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第七話 だれでもなくて。
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しおりを挟む小さな喫茶店には、客はまばらだ。座席の後ろが衝立のようになっていて、座ってしまえば客同士の姿も見えず、落ち着いて会話を楽しめそうな雰囲気のいい店だ。
通りが見える窓際の席に腰を落ち着けて、少しの間、何気ない会話で間を保った。
やがて運ばれてきた珈琲の香りを間に挟み、キヌが沈痛な面持ちで口を開いた。
「……ショウスケ様、本日はありがとうございました。父の勘違いで、お気を揉まれたかと思いますが、本当に気になさらないでくださいね」
カップに添えた手が震えるのか、カチャカチャと小さな音がした。膝の上に手を組み替えて、キヌは言葉を紡ぐ。
「ですから、この先は……お家ではなく、わたし個人の気持ちのお話ですので、ショウスケ様もそのつもりでお答えください。
わたしは、ショウスケ様をお慕いしております。十の頃よりずっと、あなたの笑顔が胸にありました。こんな薹が立った娘では、ご迷惑でしょうけど……もう、きっと伝える機会もなさそうなので。すみません」
手巾で目頭を押さえ、キヌは静かに涙を落とした。
突然の告白に、ショウスケが驚くことはなかった。そうだと勘づくものは常々あった。
キヌは美しく、賢い娘だ。昔から知っている限り、嫌だと思うところもない。タナカ屋との関係も含めて、断る理由などなかった。
「こういうことを、女性の方から言わせてしまうから、わたしは今でも独り身なのだと思うよ」
呟いて、ショウスケは苦笑する。
店の縁を考えれば、断る理由はない。だがキヌが欲しがっているのは、店主の答えではない。ショウスケ自身の気持ちだ。
キヌを憎からず思う。その気持ちに偽りはない。
だがそれはきっと、彼女でなくてはならないというのとは別だ。そこまでの熱情を感じられなかった。
「お心に、決めた方がいらっしゃるのでしょう?」
キヌはまた微笑む。泣いているのに微笑ってくれるのが悲しくて、ショウスケは正直な思いを告げる。
「そんな方はいません。いないけど」
なぜかキョウコの顔が浮かんだ。
散々ひとに結婚を迫っておいて、キヌとの縁談を快く受け入れた、猫の真意がわからない。いつも通りに送り出した顔はどんなだったか。
帰って、縁談が上手くいったと伝えたらどんな顔をするだろうか。
「泣かせたくない、は……驕りだな」
ショウスケが妻を娶ったら、キョウコはどうする?
猫は、どこかに消えてしまうのではないか。それはひどく寂しいことに思えた。
「笑っていてほしいひとがいて」
誰かいい出会いでもあって店を出て行くのなら、どこかで幸せになってくれていると信じていられるのに。
「そのひとが、わたしに愛想をつかすまで、わたしは誰とも結ばれるつもりはないようです」
口にしながら、想いが形になっていく。ショウスケよりもキヌの方が敏感に察して、涙を深めた。
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