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第四話 落雁ほろり。
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しおりを挟む誰かが茶化して、宴席がどっと盛り上がった。もちろん、キョウコを指しての言葉である。
若紫、と古典を持ち出して揶揄する者さえいる。
ショウスケにはこれだけは言っておきたいことがあった。キョウコを気に入って育てているのは、母のネイだ。決して、自分は光る君などではない、と。
「しかし、主人と使用人とでは釣り合うまい」
「それなら、何処かの養女にすれば……」
今度はキョウコの養い親に名乗りをあげる者が出始めた。冗談から始まったはずが、次第に白熱していく様子に、ショウスケは頭が痛くなる一方だ。かろうじて笑顔は保っているが、目元に落ちた影が濃い。
恋だの愛だの言うより先に、ショウスケにとってキョウコはもう家族のようなものだ。それを物のように取り合われるのは、愉快でない。
隣にいた恰幅の良い男が、大きなくしゃみをしなければ、その話はいつまで続いていたかわからない。
「うぉっほん。失礼いたしました。春の陽気はうららかで、鼻をくすぐる悪戯な風が吹きますなぁ」
胡麻塩を顎に生やしたその男が腹を揺らして笑うと、臨席する面々は彼におもねるように話題をすげ替えた。
話が特段うまいわけではないが、彼が一言冗談を言えば、わっと声が上がる。彼がこのクラサワを治める町長だからだ。
ユキヘイより五つほど年嵩の町長は、見た目の不精ぶりに反してなかなかのやり手だった。
二年前、不審火騒動に沸いた色街を覆う天幕を取っ払い、売られた娘たちを解放すると、製薬会社の研究所を誘致した。初めは、職にあぶれた色街の住人から不満が出、次いで、水が汚れるとクラサワ全域から反対の声が上がった。しかし彼は計画を推し進めた。
結果として、誘致は大成功だった。心配された汚染は最小限に留められ、逆にクラサワの水が新薬の研究に欠かせぬとして大切にされている。本社からの支援も厚く、研究所は当初の倍に施設を拡大するまでに急成長を遂げた。職を失くした者は優先的に研究施設に雇用され、結果、クラサワは潤った。
彼が町長を務めて既に八年になる。誘致の件が動き出した一昨年は、町長選に影響が出ると思われていたが、この調子なら数ヶ月後に迫る選挙も彼の一人勝ちだろう。
遠慮なく飲み食いして、一刻ほど滞在し、町長は席を立った。見送りに立とうとするショウスケを押し留め、ユキヘイが店先まで付き従った。
それを横目にしていたコイミズの顔に、嫌悪感が滲み出す。ユキヘイから受けた盃をあおる姿は、やり切れない感情を呑み込んでいるようだった。
「新店主のショウスケくんも実に頼もしい。これからも安心して仕事を任せられますなぁ」
ユキヘイは貼り付けた笑顔で会釈する。
店の入り口を一歩出ると、通りは野次馬で溢れていた。人波を押しやって、町長の帰り道を作る作業をしているのは刑番所の若人たちだ。常ならば、役所の職員が送迎に付き添うものだが、この人出ゆえに刑番所の手を借りたようだ。
野次馬の中には、押し返しても押し返しても、しつこくその場に留まろうとする輩がちらほらいた。彼らは堂々とはしているが、目深にかぶった帽子で素性を隠しているようなちぐはぐな雰囲気がある。
町長はユキヘイにごく小さな声で囁いた。
「……鼠が湧いておりましてなぁ」
コトノハ堂の先代は、静かに頷き頭を下げる。そのまま町長に語りかけるのは、野次馬に紛れた鼠に唇を読まれるのを警戒してだ。
「その件につきまして、いずれお時間を頂戴いただきたく存じます」
さっ……と足元を吹き抜けた風に、白花が舞う。ユキヘイは顔を上げ、町長を見据えた。その顔にはもう笑顔はない。
「春の新しき風は、自由に渡るが美しいとは思いませんか?」
「……ふむ、つまり大旦那、あなたは」
町長の言葉を遮って、ユキヘイは再び頭を下げた。
「……ここいらで、お開きにいたしましょう」
下げた頭の向こうで、微かに嗤う気配がした。ではいずれとだけ残して、町長は人垣の間を去っていった。
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