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第七話 だれでもなくて。

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 しっとりと指に絡む髪が、名残惜しそうに離れていく。はらりとこぼれる髪の先から、陽だまりの香りがして、キョウコは一つ瞬きをすると……。

「そうそう、セイタロウ様がいらしているのでした。わたくし、先に戻っております」

 取り繕う様子もなく、けろっとした面持ちで部屋を滑り出た。
 ショウスケは呆気に取られた。珍しく一本取れたと思っても、実はそれすら猫の思惑だったのではないかと考えさせられる。
 弱ったものだと頭を抱えると、温かく清い移り香にさえ翻弄された。陽の光に愛されたキョウコの香りの中に、全く別物の香りが混じっている。青みの強い、清涼感ある匂いだ。
 少なくともキョウコの近くで嗅いだ覚えはなく、何の匂いか見当もつかない。首を傾げながらも、ショウスケは友人がいるという階下へ向かった。

 ※ ※ ※

「よっ、旦那様。いい羽織だな。決まってる」

 さもそこにいて当然かのように、火鉢に手をかざす刑番所の男。制服の上に鼠色の襟巻きを巻いたセイタロウが、にやついた顔で座り込んでいる。

「こら、仕事中だろう。またうちで油を売って……、コイミズ様にどやされるこっちの身にもなってくれ」

 濃い白の腕章にちらりと目をやる。普通ならあと二階級くらい上の腕章でもいい年齢だというのに、若手に追い抜かれるのも全く気にしていないようだ。

「ちゃんと仕事はしてるぞ。さっきも道に迷った爺様を助けてだな。お礼にもらった芋を、こうして分けに来たんじゃないか」

 キョウコが自分の肩幅より大きな木箱を、セイタロウの足元から持ち上げる。青くさい匂いがするそれは、土のついた里芋だ。

「今晩は煮っ転がしにいたしましょう」
「お、いいねぇ。帰りも寄っちゃおうかな」
「駄目駄目。今日は何時に帰れるかわからないんだから。いいかい、おキョウさん。わたしがいない時に、こんな遊び人を招き入れてはいけないよ?」

 火の元は気をつけるようにとか、初めて留守居するわけでもないのにくどくど述べて、ショウスケは履き物をはく。

「ああ、ちょっと待て待て。夕刻から雪が降るかもしれないぞ。寒くなったら巻くのに、持っていけよ」

 セイタロウは襟巻きを畳むと、ショウスケの羽織の内に押し込んだ。

「気をつけてな」

「行ってらっしゃいませ、主人様」

 セイタロウの隣、いつもと変わらない調子で送り出すキョウコに問いたいことがあった。

──本当に行っていいのか、と。

 だがなぜそんなことを問おうと思うのか、結局は己の驕りでしかないように思えて、ショウスケは静かに店を出た。
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