81 / 112
第七話 だれでもなくて。
3
しおりを挟むしっとりと指に絡む髪が、名残惜しそうに離れていく。はらりとこぼれる髪の先から、陽だまりの香りがして、キョウコは一つ瞬きをすると……。
「そうそう、セイタロウ様がいらしているのでした。わたくし、先に戻っております」
取り繕う様子もなく、けろっとした面持ちで部屋を滑り出た。
ショウスケは呆気に取られた。珍しく一本取れたと思っても、実はそれすら猫の思惑だったのではないかと考えさせられる。
弱ったものだと頭を抱えると、温かく清い移り香にさえ翻弄された。陽の光に愛されたキョウコの香りの中に、全く別物の香りが混じっている。青みの強い、清涼感ある匂いだ。
少なくともキョウコの近くで嗅いだ覚えはなく、何の匂いか見当もつかない。首を傾げながらも、ショウスケは友人がいるという階下へ向かった。
※ ※ ※
「よっ、旦那様。いい羽織だな。決まってる」
さもそこにいて当然かのように、火鉢に手をかざす刑番所の男。制服の上に鼠色の襟巻きを巻いたセイタロウが、にやついた顔で座り込んでいる。
「こら、仕事中だろう。またうちで油を売って……、コイミズ様にどやされるこっちの身にもなってくれ」
濃い白の腕章にちらりと目をやる。普通ならあと二階級くらい上の腕章でもいい年齢だというのに、若手に追い抜かれるのも全く気にしていないようだ。
「ちゃんと仕事はしてるぞ。さっきも道に迷った爺様を助けてだな。お礼にもらった芋を、こうして分けに来たんじゃないか」
キョウコが自分の肩幅より大きな木箱を、セイタロウの足元から持ち上げる。青くさい匂いがするそれは、土のついた里芋だ。
「今晩は煮っ転がしにいたしましょう」
「お、いいねぇ。帰りも寄っちゃおうかな」
「駄目駄目。今日は何時に帰れるかわからないんだから。いいかい、おキョウさん。わたしがいない時に、こんな遊び人を招き入れてはいけないよ?」
火の元は気をつけるようにとか、初めて留守居するわけでもないのにくどくど述べて、ショウスケは履き物をはく。
「ああ、ちょっと待て待て。夕刻から雪が降るかもしれないぞ。寒くなったら巻くのに、持っていけよ」
セイタロウは襟巻きを畳むと、ショウスケの羽織の内に押し込んだ。
「気をつけてな」
「行ってらっしゃいませ、主人様」
セイタロウの隣、いつもと変わらない調子で送り出すキョウコに問いたいことがあった。
──本当に行っていいのか、と。
だがなぜそんなことを問おうと思うのか、結局は己の驕りでしかないように思えて、ショウスケは静かに店を出た。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
召喚されたリビングメイルは女騎士のものでした
think
ファンタジー
ざっくり紹介
バトル!
いちゃいちゃラブコメ!
ちょっとむふふ!
真面目に紹介
召喚獣を繰り出し闘わせる闘技場が盛んな国。
そして召喚師を育てる学園に入学したカイ・グラン。
ある日念願の召喚の儀式をクラスですることになった。
皆が、高ランクの召喚獣を選択していくなか、カイの召喚から出て来たのは
リビングメイルだった。
薄汚れた女性用の鎧で、ランクもDという微妙なものだったので契約をせずに、聖霊界に戻そうとしたが
マモリタイ、コンドコソ、オネガイ
という言葉が聞こえた。
カイは迷ったが契約をする。
忌み子と呼ばれた巫女が幸せな花嫁となる日
葉南子
キャラ文芸
★「忌み子」と蔑まれた巫女の運命が変わる和風シンデレラストーリー★
妖が災厄をもたらしていた時代。
滅妖師《めつようし》が妖を討ち、巫女がその穢れを浄化することで、人々は平穏を保っていた──。
巫女の一族に生まれた結月は、銀色の髪の持ち主だった。
その銀髪ゆえに結月は「忌巫女」と呼ばれ、義妹や叔母、侍女たちから虐げられる日々を送る。
黒髪こそ巫女の力の象徴とされる中で、結月の銀髪は異端そのものだったからだ。
さらに幼い頃から「義妹が見合いをする日に屋敷を出ていけ」と命じられていた。
その日が訪れるまで、彼女は黙って耐え続け、何も望まない人生を受け入れていた。
そして、その見合いの日。
義妹の見合い相手は、滅妖師の名門・霧生院家の次期当主だと耳にする。
しかし自分には関係のない話だと、屋敷最後の日もいつものように淡々と過ごしていた。
そんな中、ふと一頭の蝶が結月の前に舞い降りる──。
※他サイトでも掲載しております
死に戻り令嬢は千夜一夜を詠わない
里見透
キャラ文芸
陰謀により命を落とした令嬢は、時を遡り他人の姿で蘇る。
都を騒がす疫病の流行を前に、世間知らずの箱入り娘は、未来を変えることができるのか──!?
同人アンソロジー『DATTAMONO』収録作品です。
https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=2653711
カクテルBAR記憶堂~あなたの嫌な記憶、お引き取りします~
柚木ゆず
キャラ文芸
――心の中から消してしまいたい、理不尽な辛い記憶はありませんか?――
どこかにある『カクテルBAR記憶堂』という名前の、不思議なお店。そこではパワハラやいじめなどの『嫌な記憶』を消してくれるそうです。
今宵もまた心に傷を抱えた人々が、どこからともなく届いた招待状に導かれて記憶堂を訪ねるのでした――
旦那様と僕
三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。
縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。
本編完結済。
『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。
身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁
結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】
妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。
絶世の美女の侍女になりました。
秋月一花
キャラ文芸
十三歳の朱亞(シュア)は、自分を育ててくれた祖父が亡くなったことをきっかけに住んでいた村から旅に出た。
旅の道中、皇帝陛下が美女を後宮に招くために港町に向かっていることを知った朱亞は、好奇心を抑えられず一目見てみたいと港町へ目的地を決めた。
山の中を歩いていると、雨の匂いを感じ取り近くにあった山小屋で雨宿りをすることにした。山小屋で雨が止むのを待っていると、ふと人の声が聞こえてびしょ濡れになってしまった女性を招き入れる。
女性の名は桜綾(ヨウリン)。彼女こそが、皇帝陛下が自ら迎えに行った絶世の美女であった。
しかし、彼女は後宮に行きたくない様子。
ところが皇帝陛下が山小屋で彼女を見つけてしまい、一緒にいた朱亞まで巻き込まれる形で後宮に向かうことになった。
後宮で知っている人がいないから、朱亞を侍女にしたいという願いを皇帝陛下は承諾してしまい、朱亞も桜綾の侍女として後宮で暮らすことになってしまった。
祖父からの教えをきっちりと受け継いでいる朱亞と、絶世の美女である桜綾が後宮でいろいろなことを解決したりする物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる