あるじさま、おしごとです。

川乃千鶴

文字の大きさ
上 下
98 / 112
第九話 死が二人を別つまで。

3

しおりを挟む

「は……わ、ああ……お、おキョウさんだ……。猫のおキョウさんだぁ」

 信じがたいものを前に、間の抜けた声が漏れてしまう。

「主人様。ショウスケ様」

 キョウコもまた我を忘れて、ショウスケの両脚に八の字を描くように頬を擦り寄せる。
 ショウスケが安堵してへたりこむと、その膝に飛び乗って、彼の顔に小さな額を何度も何度も押し付けた。骨が鳴り合うまで激しくぶつかるが、ふわふわの毛のおかげで痛くはない。

 かつて共に過ごした社での日々を繰り返すように、温かで柔らかな体を腕に抱く。手のひらに収まってしまう小さな頭を撫でると、ごろごろと懐かしい音が聞こえた。
 ショウスケは、それで初めて気が付いた。キョウコはさっきから言葉を喋っていない。聞こえるのは懐かしい猫の声だ。それがヒトの言葉に換えられて、頭に響いてくるからキョウコの声に聞こえるのだ。

「また猫の姿で会えるなんて思わなかった。それに今、名を呼んでくれた?」
「……主人様のお命が消えかかっているために、貴方様とわたくしの魂が、引き離されかけているのです。ですからこうして、喚び戻される前のキョウコになれたのでございます。今ならば、お名前を呼ぶことだってできるのです。……ショウスケ様。ああ、ずっとお呼びしたかった……」

 猫は何度も何度も主人の名を呼んで、頬擦りする。名を呼ぶたびに、不自然に毛が逆立つのは、どこか痛むからだろう。手綱が緩んでいるとは言え、完全に縛りがないわけではないようだ。
 それでもキョウコは、九年間の寂しさを埋めるように何度もショウスケを呼び続けた。

「……ありがとう。もう充分。そして、ごめんなさい」

 伝えたいことは山程あるが、まずはひどく傷付けてしまったことを懺悔した。一辺に、愛まで告げたくなるのを押し留め、ショウスケは悲しく問いかける。

「僕はまもなく死ぬのだね? そうしたら、おキョウさんを縛るものはなくなるのだろう?」

 それならその方がいいのではないかと、途端に弱気が押し寄せる。
 すると猫は不機嫌そうに尻尾を揺らした。

「まったく……、貴方様もお坊様も、どうしてそうわたくしを哀れなものにしたがるのでしょう」

 キョウコは、ショウスケの膝から下りて、すっと背筋を伸ばした。まるで胸を張るように。

「よろしいですか、ショウスケ様。先程も申しましたが、この姿のわたくしは、……お言葉をお借りするならば、貴方様に縛られる前のわたくしです。そのわたくしが今ふたたび、虹を越えて黄泉路を駆けてきたのは、どうしてだと思いますか」
「また僕が呼んだからでしょう?」

 猫の尻尾が左右に揺れる。

「まことのぼんくらにございますか」
「……辛辣だなぁ」
「わたくしが、貴方様に会いたかったからでございますよ。ずっとお慕いしていたと、申し上げましたでしょう?」

 ぷりぷりと怒りながら、もう一度膝に乗ってきた翡翠の目は自信に満ち、煌めいている。

「今度はわたくしが、ショウスケ様のココロを奪いに参りましたよ」

 猫が笑ったように見える、というのも不可思議なことだが、そういう顔にしか見えなかった。
 翠玉の中に映るショウスケも、気付けば笑っていた。

「それならもうとっくに、貴女のものだ」

 小さな額に、額を合わせると陽だまりの香りが心を満たした。

 胸に思い描く恋の筋書きなら、ここで接吻くちづけでもしておきたいところだが。

(……それにしても、猫だ)

 それはちょっとやめておいて、目一杯の愛情を手から伝えることにした。
 キョウコの愛しみ方を、ショウスケの手は忘れていない。
 耳の間の狭い額を、毛の流れに沿って指で舐めるようにすると、安らいだ顔をする。耳の後ろから顎までを撫でると、一際大きく喉を鳴らすのも変わらない。
 しなやかに湾曲した背筋を撫でれば、尻尾をぴんと立てて腰を浮かす。付け根を指先で叩くようにすると、ふるふると尾を振るわせるのが、なんだか面白くていつもそうしていたのだが……。

「あのっ……、それをされると身体が疼いて……わたくしには刺激が強すぎるので……程々に」
「えっ!?」
「はあ……やはりわかっておられませんでしたか……」

 キョウコはころんと転がり、気を取り直すように忙しく毛繕いした。

「人間で言えば、寸止めを食らっているようなものでございます。まったく……いけずなお方ですこと」
「すみませんでした……」

 妙に艶のある目で下から覗かれて、過去に何度そうしてきたか思い出させられた。平謝りしながら、猫のキョウコを抱き上げて、腕の中で優しく撫でた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

新説・鶴姫伝! 日いづる国の守り神 PART4 ~双角のシンデレラ~

朝倉矢太郎(BELL☆PLANET)
キャラ文芸
復活した魔王の恐るべき強さの前に、敗走を余儀なくされた鶴と誠。 このままでは、日本列島が粉々に砕かれてしまう。 果たして魔王ディアヌスを倒し、魔の軍勢を打ち倒す事ができるのか!?  この物語、必死で日本を守ります!

【完結】限界離婚

仲 奈華 (nakanaka)
大衆娯楽
もう限界だ。 「離婚してください」 丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。 丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。 丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。 広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。 出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。 平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。 信じていた家族の形が崩れていく。 倒されたのは誰のせい? 倒れた達磨は再び起き上がる。 丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。 丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。 丸田 京香…66歳。半年前に退職した。 丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。 丸田 鈴奈…33歳。 丸田 勇太…3歳。 丸田 文…82歳。専業主婦。 麗奈…広一が定期的に会っている女。 ※7月13日初回完結 ※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。 ※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。 ※7月22日第2章完結。 ※カクヨムにも投稿しています。

婚約破棄?一体何のお話ですか?

リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。 エルバルド学園卒業記念パーティー。 それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる… ※エブリスタさんでも投稿しています

【完結】双子の伯爵令嬢とその許婚たちの物語

ひかり芽衣
恋愛
伯爵令嬢のリリカとキャサリンは二卵性双生児。生まれつき病弱でどんどん母似の美女へ成長するキャサリンを母は溺愛し、そんな母に父は何も言えない……。そんな家庭で育った父似のリリカは、とにかく自分に自信がない。幼い頃からの許婚である伯爵家長男ウィリアムが心の支えだ。しかしある日、ウィリアムに許婚の話をなかったことにして欲しいと言われ…… リリカとキャサリン、ウィリアム、キャサリンの許婚である公爵家次男のスターリン……彼らの物語を一緒に見守って下さると嬉しいです。 ⭐︎2023.4.24完結⭐︎ ※2024.2.8~追加・修正作業のため、2話以降を一旦非公開にしていました。  →2024.3.4再投稿。大幅に追加&修正をしたので、もしよければ読んでみて下さい(^^)

禁色たちの怪異奇譚 ~ようこそ、怪異相談事務所へ。怪異の困りごと、解決します~

出口もぐら
キャラ文芸
【毎日更新中!】冴えないおっさんによる、怪異によって引き起こされる事件・事故を調査解決していくお話。そして、怪異のお悩み解決譚。(※人怖、ダーク要素強め) 徐々に明かされる、人間×怪異の異類婚姻譚です。 【あらすじ】  大学構内掲示板に貼られていたアルバイト募集の紙。平凡な大学生、久保は時給のよさに惹かれてそのアルバイトを始める。  雇い主であるくたびれた中年、見藤(けんどう)と、頻繁に遊びに訪れる長身美人の霧子。この二人の関係性に疑問を抱きつつも、平凡なアルバイト生活を送っていた。  ところがある日、いつものようにアルバイト先である見藤の事務所へ向かう途中、久保は迷い家と呼ばれる場所に迷い込んでしまう ――――。そして、それを助けたのは雇い主である見藤だった。 「こういう怪異を相手に専門で仕事をしているものでね」 そう言って彼は困ったように笑ったのだ。  久保が訪れたアルバイト先、それは怪異によって引き起こされる事件や事故の調査・解決、そして怪異からの依頼を請け負う、そんな世にも奇妙な事務所だったのだ。  久保はそんな事務所の主――見藤の人生の一幕を垣間見る。 お気に入り🔖登録して頂けると励みになります! ▼この作品は「小説家になろう」にも投稿しています。

処理中です...