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零話 わたしの名前。あなたの名前。
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しおりを挟む彼女が次に目を覚ましたのは夜更けだった。
身に覚えがないが、小箱に入って寝ていたらしい。体の下には薄綿の座布団が敷かれていて、寝心地は悪くない。
だるい体で這い出してみると、そこは社の縁の下だった。今度こそ、何者の気配もない。……気配はないが、匂いがした。
それはやたら心惹かれる匂いで、鼻が誘われるままに足が吸い寄せられていく。匂いの出処はすぐに見つかった。縁の下に押し込められた箱のすぐそばに、小鉢が置かれている。そこからえも言われぬ芳しい香りが漂っているのだ。
彼女はそれを知っている。
小鉢の中で横たわり、彼女の血肉となることを待っているのは、なまり節だ。
たくさんの場所を渡り歩いてきたが、滅多にお目にかかれない御馳走だ。彼女はそれを、人間の作ったものの中で、最も美味だと思っている。
なまり節をだし汁と煮たものだ。この時ばかりは、賢い彼女も我を忘れてがっついた。弱って飢えた体に沁み渡る。毒が入っていたかもしれないと気付いたのは、すべて平らげてからだった。
幸い何事もなく済んで、腹は満たされ、幸福の余韻が残った。食後は、まるでずっとそこにいたかのように箱に戻って、泥のように眠った。
敷かれた座布団から、なまり節には劣るが落ち着く香りがする。ひなたの、懐かしい母の香りだ。
小さな手は座布団を揉みしだき、喉の奥からはどこかに置き忘れていた歓びと安堵の音が溢れた。
次の日から、彼女のもとにはなまり節をはじめ、炙った魚をほぐしたものなど、とんと目にかかれない御馳走が届いた。
甲斐甲斐しく餌を届けてくれるのは、昨日の人間だ。男は縁の下を覗きこんで一言、二言声を掛けてくるだけで、手を伸ばしてはこない。空の小鉢と入れ替えに、御馳走入りの小鉢を置いていく。あとは境内で四半刻ほど時を過ごして、再び彼女に声をかけて去っていく。
何日かして、力が戻って来たことに喜びを覚えた彼女が境内を歩いていると、その人間は初めて手を伸ばしてきた。
だが誇り高い彼女は逃げるように縁の下に潜った。恩人に冷たい態度を取りたかったわけではない。ボサボサで艶のない己の身が恥ずかしかったのだ。
体力が戻って、体をくしけずる余裕も出てきた彼女は朝、昼、晩と一生懸命に身を清めた。そうしてまた数日が経つころには、怪我をする前の滑らかで艶やかな蒲公英色の毛並みを取り戻すことができた。
これで恥じることなく、身を差し出せる—————。
日向ぼっこでさらに磨きをかけて、男を待った。やがて定刻通りにやってきた男の足元に、彼女は初めて頬擦りした。
その時の彼の喜色ばんだ笑顔は、彼女の心に鮮やかに焼きつくことになる。
いつの時か、人間に纏わりつくのは媚びを売っているようで嫌だと思った。だが不思議と……ただ相手の笑顔が見たくて、ただその温もりに触れたくて、くっついていたいと思うこともあるのだと、彼女はその時になって初めて知った。
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