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第五話 星、流れども。

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 雨が来る。
 それは梅雨の始まりだ。

 いつからだろうか。
 水無月がどこか不吉なもののように感じるようになったのは。

 きっと、キョウコと言葉を交わしたあの日からだ、とショウスケは一人で納得する。
 また一人で危険な目に遭っていやしないか、雨に降られて消えてしまうのではないか。らしくないと自身で思うほど、心配で仕方がなかった。

 息を切らして走っていると、道行く者がわけ知り顔で「あっちだよ」と、行くべき道を示してくれる。
 このところコトノハ堂の店主の目が、使用人の少女に釘付けになっていることは周知されていた。
 皆、初めは「若紫」がまことになったのではないかとざわついたものだが、次第に「親鳥と雛」を見守る温かい目に落ち着いた。
 そして相も変わらず、ショウスケ狙いの女子おなごは多い。雛の行方を教える見返りに「でえと」に誘われたりするから、下手げに耳を傾けるわけにもいかず、ショウスケは書道具屋を目指してひた走った。

 やがて向かう先から、五尺ほどの背丈の少女が紙包みを抱えて歩いてくるのを見つけた。ほっとしたショウスケは足を止め、キョウコがやって来るのを黙って眺めた。
 湿気た風に煽られた髪を掻き撫でて、少女は空を仰ぐ。その時に、どんなに視界の隅にあろうとも目を奪われて引き寄せられる、彼の存在に気が付いたようだ。
 キョウコはすぐさま視線を移し替えて、小走りに駆け寄ってきた。

「どうされたんですか」
「いやぁ……雨が降りそうだからね」

 そう言いながら、傘の一つも手にしていない。迎えに来たのではなく、無我夢中で走ってきたことなんて、勘の鋭い猫ならお察しだろう。ショウスケも今更になって気付いたが、キョウコが面白おかしく笑っているのを見たら、体裁なんてどうでもよくなった。

 黒雲に追い立てられるように、帰り道を急ぐ。
 ショウスケの一歩は、キョウコの二歩だ。互いに互いの歩幅に合わせながら歩む姿は、街行く人の心を和ませた。

 そこへ、二人とはまるで正反対に、大きな足音を立てて男たちが通りを駆けてきた。帽子を目深に被った二人組は、小脇に抱えた紙束を配り歩きながら声を張り上げる。

「号外! 号外!」

 どうやら何かあったようだ。
 久しく号外など発行されていなかったから、物珍しさに人が群がり、男たちが抱えた新聞はあっという間にはけてしまった。

 手にした号外をショウスケとキョウコは、頭を寄せ合って覗き込む。
 見出しには「不明瞭な金の流れ」とでかでかと掲げられ、クラサワの町長の近影が並んでいる。
 一昨年の研究所の誘致に際して、不正な金銭授受があった疑いが高まったとして、町長を告発する内容が記されていた。

「これはいけない」

 ショウスケはキョウコの手を引いて、裏道に入った。幸い、号外を配っていた者たちに気付かれはしなかったようだが、なるべく早くその場を去るに越したことはない。手を繋いだまま、小走りに店へ向かう。

「面倒なことになりそうだ」
「何がでしょう?」

 ショウスケは唇を結んで、難しい顔だ。

 火のないところに煙は立たない。
 号外が出るほどだ。不正が起きたことを裏付ける証拠を、記者らは掴んだのだ。ならば、これまで不正を隠し通したものと照らし合わせて、不正に加担した者を炙り出しにかかるだろう。

 誘致の件で、役所に呼ばれて代書を担当していたのはユキヘイだ。

「大旦那様が、……ご承知だったと?」

 声をひそめたキョウコの問いに、ショウスケはただ首を横に振る。それは否定ではない。わからない、だ。

「いいかい。これはあくまで慣習的な話であって、わたし個人や父の信条ではないということを頭に置いて、お聞き」

 キョウコは頷き、ショウスケは重い口を開いた。

 代書屋は、古くから公の場……政に関わる面でも重用されてきた。依頼されるままに文字を売る。時に、辻褄の合わない書類を。時に、対立候補同士の八百長の演説文を。
 政の権力は持たぬが、あらゆる秘密を握っているという点が、代書屋の地位を高めた所以だ。
 ユキヘイからその話を聞かされたのは、まだ十になる前だったはずだ。子供ながらにひどく誇りを傷付けられた思いがしたのを、ショウスケは覚えている。本気で跡を継ぐのなら心しろと、ユキヘイは厳格ながら哀しい目で語ったのだ。

「信頼に応えるということは、必ずしも清く正しくあるということではない……。偽りありと気付かせぬ技術で騙し通すことができてこそ、真の代書屋だ」

 代々、語り継がれてきた不名誉な心得をなぞるショウスケの口調はユキヘイのそれだ。

「今回の件に父がどこまで関わっているのかは、わからない。けれどそういうわけだから……」
「大旦那様がそんなことをするとは思えませんが」
「……それがわたしたちの仕事だからねぇ」

 自嘲するようにショウスケは表情を歪ませる。

「では主人様あるじさまも、いずれその時が来たらそのようになさるので?」

 翡翠の瞳は痛いところを突いてくる。
 ショウスケは苦笑を否めない。

「正義を貫きたいと思うのはわたしの希望で、店主としては、店を守らねばという気持ちが強いよ。だけどねぇ、果たしてそれで店を守っていると言えるのだろうか?
 ……なんて思うのは、わたしにまだ覚悟が足りないからだろうね。結局いつも堂々巡りになってしまうんだよ」

 情けないね、とショウスケは微笑う。
 優しい眼差しを見上げて、キョウコは握り返す手に力を込めた。
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