上 下
41 / 112
第五話 星、流れども。

1

しおりを挟む


「では行ってまいります」

 川に落ちて一命を取り留めたキョウコは、ひと月養生して、仕事に戻った。
 仕事を再開して約半月。事件の後遺症もなく、誰が見ても以前と変わらぬ明るい笑顔で、くるくるとよく働いている。
 変わったとすればショウスケだ。

「ああ、ちょっとお待ち。えぇと、イヘイくん」

 店で雇っている代書職人の一人に声をかける。イヘイはキヌより少し年下の、職人見習いだ。手本の書き取りに勤しむ手を止めて、すぐさま店主のそばにやってきた。

「これからおキョウさんが墨を買いに行くから、ついて行ってくれるかい?」
「……旦那様。それは過保護が過ぎます」

 確か数日前にも、同じやり取りをしたはずだとイヘイは苦笑を潜ませる。
 キョウコがあんな目に遭ってからというもの、ショウスケときたらずっとこの調子なのだ。

「いや、でも何かあったら……。ねぇ、センさん」

 もう一人の職人の方に目をやると、すいっと視線を逸らされた。イヘイより長くコトノハ堂にいる彼は、付き合いが長い分、ショウスケに甘くなりがちなところがある。目を見てお願いされたら断れる自信がなくて、最初から見ないようにした。

 しまいにはショウスケ自らお遣いについていこうとする始末だ。
 そうこうしている間に、キョウコはさっさと店をあとにしていた。音もなく、気配もなく、するりと抜け出すところは猫の性だろうか。

 そわそわと落ち着きなく、店を出たり入ったりするショウスケを引っ張って席に着かせるまでが、最近のイヘイの仕事の一つだ。

 それでも仕事には誠意をもって取り組むショウスケの姿は、職人たちの憧れだ。代替わりしてからユキヘイが店先に出ることはほとんどなくなったが、不手際もなく、若いからといって侮られることもない。ショウスケは新店主として、立派に店を切り盛りしていた。
 だから余計に、おかしな行動が際立って見えるのかもしれない。

「……イヘイくん。もうそろそろ帰ってきてもいいんじゃないかなぁ」
「……まだ店に着いてもいないと思いますよ」
「そうだろうか。やっぱりちょっとそこまで行って見てきた方が……」

 腰を上げるショウスケに、イヘイとセンがしがみつく。両脚をがっちり掴まれて、無理矢理膝をつかされた。

 それを見て、笑う声がした。表の戸を叩きながら頭を下げているのは、紙問屋タナカのキヌだ。

「本日も賑やかですね」

 代書屋は本来静かなものだ。ここのところは、そういうわけで珍妙な雰囲気が漂っていることは否定できない。
 キヌは例の如く、紙を納めにやってきた。紙というのは束になると案外重たい。車のついた荷運び用の台を使っていると言えど、通りに轍ができるくらいだから、なかなかの力仕事である。
 センたちが棚に紙束を仕舞っている間に、ショウスケは伝票を受け取って手形を切る。
 キヌはこの時いつも、伝票を渡すのを躊躇った。なぜなら自分の字に自信がないからだ。ものすごく汚いわけではないが、特別整っているわけでもない。癖が強く、ある種の味がある文字だった。それを文字の達人に見せるのが恥ずかしかったのだ。
 伝票の確認が早く終わるよう、キヌは手を握り合わせて祈る。学塾時代にだって、ショウスケ直々に毛筆の手習いを受けていたというのに、あまりに上達していなくて顔向けしようもなかった。
 しかし大抵の場合、悩みというものは本人が気にするほど、他人は気に留めていないことの方が多い。ショウスケもそうだ、キヌの字を見て不愉快に思ったことなどない。寧ろ小さい時から見ている分、愛着さえ覚えている。

「おキヌちゃ……ああ、いやキヌさん」
「はっ、はい!?」
「もしかして、あの引き札を描いたのもキヌさん?」

 ショウスケの指が示すのは、通りに面して貼ってあるビラだ。来月の七夕に合わせて、クラサワ商店会が中心となって催す祭りの日程が、ハイカラな絵と味のある文字で記されている。毎年、誰かが適当に仕上げた白黒の無骨なチラシが出回るものだが、今年は随分と気合いが入っていた。
 その文字が、伝票の筆跡と酷似している。いや、同一人物のものだ。ショウスケの目は誤魔化せない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】龍神の生贄

高瀬船
キャラ文芸
何の能力も持たない湖里 緋色(こさと ひいろ)は、まるで存在しない者、里の恥だと言われ過ごして来た。 里に住む者は皆、不思議な力「霊力」を持って生まれる。 緋色は里で唯一霊力を持たない人間。 「名無し」と呼ばれ蔑まれ、嘲りを受ける毎日だった。 だが、ある日帝都から一人の男性が里にやって来る。 その男性はある目的があってやって来たようで…… 虐げられる事に慣れてしまった緋色は、里にやって来た男性と出会い少しずつ笑顔を取り戻して行く。 【本編完結致しました。今後は番外編を更新予定です】

俺様当主との成り行き婚~二児の継母になりまして

澤谷弥(さわたに わたる)
キャラ文芸
夜、妹のパシリでコンビニでアイスを買った帰り。 花梨は、妖魔討伐中の勇悟と出会う。 そしてその二時間後、彼と結婚をしていた。 勇悟は日光地区の氏人の当主で、一目おかれる存在だ。 さらに彼には、小学一年の娘と二歳の息子がおり、花梨は必然的に二人の母親になる。 昨日までは、両親や妹から虐げられていた花梨だが、一晩にして生活ががらりと変わった。 なぜ勇悟は花梨に結婚を申し込んだのか。 これは、家族から虐げられていた花梨が、火の神当主の勇悟と出会い、子どもたちに囲まれて幸せに暮らす物語。 ※短編コン用の作品なので3万字程度の短編です。需要があれば長編化します。

今日のお昼ご飯

栄吉
キャラ文芸
スーパーでアルバイトをしているさとみは60歳 一人暮し そんなさとみのお昼ご飯を紹介するお話です

友人ミナヅキの難解方程式

一花カナウ
キャラ文芸
理工学部生の日常をそこで学ぶ用語と交えて綴る、 ちょっぴり哲学的なお話。 友情あり、恋愛あり、理系知識ありでお送りする 理工学部の日常を描いた物語。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

婚活パーティーで、国一番の美貌の持ち主と両想いだと発覚したのだが、なにかの間違いか?

ぽんちゃん
BL
 日本から異世界に落っこちた流星。  その時に助けてくれた美丈夫に、三年間片思いをしていた。  学園の卒業を目前に控え、商会を営む両親に頼み込み、婚活パーティーを開いてもらうことを決意した。  二十八でも独身のシュヴァリエ様に会うためだ。  お話出来るだけでも満足だと思っていたのに、カップル希望に流星の名前を書いてくれていて……!?  公爵家の嫡男であるシュヴァリエ様との身分差に悩む流星。  一方、シュヴァリエは、生涯独り身だと幼い頃より結婚は諦めていた。  大商会の美人で有名な息子であり、密かな想い人からのアプローチに、戸惑いの連続。  公爵夫人の座が欲しくて擦り寄って来ていると思っていたが、会話が噛み合わない。  天然なのだと思っていたが、なにかがおかしいと気付く。  容姿にコンプレックスを持つ人々が、異世界人に愛される物語。  女性は三割に満たない世界。  同性婚が当たり前。  美人な異世界人は妊娠できます。  ご都合主義。

蛇に祈りを捧げたら。

碧野葉菜
キャラ文芸
願いを一つ叶える代わりに人間の寿命をいただきながら生きている神と呼ばれる存在たち。その一人の蛇神、蛇珀(じゃはく)は大の人間嫌いで毎度必要以上に寿命を取り立てていた。今日も標的を決め人間界に降り立つ蛇珀だったが、今回の相手はいつもと少し違っていて…? 神と人との理に抗いながら求め合う二人の行く末は? 人間嫌いであった蛇神が一人の少女に恋をし、上流神(じょうりゅうしん)となるまでの物語。

処理中です...