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第一部 お見合い編
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しおりを挟む次に起きると昼間だった。
「結局、私は眠ってしまうオチなのか……」
魔力が体内に満ちていて気分は良いのだが、体のあちこちが悲鳴を上げており、ぐったりしたまま呟く。すると、部屋に控えていたレインが、ひょこっと顔を出した。
「いやあ、あれはブラッドリー様が悪いですよ。初めての――それもお試しの相手にはもっと手加減するようにと、ご両親もお怒りでしたよ」
「レイン……まさか」
「ええ、こちらの様子は隣に丸聞こえです。さすがにあなたの声が聞こえなくなったのはまずいと思い、止めに入りました。いやあ、十代の性欲って怖い」
「つまり……部屋に入ったのか」
いくら幼い頃から付き合いのある従者とはいえ、あの有様を見られるのは情けない。
「そんな顔をしないでください。それが俺の務めなものでね。しかし、後始末はブラッドリー様がしてくださいましたよ。すごいですね、ニコル様。ブラッドリー様、あなたから離れたくないといったご様子でしたよ~」
のほほんとのんきにレインは褒めるが、ニコルは羞恥で顔を真っ赤にしている。
「死にたい」
「はいはい、そのうち慣れますよ。アルファのオメガへの執着って怖いからなぁ。ベータの俺には分かりませんがね。あ、体調はいかがですか?」
「あちこち痛くて動けないよ」
「そりゃあ、普段からほとんど眠っておいでで筋力が弱いのに、あんな運動をしたら筋肉痛にもなりますよね」
「もう黙っててくれ!」
「へーい」
ゆるい返事をするレインから顔をそむけ、ニコルは溜息をつく。お試しは大成功で、ブラッドリーからも結婚してくれと言われたが、ここからが正念場だ。
「あとはオーガスト領への支援を取り付けないと……。それに持参金も用意できないんだよな」
そんな余裕があるなら、洪水で害をこうむった民を助けるほうに回す。今のフェザーストン家の貯蓄はほとんどそちらに使っている。
もし見合いが成功した場合、支援について頼めるようにと、ニコルは父から書類一式を預かっていた。成人したばかりの十六の身に、政治的な交渉なんて荷が重いのだが、これも領のため、家のためだ。
「政略にしては、良いお相手じゃないかな」
魔力が足りなければ眠ってしまうとはいえ、ニコルだって伯爵家の次男だ。ある程度の教養は身につけている。政治でのあれこれも察しているし、貴族の務めも分かっているから、結婚に愛や夢を見ていない。
打算的に見ても、ブラッドリーは良い相手だ。一人息子なせいか、将来の責を負う自覚があり、表情は読めないが、相手を気遣う優しさはある。
「酒乱と暴力野郎じゃなければ、なんでもいいや」
「昨日のご様子だと、抱き潰されそうな気がしますけどねえ」
嫌なことを言うレインを見ると、思いのほか心配そうにしている。
「酒乱や暴力を振るうようなことがおありなら、ちゃんと教えてくださいね。恐れながら、ニコル様は俺にとっては弟みたいなものなんです。幸せになっていただかないと悲しいですよ」
ニコルが五歳、レインが十五歳の頃からの付き合いだ。幼い頃、ニコルはレインを兄ちゃんと呼んでいた。
「やっぱり俺、ニコル様についていこうかなぁ。親父には兄貴がいますし、ここなら庭や植物についての勉強もはかどりそうです。それにニコル様の味方が一人もいなかったら、ニコル様、眠ったまま動けなくて死んじゃいそうで怖いし」
「いや、さすがにそこまでは……」
ないと思うが、ちょっと自信がない。いじめられて無視でもされたら、ニコルの体質ではあっという間に弱ってしまう気はする。
「家族と相談しますね」
「……すまない」
「そういう時は違う言葉を聞きたいですね」
「うん、ありがとう」
ニコルがお礼を言うと、レインはにかりと歯を見せて笑った。
ニコルがようやく動けるようになったのは、翌日のことだった。
それでも筋肉痛のせいでぎこちない歩き方をしながら、アマースト侯爵にお目通り願うと、応接間に通された。
侯爵家の屋敷は、フェザーストン家の屋敷よりずっと大きく、応接間なんて特に煌びやかで目がチカチカする。
すでに侯爵と侯爵夫人が、応接用の長椅子に座っていた。
侯爵はブラッドリーとよく似ていて、くすんだ金髪と鋭い灰色の目を持っている。無愛想なところもそっくりだ。侯爵夫人は細身で美しいのだが、威厳溢れる雰囲気があって、まさに屋敷の女主人という厳しさを秘めていて、ニコルは少し萎縮した。苦手なタイプだ。
「ごあいさつが遅れまして大変申し訳ありません。フェザーストン伯爵家が次男、ニコル・フェザーストンです。お会いいただき光栄です、侯爵閣下、侯爵夫人」
胸に手を当ててお辞儀をすると、侯爵は座るようにと向かいを示す。
ニコルは膝丈まである灰色の上着を着て、白い帯で腰を締めている。細身のズボンも白く、革製の靴を履いていた。一応、見合いで着る予定だった一張羅だ。
「いや、こちらこそ申し訳ないことをした」
侯爵は声に嘆きをにじませて、口を開く。
「すまないな、ニコル君。お見合いのお試しだというのに、息子が暴走したようで」
「もうお加減はよろしいの?」
侯爵夫人の気遣いに、ニコルは頷く。
「はい。まだ少し筋肉痛が残っているのですが、いずれ治るかと」
どうか深く突っ込まないで欲しいと願いながら、ニコルがふらふらした動きをしている理由を告げた。
侯爵は気まずそうに咳払いをして、話を続ける。
「君が構わないなら、この縁談、進めようと思うのだが、どうかね?」
「その件ですが、我が父、フェザーストン伯爵よりお願いがございまして」
書類を差し出すと、侯爵はすぐに目を通した。
「なるほどな。氾濫が起きて、没落寸前だとは調べがついている。君は身一つで来てくれればそれでいいよ。支援もしよう。――だがね、ただ金を渡すより、根本的な解決をすべきではないかと思うのだよ」
「……とおっしゃいますと?」
「我が領が支援するのでな、共に治水事業をするのはどうだろうか。息子を名代につけるから、結婚のあいさつがてら、オーガスト領に戻って伯爵と話し合って欲しい」
驚いたことに、侯爵の合図で、執事が書類を差し出す。
ニコルとブラッドリーの相性が良かった時点で、頼まれそうなことを推測し、もっといい改善案を用意してくれたようだ。
「正直、以前からオーガスト領のことは気になっていた。隣の領であるし、同じ川が我が領地にも流れている。代々のフェザーストン伯爵もそうだったが、あなたがたの血筋はどうも楽天的すぎる。火を消して回って、火事のもとには何も対処していない。そんな感じだな」
「……痛み入ります」
ニコルも自覚があるだけに、思わずうつむいた。川のことも、せいぜい居住禁止区域を設けるくらいの対処しかしていない。
「何代か前の先祖が、堤防を作ろうとしたこともあったのですが、完成前に洪水で押し流され……。それ以来、他に良い案も思い浮かばぬまま、この通りです」
「ああ。しかし堤防を造る以外にも、被害をやわらげる方法はあるはずだ。話しあってくれたまえ。―― 一人息子が魔力不安定症で苦痛と戦っている。癒してくれる君の存在をありがたく思っているよ。ひどい時は、転がり回るほど痛むようなのだ」
侯爵の声が沈んだ。侯爵夫人がそっと目を伏せる。二人がブラッドリーのことを憂慮していることがよく伝わってきた。
「君は体が弱いそうだが、幸い、壁公の妻は、他領の貴族の妻ほど忙しくはない。王宮に登城することもないからな。こちらでパーティーを開くことがあれば、その準備は任せると思うが……それも妻から教わって、少しずつできるようになればいい。どうか息子のことを頼むよ」
侯爵が頭を下げるので、ニコルは慌てた。
「そんなっ、おやめください! むしろこちらのほうが感謝すべきです。我が領を助けていただく恩は決して忘れません。ブラッドリー様のためになるように努力いたしますので、どうかよろしくお願いいたします」
ニコルも深々と頭を下げる。
(そうだ。窮地を助けてもらうのだから、侯爵夫妻が大事にしているブラッドリー様を、精一杯支えよう。感謝と友情があれば、きっとやっていける)
正直、愛など期待していないから、せめて友好的に過ごしたい。
ニコルは目標値を低く設定して、心の中で決意を固めた。
「あなた、ニコルさん、おやめになって」
侯爵夫人が止めたことで、お互いに顔を上げ、ニコルと侯爵は笑いあった。
それから結婚式の日取りについての手紙を受け取り、ニコルは応接間を後にした。
廊下に出ると、ブラッドリーが壁に寄りかかって待っていた。
「ご機嫌よう、ブラッドリー様。ご両親なら中においでですよ」
ニコルはあいさつをして、扉の前から横へずれる。
「君を待っていた。さあ、善は急げだ。支度したらさっそくフェザーストン家に向かおう」
「えっ。――ちょ、待っ、うわ」
急げ急げとブラッドリーに手を引かれ、ニコルは足をもつれさせ、無様に転ぶ。
「すまん!」
驚きとともにブラッドリーが謝り、ニコルに手を差し伸べる。ニコルはその手に掴まって立ち上がりながら言い訳した。
「いえ……まだ筋肉痛で」
「……すまん」
ブラッドリーはバツが悪そうに、追加で謝った。
「人肌があんなに心地良いとは思わなくてな。早く式を挙げて、番になろう。君を誰かに奪われると思うと、じりじりするんだ」
「そんなに心配しなくても、他のオメガに比べて、私にはそんなに魅力はありませんよ」
こんなに貧弱で、顔は中の上くらい。髪なんて鉄錆色の癖毛だ。
「卑下するのは良くないぞ、ニコル殿。しかし、君が魔力放出体質で良かったな。私がいなければ、部屋からほとんど出られないんだろう? 私が不在の間、君が外に出かけて危険な目にあうのではと、心配せずに済む」
「発情期に外出なんてしませんが?」
「そういう意味ではなくてな。なんというか……はかなげな雰囲気に引き寄せられる者もいるわけだ」
「それは……医者に目を診ていただいたほうがいいですよ」
大丈夫かなあと心配すると、ブラッドリーの眉が寄る。
「弱い者は守りたくなるものだし、弱いから付けこもうとする悪人もいるんだ。君は弱さを武器にしないようだから、私の好みだよ」
「はあ……。すみませんが、おっしゃることがよく分かりません」
ニコルは首を傾げる。
弱さを武器にするとはどういう意味なのだろうか。
考えていると、急に体が宙に浮いた。
「わっ」
慌てて、目の前にあるブラッドリーの肩にしがみつく。彼がニコルを抱き上げたのだ。
「行こう、ニコル殿。支援のためにも急いだほうがいいだろう?」
「あの、婚約したのですよね?」
「ああ、まだそちらの返事が無いから、仮だがね」
「良ければ私のことは、ニコと呼んで頂けませんか」
ニコルの愛称は、ニコやニッキーがある。ニコルは家族にはニコと呼ばれていた。
「ニコ? 分かった。では私はブラッドだ」
「ブラッド様」
「様はいらない。いずれ夫婦になるのだから」
「ブラッド」
こちらのほうが呼びやすい。
ブラッドリーは、人を一人抱えているのに、重さも感じない様子で、玄関ホールから二階へと階段を上っていく。
「他のお客様は?」
「昨日、お帰りになったよ。去年は未婚のオメガと成人したてのオメガを招いて、今年も成人したてのオメガだ。オメガの結婚は早いから、魔法使いの婚活はスピード勝負だよ。やっと君を見つけて、本当に助かった」
ブラッドリーの声は弾んでいる。
「体が全く痛まないんだ! 君は私の救世主だよ」
「そう言って頂けて光栄です。……ところで、ブラッドは酒乱だったりはしませんか?」
「え? 酔って暴れるかと訊いてるのか? そこまで飲んだことはないから知らないが、父も祖父も酔っても普通だったぞ。この家の人間は自制心が強いからな。顔を見れば分かるだろ」
ブラッドリーは、表情がほとんど変わらない顔をニコルへと向けた。無表情なのを自分で笑いの種にしたようだが、ニコルはなんとも言えない顔になる。
「……そういうジョークは笑えません」
「そうか? 我が領の魔法師団の連中には、鉄板ネタなんだがな」
え、どれだけ図太いんだ、魔法師団の人達……。
うけなかったことを不思議そうにするブラッドリーの横顔を、ニコルはやっぱり微妙な顔で見ていた。
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