとよろしいですね」
ニコルはほっとした。
今日の残り時間は、ホテルでゆっくりするつもりだ。ニコルが外套を脱いでいると、ノックの音がして、レインが顔を出した。
「旦那様、ニコル様、ただいま戻りました」
「レイン、もう帰ってきたの? ゆっくりしてきてよかったのに」
「お気遣いはうれしいですが、行きたい所は全て回ってきましたよ。それに、雨が降ってまいりましたので」
「本当だ」
レインに言われて初めて、窓を濡らす雫に気づいた。
「王都は一年を通して、雨が多いそうです。この辺りの人達は、濡れても平気そうにしていました。俺はよその土地で濡れるのはごめんです」
レインは分かりやすくしかめ面をする。そう話しながら、ニコルの外套を預かっててきぱきとクローゼットに収納する。
「なんだ、レイン。名前と違って雨が嫌いか?」
サリエに手伝われているブラッドリーが、からかう調子で問う。
「俺は雨が降っている時に生まれたから、レインっていう名前をつけられただけです。植物にとってはいいことですが、濡れるのは特に好きじゃありませんよ。風邪を引くだけですから」
「君には兄がいたな。まさかと思うが、彼の名前も?」
「雷が鳴っている時に生まれたんで、サンダルです」
「……そうか」
ブラッドリーは短く頷いた。言外に、余計なことを聞いてすまなかったという同情がにじんでいる。
「庭師らしい名づけ方ですよね。雷も雨も、植物には恵みですから」
ニコルはレインの両親に対して、素直に褒めた。
雷が鳴ると、植物の生長が良くなる。雨がなければ、植物は育たない。
「フェザーストン家の皆様がその調子だから、親父が調子に乗るんですよ。いいですか、ニコル様。あれはネーミングセンスが無いというんです」
レインはうんざりだとばかりに、肩をすくめた。
一方で、ブラッドリーは懸念をつぶやく。
「雨が降ったことで、あの魔物の被害に影響がなければよいのだがな」
「魔物がどうしたんです?」
レインは首を傾げた。ニコルが王立図書館であったことを教える。レインは驚きを見せた。
「えっ、あの鼠の魔物、また出たのですか? 王立図書館というと、だいぶ都市の中心部に近い気がしますが……」
「まずい状況だ。魔法使い協会に発破をかけてきたが、あそこまで動きが鈍いとは恐れ入ったよ」
「害虫を見つけたら、即対応しないと広がりますからねえ。鼠か……。水から逃れようと、外に出てこないといいですが。ああ、そうだ。マンホールに網をしかけて、外に出てきた魔物を捕まえるのはどうです?」
ブラッドリーは顎を手で撫でる。
「ふむ。ああしてマンホールから飛び出してくるのを見るに、使えそうな手だ。夜間だけ設置してみるのもいいかもしれない。叔父上に手紙を出しておこう」
「はは、冗談だったんですが。捕まるといいですね」
思いがけず提案が受け入れられ、レインは苦笑を浮かべた。
王都滞在四日目と五日目はホテルでのんびりと過ごし、六日目はホルトウィン子爵家の町屋敷で開かれるパーティーに顔を出すことにした。
ブラッドリーが付き添いを頼んでいたので、リチャードを迎えに寄ってから、パーティー会場に入る。
開始から少し遅れていたせいで、ホールにはすでに客が集まっており、立食形式で、めいめいが雑談に興じていた。彼らはニコルとブラッドリーが現れたことに驚き、ざわめきが広がった。
「アマースト侯爵ご夫妻、ご来訪いただきまことに感謝申し上げます!」
ガーナスは大喜びであいさつにやって来た。灰色の夜会服がよく似合っている。今日のために念入りに準備をしているのが、会場を見ただけでも分かる。一通り、客へのあいさつを済ませると、ガーナスは大仰にお辞儀をした。
「本日は自慢のスパークリングワインをご用意しましたので、楽しんでいかれてくださいね」
「ありがとう」
「がんばってくださいね」
ブラッドリーは礼を言い、ニコルも微笑みを返す。
ガーナスははりきって頷き、新たに現れた客のほうへ向かった。
ガーナスはしつこいところは良くないが、再起のために奮闘する姿は見ていて清々しい。
会場の入り口でもらった品書きには、ホルトウィン家の農場の簡単な歴史と、ワインの説明が書かれている。何を売り込みたいのか、はっきりしていた。
「このパーティーは試飲会も兼ねているのか。上手いものだな」
「ホルトウィン子爵家は、ワイン流通の商人だからな。不運に見舞われはしたが、本来はやり手だ」
ブラッドリーの感想を聞いて、リチャードが口添えする。
「料理は、ワインに合うものばかりですね。あの魚の煮込みなんて、白ワインに合いそう」
壁際に並べられた料理を眺め、ニコルは魚料理に心惹かれた。フェザーストン家の食卓には、よく川魚料理が上がっていたのだ。大きな川を有していたので、魚料理は身近なものだった。
彩り豊かな香草や野菜で煮込まれた魚料理は、見るからに美味しそうである。
ブラッドリーがちらりと見ると、心得ているレインがすぐさま料理を取り分けてきた。
「ニコル様、どうぞ。旦那様とリチャード様はステーキでよろしいですか?」
「ああ」
「これは美味しそうだ」
ブラッドリーは頷き、リチャードは今にも口笛を吹きそうだ。
会場にいる給仕にワインを注文すると、すぐさま運んできた。
ブラッドリーは切り分けられている赤身のステーキを口に運び、ワインを味わう。
「この辛口の白ワインは、肉にも合うな」
「このロゼ、甘口で美味しいですよ。しゅわしゅわしますね」
たいていの料理に合うので、ニコルはロゼのスパークリングワインを選んだ。白魚とマッチしていて、とても美味しい。
「天災のせいで、このまま家業を畳ませるには惜しい味だ。我が領でも取引するか」
「よろしいのですか?」
「ああ。君がずいぶん気に入ったようだからな」
ブラッドリーは笑みを浮かべ、ニコルのこめかみにキスをする。ニコルは頬を赤くした。
「ちょっと、人前ですよ」
「これくらいのスキンシップ、夫婦ならば当然だろう」
ニコルはそうだろうかと周りを見る。美味しい料理と酒で気分を良くした客の中には、頬にキスをするカップルもいたので、どうやら本当らしい。
周りの目を気にするニコルに、リチャードが笑いながら教える。
「ニコル、そんなに心配しなくても、これくらいの軽いタッチなら、周りも微笑ましいと見逃してくれるよ。さすがに口へのキスはアウトだが」
「しませんよっ」
ニコルは急いで言い返した。リチャードは冗談だと言い、ブラッドリーに話題を振る。
「しかし、意外だな。ブラッドが他家のワインを気に入るとはね」
「良いものがあれば、取引くらいする。新規で入るなら、今がチャンスだろう。しかし、私は竜の相手ばかりが得意だからな。こういうことは、ニコルのほうが上手いぞ。どう思う?」
ブラッドリーに質問され、ニコルは真面目に考える。
「そうですね。元々、ホルトウィン家のスパークリングワインは評判が良いのです。持ち直せば、問題ありませんよ。アマースト侯爵領でもワインは作っていますから、少量の取引でいいかと。逆に希少価値が生まれます。例えば、お祝いにはこのワインがおすすめという風にして、領内で高く売ればいいのでは?」
ブラッドリーとリチャードは顔を見合わせた。
「ほら見ろ、ニコルのほうがこういう采配は上手いんだ。我が家でのパーティーでの手腕を見ていても、屋敷に閉じこめておくほうがもったいない。それをあんな母上のせいで……」
ブラッドリーが落ちこみ始めたので、リチャードが背中を叩く。
「おい、他人のパーティーでそんな暗い顔をするもんじゃないぞ」
義母のことには触れず、ニコルは買いかぶりすぎだと主張する。
「ブラッド、私は思ったことを言っただけですよ。通じるかは分かりません」
「いや、その案を採用する! 領主として考えても、合理的だからな」
ブラッドリーはそう言って、ワインをぐびっと飲む。よほど気に入ったようで、給仕を呼んでおかわりをした。
「ホルトウィン殿には、取引を申し出るとしよう」
「なあ、私の同行は必要だったか? ニコルがいれば充分な気がするが」
リチャードは所在なさげに肩を揺する。
「もちろん、必要ですよ、リチャード様。せっかく王都に来たのですから、こちらの方ともお話をしてみたいです。ご紹介くださいませんか」
ニコルがお願いすると、リチャードは分かりやすく表情を明るくした。
「そうか? それなら、話上手な人を選んであげよう」
妹への面倒見の良さといい、リチャードは世話焼きなようだ。浮き浮きと客をみつくろうのを眺め、ニコルは笑みをこぼす。
「リチャード様の世話焼きなところ、ブラッドとそっくりですね」
「そうか?」
ブラッドリーはけげんそうにするが、リチャードは快活に笑う。
「それはアマースト家の血筋だな。身内と認めると、面倒を見たがるんだ」
一方、ニコルは、親族と認めていると告げられたことがうれしくて微笑を浮かべる。思わずブラッドリーの傍に寄り、袖を握った。
「なんだ、ニコル。照れているのか?」
「なんでもありません」
ニコルの返事は白状しているも同然だったので、ブラッドリーとリチャードはにやりと笑った。
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