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第四話 落雁ほろり。

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 すっかり夜も更けて……。
 帰宅したユキヘイが様子を見にやってきたり、夜食を置きにくりやのタツが顔を出したりした。
 そのどちらの時も、ショウスケは姿勢を変えていない。少女の手を両手で包み込んで、座っていた。

 今もそうして片時も離れずにいる。しつこいくらいに顔を覗き込んでしまうのは、生きているか不安になるほど、キョウコが静かだからだ。
 静かな息の通う唇に、耳を寄せて確かめる。規則正しく吸って吐いてを繰り返している。
 ほんの少し、血色がよくなってきたようだ。
 握り込んだ手と逆の手に触れてみても、ほのかに温かい。青みを帯びていた小さな爪も、薄く桃色に戻りつつある。

 ようやく少し安心できる気がして、頑張り屋な少女の頭をそっと撫でた。
 すると、翡翠の瞳がゆるやかに開かれる。
 覆い被さる格好で目の前にあるショウスケの顔を見るや、花開くようにキョウコは笑んだ。

「夜這いでございましょうか」
「違います」

 欲を潜ませると言ったのは誰か。こんな時にも相変わらずだ。
 だが今はその無遠慮さが嬉しくて、愛しかった。

「もう本当に無茶はしないでくださいよ……」

 紐を直した巾着を差し出すと、キョウコは大事に胸に抱えた。

「印が人の手に渡ると思って焦ったのかい?」
「申し訳ございません。それもございますが、主人様からいただいた宝物でしたので、渡すわけにいかなかったのです」
「それを見つけた時は、やらなければ良かったと思ったよ」

 ただの巾着ならキョウコも諦めてくれただろう。そうだったなら、川に落ちることもなかった。
 しかしキョウコは首を振る。

「嫌でございます。無かったことになど、いたしませんからね」

 巾着をしっかり抱えて、渡すまいとする手の片方がほんのり紅い。どうやらショウスケが包み込んでいた時に、手のひらの顔料が色移りしたらしい。
 ちょうど小指の根元にだけ、輪を通したようにくっきりと紅い色が馴染んでいる。
 まるで赤い糸を結びつけたようだ。気付いた途端に気恥ずかしくなって、ショウスケは何も知らせずに、少女の手を拭き清めた。タツが持ってきた夜食の盆には、おしぼりが添えられていたから、都合よかった。

「お腹も空いたろう? ごめんよ。可哀想だけれど、お医者様がよしと言うまでは、何もあげられないんだ」

 大丈夫だと示すようにキョウコは頷く。朝から忙しくてろくに食べていなかったから、腹は空いているが、体が重怠くて欲しいとも思わなかった。
 キョウコは仰向けのまま巾着を弄んでいたが、しばらくして躊躇いがちに口を開いた。

「少し、体を起こしても?」
「……うーん、ちょっとだけなら」

 ショウスケは恐々、少女の背中に手を添えて身を起こすのを助けた。
 巾着の口を開き、白く細い指が摘み上げたのは懐紙にくるまれた何かだ。キョウコは懐紙をめくりながら、ショウスケに貰った小遣いで買った菓子だと言い添える。
 桜の型をした可愛らしい落雁が顔を覗かせた。キョウコの手に、ほんのり薄紅色に色づいた花びらが、舞い降りたようだ。

「桜の落雁はこの時期はすぐに売り切れてしまうので、今日はついておりました」
「落雁。おキョウさんも好きだったのだね」
「はい」

 実を言えば、キョウコは菓子にはあまり興味がなくて、甘いものの類なら、鮎の飴炊きや田楽味噌のような、そういったものが好みだった。
 落雁はセイタロウがよく手土産に持ってくるので、ショウスケの好物なのだと知っていたから、菓子を選ぶならこれだと決めていた。

「ハレの日にふさわしい、満開の桜でございましょう? これを今日、主人様と一緒に食べられたらと思ったのですが」

 ショウスケの手の中で花が萎れていくように、小さな肩がしゅんと落ちた。
 頭を撫でて慰めてやり、小さな手の上で咲く桜を眺めた。小指の先ほどの花びらを連ねた、ころんと愛らしい落雁だ。
 その一つを、ショウスケはキョウコの口元に運ぶ。

「小さく、お食べ」
「よろしいのですか?」
「ほんの少しだけ、ね」

 差し出された落雁に、キョウコはほんのちょっぴり歯を立てて、小さな一口をいただいた。
 ひとひらの花びらが、口の中でほろりと砕け、優しい甘みが広がる。そしてあっという間にとろけて消えた。

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