上 下
58 / 112
第六話 「あるじさま」のお名前。

1

しおりを挟む

 前代未聞の心中事件から、一月が過ぎた。

 ショウスケが街を歩けば、住民の視線は彼に集まり、通りが色めき立つ。老若男女……思惑様々、引く手数多だったのは、もう過去の話だ。

 今では、ショウスケが歩くと波のように人が引く。そして賑々にぎにぎしい通りが寸の間、水を打ったように静まり返った後で、ひそひそとさざめき出す。

 見られているのは、前も今も変わらない。ショウスケを見る目が変わっただけだ。
 遠巻きに囁かれ、後ろ指を刺されても、彼は素知らぬ振りで歩いた。

 刑番所で用事を済ませた帰り道、ショウスケはジゴク橋の袂に見覚えのある後ろ姿を見つけた。
 後頭部で分けた髪の上半分を竜胆色のリボンで結った、若い娘。街行く人々を熱心に見つめる横顔はキヌだ。帳面と木筆えんぴつを手に、街の日常を描いているようだ。

 祭りの引き札に描かれた絵が、見事だったことをショウスケは思い返す。

 帳面と街並みを交差する真剣で熱のこもった眼差しは、趣味の一言で片付けるには勿体無い。ああしてキヌの絵が生まれるのだ。
 凛として美しいキヌの横顔を遠目に見守り、ショウスケは静かにその場を去った。

 しかし……。

「ショウスケ様!」

 気付かれぬようにしたつもりが、キヌが追いかけてきた。慌てて片したのだろう、筆入れから木筆えんぴつが顔を覗かせている。

 キヌは走ってやってきたので、揺さぶられた拍子に木筆がぽろりと飛び出した。

 道端を転がるそれを拾おうと、互いに身を屈める。
 その拍子に、頭と頭がぶつかり合った。木筆を追って下ばかり向いていたので、互いの距離がそこまで縮まっていることに気付いていなかった。
 互いに道端で頭を抱えてうずくまる。

「申し訳ありません。わたし、石頭で……」
「いや大丈夫……」

 目蓋の裏に星がちかちかしているが、ここは歳上の余裕と、男の意地の見せどころだ。
 何とか先に立ち上がることに成功したショウスケは、キヌに手を差し伸べる。それから落とし物を手渡して、あるべきお兄さん像を守り切った。
 キヌに別れを告げ、そそくさとその場を離れようとするも、視界に散らばる星のせいで足がふらつく。

「あのっ……。通り道ですし、お店までご一緒してもよろしいですか?」

 自身が元凶であることを気に病んで、キヌが申し出た。元々そのつもりでショウスケに声を掛けたのだが、まさかこんな形になるとは思わず、申し訳なさが声に滲む。

 ショウスケはやんわり首を振って、微笑を投げた。

「一緒にいて、噂でもされたら困るでしょう?」
「そ、そんなことはありません。困ったりなんて、絶対に……」

 頬を染めたキヌの初心な顔を見れば、一世一代の勇気でもって、声を掛けてくれたことくらいは察せた。それでもショウスケは笑顔を崩さず、首を縦には振れなかった。

「タナカ屋さんにはお世話になっているから。お父上に心配を掛けたらいけないよ」

 それじゃあ、と歩き出すショウスケの足はもうふらついていない。
 キヌももう追いかけてはこなかった。

「紙のご用命はタナカに! また……お届けにあがりますから」

 にこりと、店の看板の笑顔で手を振っている。
 たおやかで凛とした、白百合のようだ。踏みつけられることはないが、手折ることも憚られる。そのままでいた方が、美しさを損なわない。
 ショウスケは花を傷付けないよう、笑顔で手を振り返した。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

地獄の業火に焚べるのは……

緑谷めい
恋愛
 伯爵家令嬢アネットは、17歳の時に2つ年上のボルテール侯爵家の長男ジェルマンに嫁いだ。親の決めた政略結婚ではあったが、小さい頃から婚約者だった二人は仲の良い幼馴染だった。表面上は何の問題もなく穏やかな結婚生活が始まる――けれど、ジェルマンには秘密の愛人がいた。学生時代からの平民の恋人サラとの関係が続いていたのである。  やがてアネットは男女の双子を出産した。「ディオン」と名付けられた男児はジェルマンそっくりで、「マドレーヌ」と名付けられた女児はアネットによく似ていた。  ※ 全5話完結予定  

絶世の美女の侍女になりました。

秋月一花
キャラ文芸
 十三歳の朱亞(シュア)は、自分を育ててくれた祖父が亡くなったことをきっかけに住んでいた村から旅に出た。  旅の道中、皇帝陛下が美女を後宮に招くために港町に向かっていることを知った朱亞は、好奇心を抑えられず一目見てみたいと港町へ目的地を決めた。  山の中を歩いていると、雨の匂いを感じ取り近くにあった山小屋で雨宿りをすることにした。山小屋で雨が止むのを待っていると、ふと人の声が聞こえてびしょ濡れになってしまった女性を招き入れる。  女性の名は桜綾(ヨウリン)。彼女こそが、皇帝陛下が自ら迎えに行った絶世の美女であった。  しかし、彼女は後宮に行きたくない様子。  ところが皇帝陛下が山小屋で彼女を見つけてしまい、一緒にいた朱亞まで巻き込まれる形で後宮に向かうことになった。  後宮で知っている人がいないから、朱亞を侍女にしたいという願いを皇帝陛下は承諾してしまい、朱亞も桜綾の侍女として後宮で暮らすことになってしまった。  祖父からの教えをきっちりと受け継いでいる朱亞と、絶世の美女である桜綾が後宮でいろいろなことを解決したりする物語。

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

身代わり婚~暴君と呼ばれる辺境伯に拒絶された仮初の花嫁

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【決してご迷惑はお掛けしません。どうか私をここに置いて頂けませんか?】 妾腹の娘として厄介者扱いを受けていたアリアドネは姉の身代わりとして暴君として名高い辺境伯に嫁がされる。結婚すれば幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱いていたのも束の間。望まぬ花嫁を押し付けられたとして夫となるべく辺境伯に初対面で冷たい言葉を投げつけらた。さらに城から追い出されそうになるものの、ある人物に救われて下働きとして置いてもらえる事になるのだった―。

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

アヤカシな彼の奇奇怪怪青春奇譚

槙村まき
キャラ文芸
 クラスメイトの不思議なイケメン、化野九十九。  彼の正体を、ある日、主人公の瀬田つららは知らされる。  「表側の世界」と「裏側の世界」。  「そこ」には、妖怪が住んでいるという。  自分勝手な嘘を吐いている座敷童。  怒りにまかせて暴れまわる犬神。  それから、何者にでも化けることができる狐。  妖怪と関わりながらも、真っ直ぐな瞳の輝きを曇らせないつららと、半妖の九十九。  ふたりが関わっていくにつれて、周りの人間も少しずつ変わっていく。  真っ直ぐな少女と、ミステリアスな少年のあやかし青春奇譚。  ここに、開幕。 一、座敷童の章 二、犬神憑きの章 間の話 三、狐の章 全27話です。 ※こちらの作品は「カクヨム」「ノベルデイズ」「小説家になろう」でも公開しています。

後宮で立派な継母になるために

絹乃
キャラ文芸
母である皇后を喪った4歳の蒼海(ツァンハイ)皇女。未来視のできる皇女の養育者は見つからない。妃嬪の一人である玲華(リンホア)は皇女の継母となることを誓う。しかし玲華の兄が不穏な動きをする。そして玲華の元にやって来たのは、侍女に扮した麗しの青年、凌星(リンシー)だった。凌星は皇子であり、未来を語る蒼海の監視と玲華の兄の様子を探るために派遣された。玲華が得意の側寫術(プロファイリング)を駆使し、娘や凌星と共に兄の陰謀を阻止する継母後宮ミステリー。※表紙は、てんぱる様のフリー素材をお借りしています。

山神様と身代わりの花嫁

村井 彰
BL
「お前の子が十八になった時、伴侶として迎え入れる」 かつて山に現れた異形の神は、麓の村の長に向かってそう告げた。しかし、大切な一人娘を差し出す事など出来るはずもなく、考えた末に村長はひとつの結論を出した。 捨て子を育てて、娘の代わりに生贄にすれば良い。 そうして育てられた汐季という青年は、約束通り十八の歳に山神へと捧げられる事となった。だが、汐季の前に現れた山神は、なぜか少年のような姿をしていて……

処理中です...