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第五話 星、流れども。
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しおりを挟む見えない卓に覆い被さるユキヘイを、隈なく観察した。
「綺麗ですね」
「……ハァ?」
「戸に近い背面は血を被っていますが、腹の方はほら……全く汚れていない」
ショウスケの示す通り、卓に突っ伏していた胸側にネイの血痕は見られない。
「それが何?」
「どうしたらこのような汚れ方になるのでしょうか。返り血にしては不自然では?」
言われて気付いた様子のコイミズは、扇子を合口に見立てて右手に持つ。目の前にいた所員を捕まえると、ぴたりとその首筋に当てた。そこから一思いに引き抜く。
扇子で首が断たれるはずもないのに、皆びくりとした。見えない血飛沫が上がったようにさえ感じた。可哀想に、捕まった所員は涙目だ。
「これなら正面に返り血は浴びないわ」
「ですがそれだと、傷と一致しません」
図解した書面を、ネイの遺体の検分にあたった所員に確かめてもらって、ショウスケは進み出た。
コイミズに捕まっている所員に失礼して、襟を広く開いてもらう。露わにした首に細めの筆で、矢印を引っ張った。
まず、左から右へ抜ける矢印が一本。コイミズが扇子を滑らせた方向と同じだ。
「そしてこちらが、被害者ネイの傷です」
それは先のものとは真逆の、右から左へ抜ける矢印だ。
「合口を右手に握って、背後からこの傷が付けられますか?」
「……無理ね」
実際にやってみて、コイミズは納得した。別の状況も想定してみるが、納得のいく答えは出ない。
「対面で下から振り抜く?」
「それですと、返り血は防げませんね」
「じゃあ何よ……」
だんだんとコイミズに苛立ちが見え始める。右往左往し始めて落ち着かない。
仕方なく、ショウスケは可能性の一つを示唆することにした。
すれ違いざまショウスケは先のコイミズに倣って、彼の背後を取った。コイミズお気に入りのスカーフ越しに、喉元へぴたりと筆を這わせる。
嫌な予感がしたのか、コイミズが身をよじった。
体格の違う男を、いつまでも捕まえていられる自信は、ショウスケにない。逃げられる前に一思いに手を下した。
赤い牡丹にとまるは黒揚羽。一閃の軌跡を描いて空へと飛び立つ。
コイミズの断末魔のような金切り声があがる。
スカーフの無事を確かめるも、既に手遅れ。艶やかな牡丹には真っ黒い墨が滲んでいる。
ぴたりと合致するわけではないが、ネイと同じ、左へ抜ける傷痕だ。
「わたしが言葉にしては、私情を挟んだことになります。しかし刑番所の方が気付き、推測されたことであれば記録に残しましょう」
コイミズの恨めしそうな視線は無視して、ショウスケは書き取る体勢を取る。
筆は、左手に持ち替えられていた。
コイミズの記憶の限り、ショウスケは右手で筆を扱っていたはずだった。ショウスケに興味はないが、筆を取る姿がユキヘイによく似ているから覚えている。
「つまり、アンタが言いたいのは……」
ショウスケは首を振る。それでは駄目なのだ。
「ああっ、もう! ……アタシが思うに!」
コイミズは言い換えるべき言葉を舌の上で転がしながら、状況を整理する。
左手に持った合口で背後からネイを襲えば、返り血を浴びずに、検屍と同様の切り口になる。では、着物の背と右袖についた血をどう説明する。そもそもユキヘイは右利きなのだ。
「つまり……」
コイミズは自分自身でも確かめるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ネイの首が斬られた時、ユキヘイは既に卓に伏していて血を浴びた」
それならば、背側の、それも戸に近い右半身に集中して血を浴びていることに説明がつく。
しかしそうなるとネイの首を斬ったのは誰か。
「ネイの自刃?」
それはないと、検屍した所員が口を挟んだ。
首の太い血の管が切れていて、とても意識を保てたはずがないと彼は繰り返す。首を傷つけた後で、合口をユキヘイの手に握らせるのは不可能ということだ。
「左利きの、誰かが……存在したのかもしれないわね」
ショウスケは頷き、筆を利き手に持ち替えて記録した。
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