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第六話 「あるじさま」のお名前。

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 四十九日が過ぎて、店には店主と猫が残るのみで、すっかり閑散としてしまった。
 街はいつも通り、賑わっている。なんのかんので、再選を果たした町長を始めとし、変わったことは何もない。
 ただ一つの店だけが、忘れられてしまったように取り残されているだけだ。窓の外、盛んに鳴くヒグラシに店を乗っ取られてしまったかのように、何の音もしない。

 ショウスケはたまにコイミズの遣いが持ってくる仕事をこなしていたが、それだけで食っていくのは難しいと早々に気が付いた。

 それで街に出て、仕事をもらえないか駆け回った。後ろ指を刺され、素っ気ない態度を取られても、直向きに笑顔で立ち向かった。
 わかってはいたが、そこまでしても、一つとて仕事は舞い込まなかった。

 そうしてある朝、とうとう起き上がれなくなった。
 朝焼けに染まる天井を見上げたまま、布団から出られない。
 せめてキョウコにだけは不自由させたくない。そのためなら何だってしてやれるのに、何だか急に虚しくなってしまった。

 眠るでもなく、起きている心地もしないまま、ぼんやり時が過ぎていく。
 部屋の隅まで光が満ちる頃、襖の向こうで声がした。

「おはようございます、主人様」

 ひぃ……
  ふぅ……
   みぃ……で、襖が開かれる。

「お加減が悪うございますか?」

 ショウスケは首を横に振る。しかし起き上がる素振りもない。傍らに膝をついた猫は、情け無用で夜具を取っ払った。

「でしたら、お仕事でございます」
「仕事なんて、ないじゃないか。このまま寝ているよ」
「いけません、起きてください」

 情けなく丸まるショウスケの肩を、キョウコは揺する。全く起き出す気配がないので、キョウコは途中からうどんをこねているような気分だった。

 これではだめだ。
 キョウコは意を決して、ショウスケに馬乗りになると寝巻きの帯を解き、捨て去った。とにかくがむしゃらに、ショウスケを裸に剥くことだけを考えて、肩口からはだけさせる。
 これにはさすがのショウスケも驚いて飛び上がった。

「な、何するの!?」
「あら、お着替えのお手伝いでございますよ? さっ、お早く身ぐるみお寄越しくださいませ」
「どこの追い剥ぎですか!?」

 ぶつぶつ言いながら、ショウスケは座り直す。
 乱された寝巻きをとりあえず身につけたまま、項垂れた。

「起きたって仕事などないのに」
「何を仰います。主人様はこの店の旦那様。どっしり座っているのがお仕事でございます。今日からはわたくしが、お仕事を探しに行ってまいりますから」
「それはさせられないな」
「でしたら一緒に参りましょう」

 ショウスケは嫌そうな顔だ。再び布団に倒れ込んでしまう。キョウコがもう一度馬乗りになって、揺さぶるも効果なしだ。

「主人様……、この街は大旦那様が愛された街でございますよ。そう薄情者ばかりなはず、ございません」

 ショウスケの目蓋の裏に、手のひらを返した人々の顔が焼き付いている。

「……起きてください」

 耳元で、キョウコの声がした。頬を掠めるくすぐったい感触は、柔らかな黒髪だ。
 軽く柔らかな温もりが身を覆うが、布団ではない。夜具はさっきキョウコが放ったまま、畳の上だ。

「主人様が起きてくださらないと、わたくしの朝も始まらないのです」

 そろりと目を開けると、間近に翡翠の瞳があって、潤んだ眼差しで見つめられていた。

「それとも、このまま……夜に身を置かれるのでございますか?」

 ショウスケの身の内で警鐘が鳴り響く。
 いま、少女は越えてはならない線を越えてこようとしている。ここで起きなければ、名実ともに地に落ちると、わずかに残った誇りが必死に声を上げていた。

「わたくしもそこに置いてくださいますか?」
「……置きません! けど、起きます! 起きますから……」

 起き上がって、キョウコを体から引き剥がす。
 傍らで少女は綺麗に微笑んでいる。先程までの、匂うような女の瞳はどこにもない。

「おはようございます、主人様。遅いお目覚めでございましたね」
「……おはようございます」

 かつて、ショウスケをこんなに意のままにし、困らせた女はいない。それなのに、迫られれば迫られるほど、ショウスケの身持ちが堅くなっているのもおかしな話だ。

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