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第五話 星、流れども。
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しおりを挟む「……これから状況はますます悪くなるわよ」
一時的に役所の仕事を引き上げられただけ、などと言ってはいられない。受け継がれてきた信頼関係に入ったヒビは、亀裂を広げて大きな溝を作り始めている。
お役に返り咲ける望みは、ほとんど無い。それをコイミズは言いたいのだろう。分かっている、としてショウスケは重々しく頷く。
「悪いことは言わない。今すぐ、看板を下ろすか街を出なさい」
「……コイミズ様のご心配には及びません」
口出しするな、と伝わるように精一杯の作り笑いで応えた。
するとショウスケの思った通り、挑発に乗ってコイミズは口を滑らせた。
「馬鹿ね! わからない? それがユキちゃんの望みなのよ」
はっとして口を噤むがもう遅い。
隙間に身を捩じ込むのは、今度はショウスケの番だ。
「……やはり、知っていましたね?」
何を、と訊き返すこともなく、コイミズは無言だ。
コイミズはユキヘイが死を選ぶことを知っていた。そうショウスケは疑っている。だからあの日、あんなに平静を装っていられたのだ。不自然なほどに。そんなコイミズが唯一驚きを見せたのが、ネイの死を目の当たりにした時だ。それが本来の彼の顔、おそらくネイのことまでは想定外だったのだろう。
「知っていて、救ってくださらなかったんですか。父はあなたを誰よりも信じていたのに」
「アンタに何がわかる!!」
激昂したコイミズは、掴みかからん勢いだ。
「止められるなら止めたかった! 自ら死を選ばせるくらいなら、アタシが殺してやりたかったわよ……!!」
息急き切って、乱れた髪をコイミズは忌々しげに払う。
「それでも……! ユキちゃんは選んだのよ。自分の命と引き換えに……店を捨ててでも、アンタだけは守ろうとしたの」
「…………は?」
そこで己が出てくるとは思わず、ショウスケは間の抜けた声を出してしまった。
コイミズの顔は呆れと苛立ちが露わだ。
「ユキちゃんは、アンタを同じ道に進ませたくなかったのよ。どちらに進むか、迷うことさえさせたくなかった。
……言ってたわ。アンタの濁りのない字が好きだって。それを守るために道ごと潰すなんて、過保護が過ぎるわよ」
己の字がどんなものかわからないと呟いた、孤独な背中がショウスケの記憶を揺さぶった。拙い手習いでさえ、微笑んで頭を撫でてくれたユキヘイの手の重みが蘇ってくる。あるはずもない幻影を追いかけて、手を重ねるように頭を抱えた。
「は……、はは……はははっ」
壊れたように笑いが溢れる。
不正に手を染めるよりも過酷な道とは、これか。ショウスケは、ユキヘイが不器用な人間だったのだと初めて知った。
「分かったら……、ユキちゃんのためにもアンタは明るい道を進みなさい」
「どこにそんな道がありましょうか」
「それはアンタが自分の足で進むのよ。……もう、親に手を引かれる子供じゃないんだから」
「それならば、わたしは……。この街で、この店と生きる道を選びます」
コイミズは脇息を拳で打って怒鳴った。
「馬鹿ね! ユキちゃんの気持ちがわからないの!?」
「わかっているつもりです。ですが、父の命と引き換えにわたしなどが、のうのうと生きていていいとは思えない」
「アタシだって、アンタよりユキちゃんの方が大事だったわよ!」
本当に失礼な男だと、ショウスケは苦い顔をする。
「ならば、ユキヘイの愛したわたしの言の葉を、貴方に託します」
ショウスケは薄い記録紙の束を、コイミズに突き返した。
「こんな薄っぺらい真実はいりません。母を手にかけ、父を陥れた者が誰か分かってから持ってきてください。それまでわたしは、ここで待っていますから」
親友などという言葉で片付けられない亡き友の思いに応えるなら、コイミズは冷徹を貫かねばならなかったはずだ。
だがユキヘイによく似た眼差しで見つめられたら、「No」とは言えなくなった。
コイミズは目を細めて、記録紙の束をめくった。そこに記されていないが、頭に閃く墨色の勘を頼りに、調査の糸口を絞り出す。
当日は見えなかった可能性も視野に、ショウスケからコイミズへと言の葉が託される。
それをコイミズは自前の帳面に書き付けていく。手にした筆記具は、舶来の万年筆だ。
書き終えると、右手に持っていたきゃっぷに筆先を収めて、彼は帰っていった。
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