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第四話 落雁ほろり。
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しおりを挟むセイタロウがそこを通りかかった時、八つ時をぐるりと回って、学塾帰りの学徒どもが通りにちらほら出てきたところだった。
川沿いに立ち並ぶ桜が白雪を降らせ、その間を渡るジゴク橋の紅と水面で混じり合う。風雅な春の空気を楽しみながら、セイタロウは見回り歩いていた。腕章は階級が上がって濃黒だ。
数軒先の菓子屋から、見慣れた少女が出てくるのが見えた。風呂敷包みと赤い巾着を手に、小走りだ。セイタロウはその後ろ姿を、笑顔で見守った。
その直後だ。
一度は通りの向こうへ消えたはずの少女が、戻ってきた。それも小走りなどではない、必死に誰かを追っている様子だ。
少女の伸ばした手の先には、いかにもな無頼漢。その手に、ごろつきに似つかわしくない巾着を握りしめている。
スリだ。
こんなことなら、そこまでついていけばよかったと、セイタロウは舌打ちした。
「刑番所だ! 止まれ!」
セイタロウの声に、ジゴク橋に差し掛かった男の注意が逸れる。その隙に、追い縋ったキョウコは、体格差に恐れもなさず巾着を奪い返した。
「ちぃっ……!!」
最後の悪足掻きか。男は少女をジゴク橋の欄干に押し付けると、力任せにその小さな体を突き落とした。
一歩間に合わなかったセイタロウの目の前で、花びらの混じった飛沫が上がる。
いい気味だとでも言うようににやけて橋の下を覗く卑しい男は、セイタロウによってすぐに拘束された。
キョウコは近くにいた者たちによって、少し下流で引き上げられたが、冷たい水と流れに巻かれた体からは、すっかり生気が抜け落ちていた。
「おキョウちゃん! おキョウちゃん! しっかり!!」
頬を叩くも、まるで反応がない。
心の臓はゆったりと拍動しているようだが、漏れる呼気が微かだ。
次第に人が集まって、辺りはいつのまにか黒山の人だかりができていた。
これだけの人がいるにも関わらず、医者の類は誰一人とおらず、時ばかりが過ぎていく。
そこへ、通りから河原へ下りてくる者がいた。
「水を吐いてはおらぬか。吐いた水が息を妨げぬよう、体を横たえるのだ」
頭に薄紫の頭巾を被った若い男だ。垂れた目尻が気怠げだが、しゃんと伸びた背や張りがあって透る声がまるで正反対の印象を与えた。
言われるがまま、セイタロウはキョウコの体を仰向けから横臥に移す。そうして少女の蒼い顔が、頭巾を被った男の方へと傾いた。その刹那、男の眉間に深い皺が刻まれる。
「その娘、もしや……」
そろそろと歩み寄る若者を見ていた近所の男は、その顔に見覚えあるのを思い出し、目の前に飛び出して行く手を遮った。
「あんた、坊さんだな? ゴボウジの見習いさんか」
「いかにも」
若い男は頭巾を取って、剃髪を晒した。中年の男は申し訳なさそうに、少女を振り返る。
「手助けしてくれようってのはありがたいが、こんなところに坊さんがいたら縁起が悪い。すまんが、帰ってくれ」
「……しかしながら、その娘、すでに……」
「経なら不要だ! 引っ込んでろ!」
若い僧侶を遮って、向こう側から叫んだのはセイタロウだ。
薄紫の頭巾を手早く被り直し、若者は無言でその場を後にした。
そこへ、入れ違いにどこぞの若旦那といったていの、品のいい青年が駆けつけた。人垣を裂いて、一目散に河原に横たわる少女のもとへと向かう。
すれ違った僧侶の鼻腔に、墨の香りが微かに届いた。
「────!!!」
少女の名を、懸命に呼ぶ声が河原に響く。
ゴボウジの若い僧侶……名をエイゲンという。エイゲンは眉根を寄せて、その声に耳を傾けた。
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