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第七話 だれでもなくて。
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しおりを挟む町で人気の食堂は、昼時ともなれば満席で当然で、ずらりと行列ができていた。タナカ屋のおかげで予約席に通された二人は、少しも待つことなく温かな食事にありつけた。
初めは緊張していたキヌも、打ち解けてきたようだ。衣の食感が楽しいカツレツをいただきながら、和やかに会話も弾む。
そこで話題に上がったのが、キヌが今も務める茶屋の話だ。実は悩みというのも、店の客に関することだという。
「ショウスケ様は、初めてのお店に入ったらまず何を頼まれますか?」
「そうだなぁ。好物かおすすめの物をいただくかな」
「そうでしょう? たいていの方は、そうですわよね」
ふう、とキヌは息をつく。
「たまに見えるお客さんで、『この席に座っていた客と同じものを』と頼まれる方がいるんです」
「へぇ?」
「近頃は慣れたからか、『前の客と同じものを』って言うんですけど……」
誰か特定の客をつけ回しているわけでもないらしい。店に来ては適当な席に座り、お決まりの注文をして、普通に帰っていく。
見た目はキヌと同じ年頃の男だそうで、注文以外に変わったところがないから、余計に不審だと言う。
「一度だけ、『今日はまだ誰も座っていません』って答えたことがあるんですが、その時は『じゃあおすすめを』と頼まれました」
「ふむ……何者だろう。気味が悪くはあるけれど、害があるわけでもないのではねぇ。どうしようもない」
「そうなんです」
キヌはしゅん、と肩を落とす。
しまった、相談に乗るはずが落ち込ませてしまった。ショウスケはいろいろと推測して、楽しく考えられそうなことだけを口にしてみた。
もしかしたらその客は、誰かを探しているのかもしれないとか。自分の好物に遭遇できるか賭けているのでないかとか。
そんなことを話しているうちに、キヌに笑顔が戻った。
そう言えば──とショウスケは気付く。今日は随分ところころ表情を変えて見せてくれるのだな、と。
※ ※ ※
腹ごなしに町をぶらつきながら、会話に詰まることはなかった。キヌは実に様々なことを知っている。元々頭が良い上に、茶屋で人を見ているだけあって頭の回転が速いのだろう。
そしてあてもなく歩いているが、決して近づこうとしない場所がある。少しでもそこに通じる通りに入ろうものなら、自然に足の向きを変えていた。
代書屋の並ぶ通りだ。そこには取り潰しにあったゴンゲン堂の店舗が残っている。
優しく聡い娘なのだ。
角を曲がった先から、ふわりと芳しい脂の匂いが漂ってきた。洋食屋の一角で、からりと揚がったコロッケを露店売りしている。
「わぁ、美味しそう。工場の皆さんに持っていきましょう」
「ああ、この近くでしたね。タナカ屋さんの製紙場は」
「はい。ショウスケ様も、今晩の食卓にいかがです?」
確かに、香ばしくて美味そうだ。だが。
「ああいや、今日は里芋の煮っ転がしが待っているから」
そう答えると、どうしてだか口許が綻んだ。
するとまたキヌの表情は曇って、コロッケを買いに行こうとしていた足がぴたりと止まった。
しばし黙り込んだ後、彼女は近くの喫茶店を指差して、隙のない笑みを見せた。
「歩いて喉が渇きました。あちらでお茶にしませんか?」
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