55 / 112
第五話 星、流れども。
15
しおりを挟む「……これから状況はますます悪くなるわよ」
一時的に役所の仕事を引き上げられただけ、などと言ってはいられない。受け継がれてきた信頼関係に入ったヒビは、亀裂を広げて大きな溝を作り始めている。
お役に返り咲ける望みは、ほとんど無い。それをコイミズは言いたいのだろう。分かっている、としてショウスケは重々しく頷く。
「悪いことは言わない。今すぐ、看板を下ろすか街を出なさい」
「……コイミズ様のご心配には及びません」
口出しするな、と伝わるように精一杯の作り笑いで応えた。
するとショウスケの思った通り、挑発に乗ってコイミズは口を滑らせた。
「馬鹿ね! わからない? それがユキちゃんの望みなのよ」
はっとして口を噤むがもう遅い。
隙間に身を捩じ込むのは、今度はショウスケの番だ。
「……やはり、知っていましたね?」
何を、と訊き返すこともなく、コイミズは無言だ。
コイミズはユキヘイが死を選ぶことを知っていた。そうショウスケは疑っている。だからあの日、あんなに平静を装っていられたのだ。不自然なほどに。そんなコイミズが唯一驚きを見せたのが、ネイの死を目の当たりにした時だ。それが本来の彼の顔、おそらくネイのことまでは想定外だったのだろう。
「知っていて、救ってくださらなかったんですか。父はあなたを誰よりも信じていたのに」
「アンタに何がわかる!!」
激昂したコイミズは、掴みかからん勢いだ。
「止められるなら止めたかった! 自ら死を選ばせるくらいなら、アタシが殺してやりたかったわよ……!!」
息急き切って、乱れた髪をコイミズは忌々しげに払う。
「それでも……! ユキちゃんは選んだのよ。自分の命と引き換えに……店を捨ててでも、アンタだけは守ろうとしたの」
「…………は?」
そこで己が出てくるとは思わず、ショウスケは間の抜けた声を出してしまった。
コイミズの顔は呆れと苛立ちが露わだ。
「ユキちゃんは、アンタを同じ道に進ませたくなかったのよ。どちらに進むか、迷うことさえさせたくなかった。
……言ってたわ。アンタの濁りのない字が好きだって。それを守るために道ごと潰すなんて、過保護が過ぎるわよ」
己の字がどんなものかわからないと呟いた、孤独な背中がショウスケの記憶を揺さぶった。拙い手習いでさえ、微笑んで頭を撫でてくれたユキヘイの手の重みが蘇ってくる。あるはずもない幻影を追いかけて、手を重ねるように頭を抱えた。
「は……、はは……はははっ」
壊れたように笑いが溢れる。
不正に手を染めるよりも過酷な道とは、これか。ショウスケは、ユキヘイが不器用な人間だったのだと初めて知った。
「分かったら……、ユキちゃんのためにもアンタは明るい道を進みなさい」
「どこにそんな道がありましょうか」
「それはアンタが自分の足で進むのよ。……もう、親に手を引かれる子供じゃないんだから」
「それならば、わたしは……。この街で、この店と生きる道を選びます」
コイミズは脇息を拳で打って怒鳴った。
「馬鹿ね! ユキちゃんの気持ちがわからないの!?」
「わかっているつもりです。ですが、父の命と引き換えにわたしなどが、のうのうと生きていていいとは思えない」
「アタシだって、アンタよりユキちゃんの方が大事だったわよ!」
本当に失礼な男だと、ショウスケは苦い顔をする。
「ならば、ユキヘイの愛したわたしの言の葉を、貴方に託します」
ショウスケは薄い記録紙の束を、コイミズに突き返した。
「こんな薄っぺらい真実はいりません。母を手にかけ、父を陥れた者が誰か分かってから持ってきてください。それまでわたしは、ここで待っていますから」
親友などという言葉で片付けられない亡き友の思いに応えるなら、コイミズは冷徹を貫かねばならなかったはずだ。
だがユキヘイによく似た眼差しで見つめられたら、「No」とは言えなくなった。
コイミズは目を細めて、記録紙の束をめくった。そこに記されていないが、頭に閃く墨色の勘を頼りに、調査の糸口を絞り出す。
当日は見えなかった可能性も視野に、ショウスケからコイミズへと言の葉が託される。
それをコイミズは自前の帳面に書き付けていく。手にした筆記具は、舶来の万年筆だ。
書き終えると、右手に持っていたきゃっぷに筆先を収めて、彼は帰っていった。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
お昼寝カフェ【BAKU】へようこそ!~夢喰いバクと社畜は美少女アイドルの悪夢を見る~
保月ミヒル
キャラ文芸
人生諦め気味のアラサー営業マン・遠原昭博は、ある日不思議なお昼寝カフェに迷い混む。
迎えてくれたのは、眼鏡をかけた独特の雰囲気の青年――カフェの店長・夢見獏だった。
ゆるふわおっとりなその青年の正体は、なんと悪夢を食べる妖怪のバクだった。
昭博はひょんなことから夢見とダッグを組むことになり、客として来店した人気アイドルの悪夢の中に入ることに……!?
夢という誰にも見せない空間の中で、人々は悩み、試練に立ち向かい、成長する。
ハートフルサイコダイブコメディです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる