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第五話 星、流れども。
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しおりを挟む「では行ってまいります」
川に落ちて一命を取り留めたキョウコは、ひと月養生して、仕事に戻った。
仕事を再開して約半月。事件の後遺症もなく、誰が見ても以前と変わらぬ明るい笑顔で、くるくるとよく働いている。
変わったとすればショウスケだ。
「ああ、ちょっとお待ち。えぇと、イヘイくん」
店で雇っている代書職人の一人に声をかける。イヘイはキヌより少し年下の、職人見習いだ。手本の書き取りに勤しむ手を止めて、すぐさま店主のそばにやってきた。
「これからおキョウさんが墨を買いに行くから、ついて行ってくれるかい?」
「……旦那様。それは過保護が過ぎます」
確か数日前にも、同じやり取りをしたはずだとイヘイは苦笑を潜ませる。
キョウコがあんな目に遭ってからというもの、ショウスケときたらずっとこの調子なのだ。
「いや、でも何かあったら……。ねぇ、センさん」
もう一人の職人の方に目をやると、すいっと視線を逸らされた。イヘイより長くコトノハ堂にいる彼は、付き合いが長い分、ショウスケに甘くなりがちなところがある。目を見てお願いされたら断れる自信がなくて、最初から見ないようにした。
しまいにはショウスケ自らお遣いについていこうとする始末だ。
そうこうしている間に、キョウコはさっさと店をあとにしていた。音もなく、気配もなく、するりと抜け出すところは猫の性だろうか。
そわそわと落ち着きなく、店を出たり入ったりするショウスケを引っ張って席に着かせるまでが、最近のイヘイの仕事の一つだ。
それでも仕事には誠意をもって取り組むショウスケの姿は、職人たちの憧れだ。代替わりしてからユキヘイが店先に出ることはほとんどなくなったが、不手際もなく、若いからといって侮られることもない。ショウスケは新店主として、立派に店を切り盛りしていた。
だから余計に、おかしな行動が際立って見えるのかもしれない。
「……イヘイくん。もうそろそろ帰ってきてもいいんじゃないかなぁ」
「……まだ店に着いてもいないと思いますよ」
「そうだろうか。やっぱりちょっとそこまで行って見てきた方が……」
腰を上げるショウスケに、イヘイとセンがしがみつく。両脚をがっちり掴まれて、無理矢理膝をつかされた。
それを見て、笑う声がした。表の戸を叩きながら頭を下げているのは、紙問屋タナカのキヌだ。
「本日も賑やかですね」
代書屋は本来静かなものだ。ここのところは、そういうわけで珍妙な雰囲気が漂っていることは否定できない。
キヌは例の如く、紙を納めにやってきた。紙というのは束になると案外重たい。車のついた荷運び用の台を使っていると言えど、通りに轍ができるくらいだから、なかなかの力仕事である。
センたちが棚に紙束を仕舞っている間に、ショウスケは伝票を受け取って手形を切る。
キヌはこの時いつも、伝票を渡すのを躊躇った。なぜなら自分の字に自信がないからだ。ものすごく汚いわけではないが、特別整っているわけでもない。癖が強く、ある種の味がある文字だった。それを文字の達人に見せるのが恥ずかしかったのだ。
伝票の確認が早く終わるよう、キヌは手を握り合わせて祈る。学塾時代にだって、ショウスケ直々に毛筆の手習いを受けていたというのに、あまりに上達していなくて顔向けしようもなかった。
しかし大抵の場合、悩みというものは本人が気にするほど、他人は気に留めていないことの方が多い。ショウスケもそうだ、キヌの字を見て不愉快に思ったことなどない。寧ろ小さい時から見ている分、愛着さえ覚えている。
「おキヌちゃ……ああ、いやキヌさん」
「はっ、はい!?」
「もしかして、あの引き札を描いたのもキヌさん?」
ショウスケの指が示すのは、通りに面して貼ってあるビラだ。来月の七夕に合わせて、クラサワ商店会が中心となって催す祭りの日程が、ハイカラな絵と味のある文字で記されている。毎年、誰かが適当に仕上げた白黒の無骨なチラシが出回るものだが、今年は随分と気合いが入っていた。
その文字が、伝票の筆跡と酷似している。いや、同一人物のものだ。ショウスケの目は誤魔化せない。
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