くさびの神殿

夜乃すてら

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くさびの神殿

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 ――むかしむかし、千年もはるか彼方のこと。
 この光の名をもつエードラム国に、毒の魔王が生まれました。
 神殿の奥深くに閉じ込められた魔王は、美しき巫女姫の命をくさびとして、そのまま封じられました。
 魔王はしかし、そのことを恨み、国を呪いました。
 そのためエードラム国は草木も生えぬ不毛の地になりました。
 今でも魔王は地下深く、怨嗟えんさを吐き続けています。
 その声は力となり、魔物を生み出し続け、国の人々はそこに活路を見出しました。
 魔物を退治し、その死体から得られる全てを糧としたのです。
 そして千年、不毛の土地でありながら、エードラム国は細々と続いていき、冒険者と戦士を育てる貴重な場所となりました。
 ゆえに、その神殿の名は……

「くさびの神殿、だろ」

 退屈しのぎに歌う吟遊詩人ぎんゆうしじんに、カイル・グラシードはそう言った。
 邪魔な前髪を指先で払う。茶色の髪を後ろで一つに結び、意志の強さを宿した瞳の目は赤茶色だ。革鎧かわよろいに身を包み、武骨な剣をたずさえた姿は剣士そのものだ。
 両親が病に倒れ、欲深い親戚に家と土地をとられたカイルは、馬と兵士だった父の鎧と剣を財産に、田舎を旅立った。
 馬は売って、ここまでの旅費に当てた。
 魔物を狩ることで生計を立てる冒険者として、この地で再起をはかる予定でいる。

「一番良いところだけ持っていかないでくださいよ」
「ふん」

 恨めしそうな吟遊詩人を鼻で笑う。
 この国は有名だ。余所者のカイルでも知っていた。
 ガタガタとひどく揺れる馬車の中から、カイルは外を見やる。
 歌の通り、この国に草木は生えない。
 魔王の呪詛じゅそはいまだにこの国をむしばんでいる。
 岩や砂礫ばかりの土地は、荒涼としていて物寂しい。

「懐かしいな」

 ぽつりとつぶやいたことを、吟遊詩人が抜け目なく拾う。

「以前にもこちらに来たことが?」
「いや、ないよ」

 そう答えると、不可解なものを見る目をされた。
 真実を語れば、おかしなことをと笑うだろう。
 まさかカイルこそが毒の魔王で、千年の時を経て、人間に生まれ変わったなどと。
 いつかはここに来るつもりだった。あの頃の自分は、どれだけ恨んでいたのだかと、苦笑してしまう。
 かつてのからっぽの亡骸なきがらは、いまだに呪いを紡ぎ続け、この国の闇は晴れそうにない。

「吟遊詩人、フェリシア姫についての歌はないのか?」

 カイルの問いに、吟遊詩人は目を丸くした。

「よくご存知で。ええ、かの巫女姫の名はフェリシア。うるわしき金の乙女」

 そして、魔王の最愛。
 幌馬車ほろばしゃの上に目を向けると、白い羽がひらめくのが見えた。
 毒の魔王を愛した巫女姫は、愛をくさびとして魔王をあの土地に縫い付けて、毒で死んだ。死んだ後も離れがたいとずっと傍にいて、魔王となり汚れた魂が浄化される千年の間、ずっと見守ってくれていた。
 人間に転生した後は、守護天使として傍にいる。
 
『どうしてあの地に行ってしまうの? また魂がけがれたら困るのに。カイルのばーか』

 男の天使に生まれ変わったフェリシアは、ぶつぶつと文句を言っている。カイルがこの地に来るのを嫌がって、あの手この手で邪魔していたが、カイルのほうが一枚上手だった。
 この子どもっぽいところ、千年経っても変わらない。
 少しは成長しないのかと呆れてしまうが、この純粋さがフェリシアの良いところでもあった。

(いや、今は天使のフェンだったか)

 カイルが見えているとは気付いていないようだから、カイルも知らない振りをしているのだが、フェンは暇なようでよく話しかけてくるし、独り言も多い。
 だからカイルはフェンのことをよく知っていた。
 触れないのに、話すなんてカイルには耐えがたいから、まだ知らない振りを続けている。

「王の娘に、見目うるわしき金の乙女、フェリシア姫がおりました。かの姫君は、毒の魔王のもとへ行き……」

 とうとうと歌い出す吟遊詩人の調べに、フェンが声を合わせて歌う。
 カイルは目を閉じた。

     *****

 フェンがまだ人間で、美しい姫フェリシアだった時、とある邪悪な魔法使いが禁断の魔法を使ったということで、王に呼び出された。
 その頃、この国の姫は結婚まで、神殿に巫女として仕えることになっていた。
 閉鎖された環境であるが、噂はどこにでも流れてくる。
 父王に都合の良い悪役として登場した彼が、実はエードラム国に滅ぼされた国の王子で、せめてもの反発に禁断の魔法を使ったというのは分かっていた。
 だがフェリシアには拒否権がない。

「わが娘よ、くさびの巫女として、あの悪しき魔法使いを封じておくれ。国のために」
「かしこまりました、陛下」

 妾腹で、身分の低い母をもつ姫など、この王には捨て石と変わらない。
 断れないフェリシアは、従順なふりをして頷いた。
 くさびの巫女の役割が、命を代価とした封印魔法を使うこと、ということは分かっている。
 憐みを浮かべる家臣や、あざ笑う正妻の子ども達を横目に、フェリシアは粛々と準備にうつる。彼らのことは好きではなかったが、国の人々をフェリシアは愛していた。
 だから、魔法使いが決死の思いでとらえた王子のいる神殿へ行き、その地下牢へ向かった。
 そこで会った彼に、一目で恋に落ちた。

 ――傷付いた手負いの狼。あの目が自分だけを見つめたら、どんなに幸せだろう。

 だが、魂を闇に売り渡し、触れる者を毒殺する毒の魔王になった男にはにらまれた。一目惚れに対して、一目で嫌われたようだった。

「はじめまして、王子様。しばらくあなたのお世話をします、巫女姫フェリシアと申します」

 丁寧に礼をして、食事を牢へと差し入れる。
 手づかみで食べられる果物が盛られていたが、彼が触れると紫に染まり、ぼこぼこと気泡が飛び出した。
 あきらかにまずそうなそれを、毒の魔王は咀嚼そしゃくして飲み込む。

「俺を飢え死にさせるつもりかと思っていたが」
「魔王が飢えるのですか?」
「いいや」

 彼なりのジョークだったのだろうか。フェリシアには意図が読めない。
 牢は魔法で覆われ、差し入れする時ですら、転移の魔法を使う。
 鎖でつないでも駄目なのだ。腐り落ちてしまうだけ。
 衣服も溶けて消えるはずだが、彼の魔法によるのか、黒いローブは穴一つない。

「お嫌でしょうけど、しばらくよろしくお願いします。また参りますわ」

 あいさつをすると、長い階段を上って地上に戻る。
 次の満月の日が、フェリシアの最後の日だ。命をくさびとして、魔王を地底に繋ぎ止める最悪の魔法だ。



「絶対、嫌われてるよね」

 回想から戻ったフェンは、悲しくなってつぶやいた。
 くさびに繋がれた日から、毒の魔王は呪詛を吐きだした。それは大地を侵食し、王国を不毛の土地へと変えてしまった。
 魔王を殺す方法はない。だから封じたのだ。そこから出さなければ大丈夫だと、王や魔法使い達は安直に考えていたようだが、強い呪いは予想を遥かに凌駕した。
 死して魂だけになった後も、フェリシアはずっと傍で魔王を見ていた。
 そんなフェリシアの純粋な心に、神がフェリシアの魂をすくいあげ、天使フェンとして生まれ変わらせた後も、ずっと近くにいる。
 穢れた魂が浄化するのに千年かかったが、そんな人間に転生の許可が出たのは、フェンの愛の深さゆえである。監視をかねての守護天使役もおおせつかった。

「大好きだよ、カイル。今日も元気で暮らしてね」

 毎朝、朝日とともにカイルに祝福をかけるのがフェンの日課だ。
 降り積もった祝福は、カイルに強い加護を与え、冒険者としての生活に役立っているようだった。


     *****


 巫女姫フェリシアと会った時、毒の魔王は一目で恋に落ちた。
 火へと消えた故郷と家族。全てを失った王子は、敵国も道づれにする道を選んだ。
 許せない敵のはずなのに、その娘は純粋で美しかった。
 そんな自分を認められずに、嫌な態度をとってしまったが、彼女はにこやかで親切だった。必要ないのに食べ物や飲み物を差し入れ、退屈しのぎにと楽器を弾いたり物語を聞かせてくれたりする。
 他の者は目に恐怖がにじむのに、フェリシアにはそれが無い。
 彼女がくさびの封印魔法を使う満月の日まで、ほんの十日程だったが、毒の魔王には目の奥にずっと残る強烈な光になった。
 だからフェリシアが死んだ日、命じた王やこの国全てへの憎悪が再び燃え上がったのはなんら不思議なことではない。
 ――そしてなにより、自分が憎かった。
 封印魔法を使った後、死にゆくフェリシアは毒の魔王へ口付けをした。その一瞬で、彼女の肉体は腐り落ちて消えてしまった。
 もし自分が毒の魔王でなければ、せめて骨は残っただろうにと悔やまれた。
 国を呪い、運命を呪い、わが身を呪い続けてふと気付くと、彼女の魂が傍にいるのに気付いた。
 それで毒の魔王は我に返り、自死を選び、魂を肉体から解き放つことが出来た。ただ、フェリシアに近付きたい一心だった。
 でもそれで良かった。
 冥府の川で、浄化の眠りにつき、千年を経て、こうして人間に生まれ変われたのだから。
 またもや触れなかったが、同じく生まれ変わった彼女と出会えた。

 ――意外なことに、どうやらフェンは自分を愛しているらしい。

 毎朝、フェンは好きだの愛してるだのと言いながら、カイルに朝日の祝福をくれる。
 ちりも積もれば山となる、とはどこの部族の言葉だったか忘れたが、それはいつしか強力な加護となり、冒険で危険な時に身を守る盾になった。
 カイルが冒険者となり、七年が過ぎ――二十二歳になった頃、カイルはソロで戦うS級冒険者として名を馳せていた。
 それでうっかり気を抜いてしまったのか、B級程度の狼の魔物に怪我を負わせられた。

『駄目だよ、駄目駄目! どっか行けーっ』

 フェンは魔物に飛びついて、カイルから引き離そうと躍起になり跳ね飛ばされた。
 魔物は天使に触れるようだ。
 呪詛なんてあいまいなものから出来ているのだから、存在が似ているのかもしれない。だが実体もある。
 翼が片方折れてしまい、動けないフェンに狼が食いつこうとしたものだから、カイルは慌てて狼を殺した。

「おい、大丈夫か」
『え? ええ!?』

 初めてこちらから声をかけると、フェンはぎょっと跳び上がる。

『嘘、幻聴かなっ。でも嬉しいっ』

 目をうるうるさせるフェンは、金髪碧眼なのはフェリシアの時と変わらなかったが、顔立ちは平凡だ。天使が全て美人であるとは限らないようだが、カイルには可愛く見えている。
 千年もカイルを見捨てない、カイルだけの天使だ。

「幻聴ではない。ずっと見えていたし、聞こえてた。フェリシア。――いや、フェン」
『え、本当に? ええと、毎朝……』
「好きだ、愛してると言いながら、祝福をありがとう」
『いぎゃーっ』

 変な悲鳴を上げ、フェンは岩の向こうに逃げた。

『はずかしい……死にたい』
「それは駄目だ」
『でも、あなたは私が嫌いでしょう? あなたを繋ぐくさびになったこと、今でも後悔してるんだ。あの時の私の視野は狭くて、他の選択すら思いつかなかった』

 カイルは眉をひそめる。

「お前は大事な話を、顔を合わせずにするのか」

 するとしょんぼりしたフェンが、岩陰から出てきた。その場に膝をついて、頭を下げる。魔物の死骸が転がっているというのに、血だまりにぬかづいた。

『ごめんなさい。ずっと謝りたかった』
「やめろ、俺が聞きたいのはそんな言葉じゃない」

 恐る恐るフェンが顔を上げる。
 額についている血に、眉をひそめ、カイルは手を伸ばした。触れもしないのに、血をぬぐってやりたかったのだ。
 恐らくいつものように手がすり抜けるだけだと思ったが、なぜか額に指先が触れた。

『えっ、なんで?』

 驚くフェンに構わず、衝動的にカイルはフェンに口付ける。

『んむっ!?』

 濃厚なキスをたっぷりした後、問いかける。

「俺が聞きたいこと、何か分かるな?」
『……好き』

 赤い顔で涙を零し、フェンはカイルに抱き着いた。


     *****


「まさか魔物が、実体化の媒介ばいかいになるなんて、びっくりだよね」

 天使フェンあらため、孤高の剣士カイルの相棒となったフェンは、くさびの神殿でカイルを振り返る。
 もとは罪人追放用のため、複雑怪奇な迷宮が地下にあった神殿だが、フェンにとっては庭とかわらない。

「俺はむしろ、天使が魔物を殺していいのかっていうほうが気になる」
「魔物だから敵だ。むしろ得意な範囲だよ。あなたが寿命をまっとうするまで、地上にいていいって、神様から許可ももらったし、がんばってサポートするよ」
「だが魔王の封印は解かないこと、だったな。ある程度財産ができたら、平和な土地に引っ越そう。お前がボロを出して、羽を出すと困る」
「うっ」

 カイルのじっとりとした目に、フェンは気まずくなる。
 この間、くしゃみをした拍子にうっかり翼を出してしまい、誤魔化すのが大変だったのだ。
 普段は折りたたんで、体内に仕舞っている。天使にとって、羽は体の一部だから、出し入れ自由だ。

「引っ越すのはいいけど、媒介が足りなくなったらどうするの?」
「だからこうやって魔物の角や爪を集めてるんだ。使う時にすりつぶせばいいだけなら、におわないだろ?」
「血はくさいから、助かるよ」

 血なら一滴、角や爪の粉末なら一振りで二時間程度の実体化だ。触れなくてもどかしい思いをしていたフェンとしては、最高の魔法だ。

「しかし、よく神は許してくれたな」
「うーん、だってこの媒介は、私にしか効かないから。カイルが私を想って、呪詛をばらまいていたから、ある意味、愛の欠片でもあるんだよ。私も知らなかったけどね」

 ずっと憎まれていると思っていた。
 愛もあるけれど、くさびとして繋ぎとめたから、お詫びもこめて傍にいたのに。

「今世では幸せになれって。それで次の転生では全て忘れさって、輪廻の渦に戻れるようにって。そうしてくれないと、いつか世界が歪むからってお話だったよ」
「根負けしたか。いいだろう、幸せになるよ。フェンとともに」
「うん、私は守り続けるよ、ずっとカイルを」

 自然と口付け、笑い合う。
 正直、足元に魔物の死骸があるので、ロマンの欠片もなかったが、カイルがいるならどこでもいい。


 ――その昔、巫女姫がくさびとなり魔王を封じたという。
  しかし繋がれたのは、いったいどちらだったのか。
  神も知らない二人の秘密だ。



 終

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