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第六話 「あるじさま」のお名前。

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 無言でいるキョウコに畳み掛けるように、彼は続ける。

「そしておぬしを黄泉より呼び戻し、名で縛ったか」
「……おやめください」

「穢らわしい。紛れもなく反魂はんごんだ。死者を甦らせ使役することが人の道に外れた禁忌の行いだとは、猫であろうとわかるな? 無垢ゆえに無自覚にその力を行使してしまう、かの存在がいかに危険か……やはり看過できるものではない。
 おぬしはなぜ隠しておる。早々に告げねば、次は親を甦らせかねぬぞ」

 そうなっても、ショウスケは甦った両親に気づくことはないだろう。エイゲンのように人ならざるものが見えるわけではないから、実体がないものを目にすることはできないはずだ。キョウコの時も初めはそうだったのだ。社のカミの施しがなければ、今も存在に気付かれないままいたことだろう。

──願いが叶うなら、何枚だって短冊を書くから……。

 言えるはずもなかった。
 心のままに、願いを書いて名を呼べばいいのですよ、とは。

「親に主人様あるじさまと呼ばれるのは地獄であろうな。主人を思うのなら、そうなる前に教えてやるべきだ。おぬしが言えぬのなら、わたしが……」
「おやめください!!」

 強く制したが、声は抑えたつもりだ。誰かに、ショウスケには絶対に聞かれてはならない。

「わたくしはしもべゆえに、おそばにいるのではございません。主人様を心からお慕いしているのです。
真実を告げれば、主人様はきっとわたくしと添い遂げてくださるでしょう。お優しい方でございますから。お心を苛まれて、責任を感じられるのでございましょう。ですが、わたくしが欲しいのは同情ではございません。もしかしたら結ばれる日が来るかもしれないと、淡い夢を抱きながら……日々をともに重ねていきたいのです」
「憐れな猫よ。その想いこそがまやかしなのだ。しもべが主人を一番に想うは当然のこと。おぬしは心さえ縛られておるのだ」
「煩悩をお捨てになられたお坊様には、わたくしの心など理解できぬでしょう」

 にこりとキョウコが笑うと、翡翠の瞳が妖しく光った。薄闇の中で開く瞳孔に獣が棲みついている。縄張りを侵すつもりなら、爪と牙を剥く覚悟だと唸りをあげている。

「化け猫め。おぬしがまことの妖であったなら、祓ってくれたものを。小賢しくヒトの身など纏いおって」

 ぎりぎりと、手首を締め上げられる。先程まではただ動きもしないだけだったのに、今度は痛みを覚えた。

 そこへ……墨の幽香を漂わせた、喪服の背中が割り入り、キョウコの視界を遮った。
 まるでキョウコを庇うように立ち塞がったのは、ショウスケだった。

「うちの者が、何か粗相をいたしましたか?」

 やわい笑みを浮かべながら、ショウスケは僧の手を捥ぐ。細い手首にうすら赤くついた指の痕が痛々しい。ショウスケは穏やかな気配を纏ったまま、キョウコを背に隠した。
 たまたま通りがかったところ、何やら揉めているように見えて飛び出したはいいが、これは一体どういう状況であろう。戸惑っていると、キョウコに喪服の袖を引かれた。

「はばかりをご案内していたところでございます。わたくしが転びそうになったのを、お坊様が引き上げてくださったのです」

 そうでございましょう、と猫はショウスケの陰から顔を覗かせる。やむなく話を合わせるしかなくなったエイゲンは、声音を取り繕った。

「あいすまぬ。力任せにしたので、痛かったであろう」

 声の調子や、しゃんとした立ち姿が感じのいい僧だ。不穏な空気を感じたのは間違いだったのだろうかと、ショウスケはキョウコを振り返る。
 少女が大丈夫だと頷くのを、今は信じることにした。

「……手をお貸しくださりありがとうございました。ご住職がお探しでしたよ」
「それはかたじけない」

 会釈で作った死角に、猫の視線を誘い込み、「今日のところは見逃してやろう」と唇を読ませる。そして若い僧は客間へと戻っていった。

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