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第九話 死が二人を別つまで。
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しおりを挟む「は……わ、ああ……お、おキョウさんだ……。猫のおキョウさんだぁ」
信じがたいものを前に、間の抜けた声が漏れてしまう。
「主人様。ショウスケ様」
キョウコもまた我を忘れて、ショウスケの両脚に八の字を描くように頬を擦り寄せる。
ショウスケが安堵してへたりこむと、その膝に飛び乗って、彼の顔に小さな額を何度も何度も押し付けた。骨が鳴り合うまで激しくぶつかるが、ふわふわの毛のおかげで痛くはない。
かつて共に過ごした社での日々を繰り返すように、温かで柔らかな体を腕に抱く。手のひらに収まってしまう小さな頭を撫でると、ごろごろと懐かしい音が聞こえた。
ショウスケは、それで初めて気が付いた。キョウコはさっきから言葉を喋っていない。聞こえるのは懐かしい猫の声だ。それがヒトの言葉に換えられて、頭に響いてくるからキョウコの声に聞こえるのだ。
「また猫の姿で会えるなんて思わなかった。それに今、名を呼んでくれた?」
「……主人様のお命が消えかかっているために、貴方様とわたくしの魂が、引き離されかけているのです。ですからこうして、喚び戻される前のキョウコになれたのでございます。今ならば、お名前を呼ぶことだってできるのです。……ショウスケ様。ああ、ずっとお呼びしたかった……」
猫は何度も何度も主人の名を呼んで、頬擦りする。名を呼ぶたびに、不自然に毛が逆立つのは、どこか痛むからだろう。手綱が緩んでいるとは言え、完全に縛りがないわけではないようだ。
それでもキョウコは、九年間の寂しさを埋めるように何度もショウスケを呼び続けた。
「……ありがとう。もう充分。そして、ごめんなさい」
伝えたいことは山程あるが、まずはひどく傷付けてしまったことを懺悔した。一辺に、愛まで告げたくなるのを押し留め、ショウスケは悲しく問いかける。
「僕はまもなく死ぬのだね? そうしたら、おキョウさんを縛るものはなくなるのだろう?」
それならその方がいいのではないかと、途端に弱気が押し寄せる。
すると猫は不機嫌そうに尻尾を揺らした。
「まったく……、貴方様もお坊様も、どうしてそうわたくしを哀れなものにしたがるのでしょう」
キョウコは、ショウスケの膝から下りて、すっと背筋を伸ばした。まるで胸を張るように。
「よろしいですか、ショウスケ様。先程も申しましたが、この姿のわたくしは、……お言葉をお借りするならば、貴方様に縛られる前のわたくしです。そのわたくしが今ふたたび、虹を越えて黄泉路を駆けてきたのは、どうしてだと思いますか」
「また僕が呼んだからでしょう?」
猫の尻尾が左右に揺れる。
「まことのぼんくらにございますか」
「……辛辣だなぁ」
「わたくしが、貴方様に会いたかったからでございますよ。ずっとお慕いしていたと、申し上げましたでしょう?」
ぷりぷりと怒りながら、もう一度膝に乗ってきた翡翠の目は自信に満ち、煌めいている。
「今度はわたくしが、ショウスケ様の魂を奪いに参りましたよ」
猫が笑ったように見える、というのも不可思議なことだが、そういう顔にしか見えなかった。
翠玉の中に映るショウスケも、気付けば笑っていた。
「それならもうとっくに、貴女のものだ」
小さな額に、額を合わせると陽だまりの香りが心を満たした。
胸に思い描く恋の筋書きなら、ここで接吻でもしておきたいところだが。
(……それにしても、猫だ)
それはちょっとやめておいて、目一杯の愛情を手から伝えることにした。
キョウコの愛しみ方を、ショウスケの手は忘れていない。
耳の間の狭い額を、毛の流れに沿って指で舐めるようにすると、安らいだ顔をする。耳の後ろから顎までを撫でると、一際大きく喉を鳴らすのも変わらない。
しなやかに湾曲した背筋を撫でれば、尻尾をぴんと立てて腰を浮かす。付け根を指先で叩くようにすると、ふるふると尾を振るわせるのが、なんだか面白くていつもそうしていたのだが……。
「あのっ……、それをされると身体が疼いて……わたくしには刺激が強すぎるので……程々に」
「えっ!?」
「はあ……やはりわかっておられませんでしたか……」
キョウコはころんと転がり、気を取り直すように忙しく毛繕いした。
「人間で言えば、寸止めを食らっているようなものでございます。まったく……いけずなお方ですこと」
「すみませんでした……」
妙に艶のある目で下から覗かれて、過去に何度そうしてきたか思い出させられた。平謝りしながら、猫のキョウコを抱き上げて、腕の中で優しく撫でた。
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