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第五話 星、流れども。

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 しかしそれから半刻が過ぎ、一刻経っても、ユキヘイが現れることはなく、ネイもまた戻ってこなかった。
 さすがに遅すぎる。何かあったのではないかと、彼らは不安な顔を突き合わせた。

 話し合った末、ショウスケが店に戻ることになった。
 やはりどこも混んでいて、思うように進めない。ユキヘイたちも、こんな風にどこかで揉みくちゃになっているのなら、その方がいい。妙な胸騒ぎを覚えながら、じりじりと進んでいると、近くの会話がざらりと耳に入り込んだ。

「おい聞いたか? とうとう町長が帰ってきたってな!」
「へぇ、そいつぁどんな話が聞けるか楽しみだねぇ」

 ただの世間話。だがなぜか嫌な予感が増していく。
 いくら足を動かしても前に進めず、早く店に着け、とどうしようもない願いを心で唱えることしかできない。
 こめかみを伝う汗は、ひといきれに蒸した空気のせいか。それとも……。

「主人様」

 はっと、声のした方に視線を落とすと、人に揉まれながらも必死に食らいつくキョウコがいた。懸命に伸ばされた手に青海波文様の手ぬぐいが握られている。
 何とか手ぬぐいが頬に届いて、キョウコはほっと微笑んだ。
 不思議と心が休まるのを感じ、ショウスケは息を落ち着けた。真白く、か弱い手を取ると、改めて店を目指した。

 広げた巻物の形をした看板のコトノハ堂。街の中心に店を構えているが、今日は祭りの人出のおかげか通りは閑散としていた。
 人混みが途切れたおかげで途中からは走ってこられた。
 やっとの思いで辿り着いた店の前で、ショウスケは思わぬ人物と鉢合わせた。番頭のトウキチだ。

 祭り見物も楽しいが、ゆっくりできる場所が無くて、気が付いたら店に足が向いていたという。出店で腹も膨れて、昼寝に丁度いい頃合いだったから、このまま離れで寝るつもりだそうだ。
 どこかでユキヘイたちを見かけたか尋ねるも、答えは「否」だった。

 ショウスケに出会わなければ、彼はそのまま裏に回るつもりだったのだろう。しかし染みついた雇われ人の性で丁重に頭を下げて、率先して店の戸を開けに向かった。
 使用人の中では、トウキチだけが鍵を持っている。

「開いております」

 用意していた鍵を懐にしまい直して、彼は戸を開き、脇に控えた。
 あがりがまちに、ネイの草履がきちんと揃えられている。今朝履いて出掛けたものだ。

「まだ店にいらしたんですね。何をしてらっしゃるのか……」

 ほっとしたような、呆れたような気分でショウスケも雪駄を脱いだ。
 声を掛けるも返事はなく、気配もない。皆出払っているというだけで、屋内は不気味なほどひっそりとしていた。

 廊下を折れ、突き当たりにある納戸のような部屋へ足を向ける。
 表の空が陰ったのか、心なしか奥が暗い。
 だんだんと、掛ける声に力が無くなっていって、やたらと床板が軋んで聞こえた。先に進むのを恐れるように歩幅も小さくなる。

 程なくぶつかった突き当たりには、薄闇が澱んでいた。
 薄暗がりに、ユキヘイの部屋の戸が開いているのが確認できる。室内から明かりは漏れていない。

「いらっしゃいますか?」

 薄闇の中に踏み出したショウスケの足が、不快な水音を立てた。何か水ものが零れているようだ。滑りそうになって踏ん張ると、それは足袋にぐしゃりと染み込んできた。

 水のようにさらりとしていない。もっとぬらりと纏わり付くようだ。

 墨だろうか。いや、香りが違う。
 これは酷く、……金臭かなくさい。

 平穏が終わりを告げる……。
 そう警鐘を鳴らすように、心の臓が早鐘を打っている。
 後に続くキョウコとトウキチの息を呑む声にも、駄目押しされた気がした。

 開いた戸の、闇の向こうにショウスケは目を凝らした。

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