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第七話 だれでもなくて。
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しおりを挟む一先ず喫茶店を出て、忘れないうちにコロッケを買った。熱々の紙袋を、ショールの包みに触れないように気をつけて持つ。
「送っていくから、荷物を貸して」
「いえ、結構です。二人で工場に行ったりしたら、それこそもう父が逃がしてくれませんよ?」
上手く笑えるかわからなくて、キヌは数歩先で背中を見せた。
「先程のお話ですけれど……、忘れてください。キヌは甘やかされて育った我儘な末娘です。欲しいものは何でも手に入れなければ気が済みません」
「……似合わないことを言う」
「でも、ショウスケ様は欲しくありません。キヌは我儘ですから、わたしだけを見ていてくれる方でないと、嫌なのですわ」
「キヌさん、あれはそういうことではなくて……」
振り返ったキヌは、思いの外綺麗に微笑えていた。
「でしたらショウスケ様。お帰りまでの間、時間はたっぷりありますから、もう一度考えてみてください。わたしではありませんよ。ショウスケ様ご自身のことです。
笑っている彼女の隣には、どなたがいらっしゃるのですか?」
※ ※ ※
キヌと別れた後、ショウスケは帰りの列車までの時間を百貨店に戻って過ごした。
キョウコの土産に何か買っていこうと、いくつか目星はつけていた。
昔から使っている巾着も、そろそろ買い替えていいだろう。赤い手提げはどうか。
艶やかな髪を梳く櫛はどんなものがいいか。髪は黒いのに、蒲公英の色が目について。
身を飾る小物には興味がなさそうだ。それに、高価な首飾りを彩る翡翠も、あの瞳の輝きには劣るだろう。
赤い着物に似合いそうな、生成色のショールを肩に掛けたら、どんな顔をするか……。
想像のキョウコはぷっくり頬を膨らませて怒っていた。
———大切なでえとの時に、わたくしのことなど考えておられたのですか? キヌ様に失礼でございましょう!
(ああ、言われそうだ……)
土産は諦め、ショウスケは駅舎に向かった。
次は正月の頃にでも、一緒に買い物に来ればいい。そんな風に思いながら、時刻表を書き写し、クラサワ行きの客車に乗り込んだ。
規則的な揺れに微睡みながら、キヌの言葉を思い返す。
———笑っている彼女の隣には、どなたがいらっしゃるのですか?
きっと当面、自分自身なのだとショウスケは思う。
あの秋の日から、いつか気持ちも変わるだろうと思いながら、今日まで来た。
その間に、そこまで想ってくれるのなら……と絆されそうになったこともある。その度に、そんな半端な覚悟でキョウコを娶るのは、彼女の想いを踏み躙るのではと蓋をしてきたのだ。
キヌの話ではないが、彼女だけを愛して、彼女もまたその人を愛す。そんな幸福な巡り合わせがあったなら、白無垢で送り出すつもりでいるのに。なかなかそんな日はやって来なかった。
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