39 / 112
第四話 落雁ほろり。
13
しおりを挟む「美味しゅうございます」
「本当だねぇ。やっぱりイサカさんの菓子は間違いない」
キョウコのかじった残りを、躊躇いなく口に放ってショウスケは満足そうに頷く。
「残りは、元気になってからのお楽しみに取っておこうね」
「その時も、一緒に召し上がってくださいますか?」
「おキョウさんがそう望むのなら、喜んでおよばれするよ」
嬉しげに微笑むキョウコの頭をひと撫でし、額の熱さを確かめた。熱くない。むしろ冷やりと感じるくらいだ。
「さぁ、もうお休み」
顔色は見られるくらいに、ランプの火を細くした。
背に手を添えて、再び横たえようとするも、キョウコは珍しくいやいやと聞き分けなかった。
ショウスケは知らなくて当然だろうが、キョウコはまさに地獄の淵から帰ってきたのだ。いくら肝が据わっていようと、暗闇で迎えを待つのは心細かった。
生身の体で感じられる主人の存在が恋しくて、手放しがたくて、また眠りに落ちるのが惜しくてならなかったのだ。
寝かせようとするとなぜだか抵抗するのだが、もとより小柄で、しかも今は病み上がりだ。抵抗もたかが知れている。ショウスケでも簡単に横たえることはできた。
……が、どうしても寝ようとしない。翡翠の瞳でじっくりと見つめてくるので、ショウスケは困惑した。目が覚めるまで、しつこいほど見ていたお返しをされている気分だ。
「どこにも行かないから、安心おし」
頭ではわかっているようで、キョウコは頷くのだが、いっこうに目を閉じる様子はない。
ハルが小さい頃、隣の奥さんが寝かしつけに苦労していたのが思い出されて、女性に対してそれも失礼かと、ショウスケは密かに笑った。
「やれやれ……」
ショウスケはおもむろに布団をめくると、キョウコの隣に体を滑り込ませた。胸に抱くようにして引き寄せる。子をあやすならトントンとするところだが、猫が相手だと思って、頭や背中をゆっくり撫でた。
「……あっ! 嫌なら言ってくださいね!」
猫の時に逃げ出され、生まれ変わったキョウコに「無理矢理……」と言われたことを思い出す。
腕の中で小さく首を振るのを肯定と受け取って、ショウスケは猫を安心させるようにさすり続けた。
胸に抱えているせいで、さっきまでじっと開いていた翡翠の瞳は見えない。だがまだ寝ていないことは気配で察することができた。
「……おキョウさんがいないと、僕はどうも調子が狂う気がする」
キョウコの髪を指ですくと、髪の内から桜の花びらが出てきた。川面で拾い上げてきたのだろう。
「朝が来て、おキョウさんが声を掛けてくれると、ああ一日が始まったなぁと感じるんだ」
「…………おはようございます、主人様。お仕事でございます
「そう、そんなふうに」
ふふふ、とショウスケは笑う。
「それがないと、起きられないかもしれない」
「旦那様がそれでは示しがつきませんね」
「だから早く元気になって、いつもの調子で起こしにきておくれ」
身動ぐ気配がして目をやると、キョウコがじっと見つめていた。
その頬が先刻よりも赤く色づいているのが、仄かな灯りの中でも確認できた。触れた手は温かく、脈も強く打っている。
ショウスケは嬉しげに微笑む。
「ああ、ずっと顔色が良くなった。よかった、よかった」
あっけらかんとした笑顔には、落雁の一欠片の甘さも含まれていない。
愛しさを全身に溢れさせて、潤んだ瞳で見つめていたキョウコにしたら、肩透かしをくらった気分だ。
つんと尖らせた唇は、桜色。ぷぅっと膨らませた頬は桃色。ただ一人のひとを見つめる瞳は翡翠色。
春を纏った少女はわざとらしく、主人の胸に額を押し付けて目を閉じた。
※ ※ ※
春の宵が静かに更ける。
川面を桜の花が埋め尽くし、クラサワの街から遠く、何処かへと旅立っていく。
橋の欄干に上半身をもたせた男の髪が、月明かりを受けて黄金色に光を弾く。
煙管の灰を灰吹に落として、男は大きなため息をついた。
静かな夜だ。空気に混じり気がなくて、冷たすぎるほどに。
やがて来る嵐を引き寄せるため、春は静かに逝こうとしていた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです
青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています
チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。
しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。
婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。
さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。
失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。
目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。
二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。
一方、義妹は仕事でミスばかり。
闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。
挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。
※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます!
※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。
ひきこもり瑞祥妃は黒龍帝の寵愛を受ける
緋村燐
キャラ文芸
天に御座す黄龍帝が創りし中つ国には、白、黒、赤、青の四龍が治める国がある。
中でも特に広く豊かな大地を持つ龍湖国は、白黒対の龍が治める国だ。
龍帝と婚姻し地上に恵みをもたらす瑞祥の娘として生まれた李紅玉は、その力を抑えるためまじないを掛けた状態で入宮する。
だが事情を知らぬ白龍帝は呪われていると言い紅玉を下級妃とした。
それから二年が経ちまじないが消えた。
だが、すっかり白龍帝の皇后になる気を無くしてしまった紅玉は他の方法で使命を果たそうと行動を起こす。
そう、この国には白龍帝の対となる黒龍帝もいるのだ――。
体育座りでスカートを汚してしまったあの日々
yoshieeesan
現代文学
学生時代にやたらとさせられた体育座りですが、女性からすると服が汚れた嫌な思い出が多いです。そういった短編小説を書いていきます。
祓い屋と妖狐(ただし子狐)
朏猫(ミカヅキネコ)
キャラ文芸
僕はどうしてもあれがほしかった。だからお賽銭を貯めて人に化けて、できたばかりの百貨店にやって来た。そうしてお目当てのあれを探していたんだけれど、僕を妖狐だと見破った男に捕まってしまい――。僕を捕まえた人間は祓い屋をしていた。僕はいなり寿司を食べさせてくれる代わりに、双子の狛犬や烏と一緒に使い魔をしている。そうして今日も僕は祓い屋の懐に潜り込んでいなり寿司を買いに……もとい、妖を祓いに行くんだ。
TAKAMURA 小野篁伝
大隅 スミヲ
キャラ文芸
《あらすじ》
時は平安時代初期。小野篁という若者がいた。身長は六尺二寸(約188センチ)と偉丈夫であり、武芸に優れていた。十五歳から二十歳までの間は、父に従い陸奥国で過ごした。当時の陸奥は蝦夷との最前線であり、絶えず武力衝突が起きていた地である。そんな環境の中で篁は武芸の腕を磨いていった。二十歳となった時、篁は平安京へと戻った。文章生となり勉学に励み、二年で弾正台の下級役人である少忠に就いた。
篁は武芸や教養が優れているだけではなかった。人には見えぬモノ、あやかしの存在を視ることができたのだ。
ある晩、女に救いを求められる。羅生門に住み着いた鬼を追い払ってほしいというのだ。篁はその願いを引き受け、その鬼を退治する。
鬼退治を依頼してきた女――花――は礼をしたいと、ある場所へ篁を案内する。六道辻にある寺院。その境内にある井戸の中へと篁を導き、冥府へと案内する。花の主は冥府の王である閻魔大王だった。花は閻魔の眷属だった。閻魔は篁に礼をしたいといい、酒をご馳走する。
その後も、篁はあやかしや物怪騒動に巻き込まれていき、契りを結んだ羅城門の鬼――ラジョウ――と共に平安京にはびこる魑魅魍魎たちを退治する。
陰陽師との共闘、公家の娘との恋、鬼切の太刀を振るい強敵たちと戦っていく。百鬼夜行に生霊、狗神といった、あやかし、物怪たちも登場し、平安京で暴れまわる。
そして、小野家と因縁のある《両面宿儺》の封印が解かれる。
篁と弟の千株は攫われた妹を救うために、両面宿儺討伐へと向かい、死闘を繰り広げる。
鈴鹿山に住み着く《大嶽丸》、そして謎の美女《鈴鹿御前》が登場し、篁はピンチに陥る。ラジョウと力を合わせ大嶽丸たちを退治した篁は冥府へと導かれる。
冥府では異変が起きていた。冥府に現れた謎の陰陽師によって、冥府各地で反乱が発生したのだ。その反乱を鎮圧するべく、閻魔大王は篁にある依頼をする。
死闘の末、反乱軍を鎮圧した篁たち。冥府の平和は篁たちの活躍によって保たれたのだった。
史実をベースとした平安ダークファンタジー小説、ここにあり。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
カルム
黒蝶
キャラ文芸
「…人間って難しい」
小さな頃からの経験により、人間嫌いになった翡翠色の左眼を持つ主人公・翡翠八尋(ヒスイ ヤヒロ)は、今日も人間ではない者たちと交流を深めている。
すっぱり解決…とはいかないものの、頼まれると断れない彼はついつい依頼を受けてしまう。
相棒(?)の普通の人間の目には視えない小鳥・瑠璃から助言をもらいながら、今日もまた光さす道を目指す。
死霊に妖、怪異…彼等に感謝の言葉をかけられる度、ある存在のことを強く思い出す八尋。
けれどそれは、決して誰かに話せるようなものではなく…。
これは、人間と関われない人と、彼と出会った人たちの物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる