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第五話 星、流れども。
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しおりを挟むばたばたと撤収していく所員に、ショウスケは頭を下げる。着物を替えてから向かいたい旨を伝えると、快く承諾してくれた。
雨のせいですっかり暗い。時は夕刻が迫る頃合いだが、それ以上に時が経っているように感じさせる。
「主人様、こちらへいらしてください」
廊下でキョウコが呼んでいる。
燭台を立てたそばに、踏み台に使っている台と水を張った盥が用意されていた。
足袋を脱いで、踏み台に腰を下ろすよう促される。
血を吸った足袋は肌に引っ付き、乾き始めたところは嫌な感触を残して剥がれた。
真白い手が掬い上げた水が、爪先から踵を洗い流していく。金臭さを撒き散らし、盥の中はあっという間に紅く染まった。
静寂に盥の水と、表の雨音だけが響く。
ぽたり、ぽたりと……。盥に雫が落ちた。
足より高いところから雨が漏っているように落ちてきたので、キョウコはふと顔を上げた。
ショウスケが項垂れるように背を丸めている。顔を覆った両手の指の間から、喘ぐような嗚咽と涙の雫が溢れ落ちた。
一粒落ちたら止まらなくて、ショウスケは全身を震わせて泣いた。
乱れた呼吸に嗚咽が押し出され、堪えようもなく込み上げる。
誰が、両親を悼む心を殺して、その死に様を文字にしたかっただろうか。
悲しみと怒りで叫び出したくなるのを堪え、他人の振りに徹することが、どれほど彼の心を傷つけたか。
苦しげに咽ぶショウスケは、涙で満たされた手のひらの中で溺れているようだ。
痛ましく、胸を掻き乱されて、キョウコはたまらず主人を抱き寄せた。
細い腕に抱かれ、臆面なく泣けるほど、ショウスケが苦しんでいるのが悲しかった。しかしそれ以上に、彼に発破をかけ、追い込んだ己が恨めしくて、涙は少しも滲まなかった。
「願いが叶うなら……、何枚だって短冊を書くから……」
時を戻すか、二人を返してくれとショウスケはキョウコの着物を濡らす。
「だけど、そんなの、無理なんだよなぁ……」
奇跡はそう起きるものじゃないと無理して笑うショウスケを、か弱い腕が力一杯に抱きしめる。
キョウコはショウスケを慰められる言葉を知っている。だが何も言わなかった。
それを告げれば、ショウスケの心は二度と救われなくなると知っているからだ。
代わりに、いつも自分がそうされているように、優しい手つきで主人の頭を撫でた。
雨が激しくなる。
泣き声を吸い込むように、戸を、屋根を打ちつける雨は黒い空から落ちている。厚い雲に覆われ、星の姿を見ることはできなかった。
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