いつか、君とさよなら

夜乃すてら

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番外編

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 急に増えた予定のために、ハウゼン家に戻った後、新たに夜会服も注文してからホテルに戻ってきた。
 部屋に入って長椅子で一息ついたところで、すぐにレインが顔を出した。

「旦那様、お手紙をお預かりしてございます」

 ホテルで留守を任されていたレインが、銀盆にのせた手紙を差し出す。王家の紋章が押されていた。さすがに緊張しているようで、彼の横顔はこわばっている。
 すぐに中身を改めたブラッドリーは意外そうに眉をはね上げた。

「一週間後に謁見していただけるそうだ。二週間は待たされると思っていたのだがな」
「使者の方のお話では、壁公が直接おいでになることは滅多とないため、陛下がお気遣いくださったそうです」

「そうか。その日まで、ゆっくり観光を楽しまねばな。アマースト領の者が王都まで来ることは滅多とない。今回の旅に同行してくれた者達に、一日ずつ順に休みをとらせようと思うが……。ニコ、どうだろうか」

 ブラッドリーはニコルをちらりと見た。レインはニコルの従者なので、確認してくれたようだ。

「お心遣い大変ありがたいです、ブラッド。レイン、他の皆様にもお伝えして、スケジュールを調整してくれるかな」
「侯爵ご夫妻のお心配りに、皆、喜んで感謝するでしょう」

 レイン自身、うれしそうにほほ笑んで、お辞儀をして部屋を出て行った。

「ブラッド、ありがとうございます」
「レインも魔法師団の仲間も、急な旅だというのによくやってくれているからな。居残りの連中にも土産を買っていかないと、すねてうるさいだろう」

 想像したのか、やれやれとため息をついて、ブラッドリーは肩をすくめる。
 お家騒動があったばかりで、屋敷の使用人は誰も信用できないから、今回の旅も、魔法師団から信頼できる者を選んで連れてきたのだ。給与を上乗せしているとはいえ、魔法の専門職に任せるべきでない仕事もさせている。
 嫌な気分になりはしないかと、ニコルは心配していた。

「いくらかおこづかいをあげましょう」
「ああ、ついでに土産選びも任せよう。王都で買い物を楽しんで、仕事には精を出してもらわねばな。まあ、気の知れた連中だから、そう重く考えることはない」

 ブラッドリーはふいにニコルの隣に来ると、ニコルの額にキスをする。

「君にもあげるから、好きに使うといい。――あの大事にしているほうは、そのまましまっておけ」

 ニコルは目を丸くして、ブラッドリーを凝視する。ニコルがおこづかいを全ては使わずに、緊急用資金としてとっていたことを見抜いていたのか。

「知っていたんですか?」
「好きなものを買ってほしかったから、何を買うのかと楽しみにしていたんだ」
「……隠していたこと、怒ってます?」

「いいや。あれは君にあげたものだ。どう使うかは、君の自由だ。まあ、用心深いのは良いことだと思うが……。今回のお小遣いは、できれば楽しく使ってほしい」

 ブラッドリーはニコルの顔を覗き込む。

「これからは肩の力を抜いて、もっと遊ぶ時間もとってくれ。君はこれまで充分にがんばったんだから」
「あなただって努力していました」

「君に倒れてほしくないだけだよ。何か欲しいものは?」
「そうおっしゃられても……。身の回りのことは満足していますし」

 アマースト侯爵夫人としての品位維持費はもらっていたから、服飾関係は潤沢だ。そもそも、ニコルは魔力不足になると寝ていたので、星空観察と刺繍くらいしか趣味がない。フェザーストン家にいた頃はぜいたくをする余裕がなかったので、どうしても余計なものを買う気になれなかった。

「よし、では王都滞在中に店を回って、いろいろと買うとしよう。自分の目で見て買うのも楽しいぞ」
「そうなんですか?」

 ニコルにとって、買い物とは商人を家に呼ぶものだったので、自分で買うというのがぴんとこない。

「そういえば、町を出歩いたのは、君の実家周辺だけだったな。我が家は家は立派だが、周りは田舎だから」
「ブラッドは?」
「私は見合いのために、あちこちに行っていただろう?」
「ああ、そうでしたね」

 見合いのことを思い出したのか、ブラッドリーは眉をしかめた。

「まあ、あの時は、魔力不安定症の痛みがひどくて、楽しむ余裕はあまりなかったがね。気晴らしにはなったよ」

 ニコルは急に胸がもやっとした。

「その……お見合い相手とデートしたりしたんですか?」
「ん? カフェで面談をしたくらいかな。あとはパーティー形式だったから、特に出かけてはいないよ。そもそも、魔力の相性が悪い相手は、肌に触れた時点で拒絶反応が起きるものだから」
「拒絶反応?」

 お試しでキスをして、体調が悪くなるかどうかを見るのだと思っていたが。

「ほとんどは唇を合わせるどころか、手に触れただけで相手が逃げる。運よくキスできたとして、ひどい吐き気がして、お互いにもんぜつしたりしてな」

 誰かとキスをしたというのを聞くと、今更、胸がざわつくというのに、見合い相手同士でうずくまっている姿を想像するとあわれに思った。

「正直、君と会った時だって、戦々恐々としていたんだぞ。君があんまり可愛いから、できれば君だといいなとは思ったが。ああ、思い出しても甘美なキスだった。衝撃的すぎて、ついがっついたのが恥ずかしい」

 思い出にひたるブラッドリーと反対に、ニコルは頬をじわじわと熱くなる。

「こ、こちらこそ、恥ずかしいのでやめてください」

 顔を手で覆って、ブラッドリーから距離をとろうと身をずらす。

「本当に可愛らしい人だな」

 ブラッドリーは長椅子の背もたれに手をついて、ニコルの逃げ場を封じる。

「もちろん、いつだって君とのキスは甘美だよ」
「も、もう、馬鹿なことを言わないでくださ……」

 ニコルの言葉の続きは、ブラッドリーの口づけに消えた。
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