あるじさま、おしごとです。

川乃千鶴

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第五話 星、流れども。

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 キヌは照れながら頷く。
 給仕として働く茶屋の〈めにゅう〉を作り直す時に、絵を描き入れてみたところ、それが商店会長の目に留まったそうだ。それで今年の祭りの引き札を依頼されたのだと、キヌは語った。

「見事なものだねぇ」
「ありがとうございます。コトノハ堂さんは、今年も短冊書きですか?」

 クラサワの七夕祭りでは、各商店こぞって出店を出す。住民が夏の息災を願うとともに、商店会側は店を触れ込む機会として生まれた祭りと言われている。
 タナカ屋だったら、笹飾り用の短冊を提供しているし、アヅマ工芸では夜道を照らす硝子灯籠を貸し出している。
 コトノハ堂は毎年、様々な事情で字が書けない者に代わって短冊を書いている。客の希望する筆跡、文体にも応えて書くため、普段コトノハ堂に世話になることがない者でも、技を間近に観察できる機会だと、毎年なかなかの人気だ。
 中には、気に入った職人の字が欲しいからと短冊を飾らずに持ち帰る者もいる。

「今年は笹に、ショウスケ様の短冊がどれほど飾られるでしょうか?」

 キヌは可笑しがった。
 代替わりして初めての祭りだ。記念に持ち帰る者は、例年以上にいそうだ。
 また当日はユキヘイも参加するのだが、こちらも貴重だなんだと、ほとんど飾られないような予感がして、ショウスケもつられて笑った。

「父の短冊といえば、こんな話がありまして」

 ショウスケはここだけの話……、と声を落とす。

 少年時代、顔も知らない許嫁との縁談に乗り気でなかったユキヘイは、見合いを翌日に控えて短冊に「さだめをしらん」と書いて笹に結んだという。
 己の運命の相手が誰か知らない。それが定めだと判っている。半ば、腹いせのようなものだったという。やるせない思いを天の川に流すつもりで、短冊を括ったそうだ。

 時間が経って、やはりみっともないかと冷静になったユキヘイは、夕なずみの中、短冊を取りに戻ったという。
 そこで一人の娘に出会った。涼しげなエゾムラサキ色の着物を纏った、いかにも良家の子女といった娘だった。笹飾りを前に思い詰めた顔で佇んでいて、思わず声を掛けたそうだ。

 聞けば、娘とユキヘイは実に似たことをしていた。見合いのためにクラサワに逗留しているがどうにも憂鬱で、文句を書き付けた短冊を結んでしまったのだという。それが恥ずかしくなって回収しに来たのだが、困ったことになったと娘はすいっと指を指す。
 娘の括った短冊が、別の短冊と絡み合って、簡単に取れそうになくなっていた。無理に引っ張ったら、他人の願いを引き裂いてしまうと娘は悲しそうだ。既に頑張ってはみたのだろう。滑らかな手に、切り傷を作っていた。
 ユキヘイは絡み合った短冊を見て、何も迷うことなくそのどちらともを笹ごと手折ってみせた。
 驚く娘に、「もう一枚は自分の書いたものだから心配ない」と打ち明け、短冊は処分しておくと伝えたそうだ。
 名を聞こうと思ったが、互いに決まった相手のいる身だ。知らない方がいいと、娘を宿まで送り届けて別れたという。

 別れた後で、ユキヘイは娘の短冊を読んだ。
「顔が良くても家柄が良くても、大切なのはひととなり。見合いで何がわかると言うの」と、娘の素直な感情が吐露されていた。柔らかいが芯のある字から、たおやかでいながら気の強そうな姿が窺えて、ユキヘイは「妻にするならあのような娘がいい」と、名残惜しく思ったそうだ。

「さて、その娘とはどうなったと思う?」

 ショウスケの問いに、キヌは瞳を輝かせて意気揚々と手を挙げた。

「もしや、もしや……そのお方のお名前はネイ様というのでは!?」

 いつの間にか、イヘイとセンまでが興奮した様子で話に聞き入っていて、キヌに同調するように大きく頷いている。

「大当たり。そもそもの見合い相手も母だったそうで、翌日に再会して驚いたって」
「まぁ、なんて素敵! まるで星で結ばれていたような……はぁ、憧れますわ」

 キヌはうっとりと目を細めた。

 キヌとて今年で十八だ。友人のほとんどはとっくに嫁いで、ちらほら子を持ち始めているのを耳にするにつけ、焦らないわけでもない。だが、縁談を持ちかけられる度にキヌは、「まだ働いていたい」「自由でいたい」と逃げている。
 その理由はすぐ目の前にあった。
 ちらっと、ショウスケを窺い見る。笑った顔が昔から変わらない。もう何年も前から、この笑顔だけが、キヌの胸に棲みついていた。
 店同士の付き合いが古い分、自然と縁組の話も持ち上がるのだが、小心者の父親が尻込みしてしまい、話が先に進むことがない。
 それにキヌは聡い娘だ。ショウスケが自分に笑顔しか向けないうちは、コトノハ堂の夫婦のような恋物語が生まれることはないと悟っている。

 差し出された手形を受け取り、素敵な話の礼を言うと、キヌは暇を告げた。
 軒をくぐって見上げた空に、黒雲が湧いてきている。画板の端から墨が滲むようにじわじわと、空を塗り潰していく。

「一雨来そうですね」

 キヌが何気なく呟くと、がたりと背後で物音がした。
 振り返りざま、ショウスケが真横をすり抜ける。あとには、店主を捕まえられずに嘆く職人の姿があった。

 キヌは、店を飛び出すショウスケの横顔を目に焼き付けた。
 とても焦っていて、それでいて哀しそうで……、どこまでも優しい顔をしていた。
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