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第四話 落雁ほろり。
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しおりを挟む満開の桜が白雪を散らし、川面に花筏が揺れるクラサワの春。
その日は、ひっきりなしにコトノハ堂に人が出入りしていた。
小料理屋を営む隣家から仕出しが運び込まれ、客間には豪勢な膳が並ぶ。
礼装に身を包んだ招待客が席に着いたのを確認して、伏せた面を上げるのは、ユキヘイとショウスケ。コトノハ堂の父子だ。
ショウスケ二十二歳の春。
今日から名実ともに、店を継ぐこととなった。
そのお披露目と、祝いの席が華々しく幕を開けた。
※ ※ ※
宴席には、町長やコイミズを初め、クラサワの名だたる面々が揃っている。
文字に関するあらゆる仕事が舞い込むコトノハ堂は、商店関係なら看板にチラシ、役所関係なら演説の台本、書類作成……と、関わりがない者がいないと言っても過言ではない。
賓客の数はそのまま、ショウスケがこれから背負う責任の重さだ。
そして、代々受け継がれてきたコトノハ堂の名を背負うということは、クラサワの民の信頼を受けるということだと、ショウスケは心得た。
盃を交わしながら、ショウスケとユキヘイはお歴々へ挨拶に回る。
普段は堅い表情の美術家タキでさえ破顔して、新しい店主の活躍を期待する言葉をかけてくれた。たいていの者の反応はそうだ。
こんな席でも、ショウスケに不満たらたらなのは、やはりこの男しかいない。
「ユキちゃんのお酌じゃなきゃ……イ・ヤ」
相変わらずのコイミズだ。
「アタシは認めないから。ユキちゃんだってまだまだ現役なのに。こんな、顔がいいだけのひよっこに、ユキちゃんの代わりが務まるわけないでしょう。どうせすぐに誤字や何やらやらかすに決まってるわ」
全否定されずに、顔だけでも褒めてもらえたことを良しと思うしかない。コイミズに腹を立てずにやり過ごす術を、ここ数年でショウスケは会得していた。
しかし、今日のコイミズはいつも以上にねちっこく、しつこかった。酒が入っているせいだろうか。
「そもそも、コトノハ堂は誤字に関しては前科持ちなのよ? アンタのご先祖が間違えたおかげで、アタシの家はややこしい名前になっちゃったんだから」
異国からやってきた彼の先祖が、この地に根を下ろす時、ヤマノトの名を与えられたという。元の名の響きに「古」と「泉」の文字を当てがった、「コイズミ」という家名だった。戸籍を作るために書類が要り用だったが、ヤマノトの言葉にまだ精通していなかったその男は、当時のコトノハ堂を利用したそうだ。そこで悲劇は起きた。
姓名の振り仮名が「コイミズ」になっていたのだ。誤字に誰も気が付かないまま、書類は受理され、「古泉家」が誕生したのである。
昔から、ややこしい姓だと言われ続けてきたコイミズが、やたらと誤字につっかかる理由はそこにあった。
管を巻くコイミズを止められるのは、ユキヘイだけだ。盃を受けて満足そうにしている隙に、ショウスケは別の席へと移動した。
だがそこでも彼は苦い思いをすることになる。
酒が入った年長者が集まる場で避けて通れないのは、ショウスケの「お相手」に関する話題だ。
やれ庄屋に年頃の娘がいる、やれ役所の係長の娘も気立てがいい、隣町の誰それさんもおすすめだ……。候補となる娘の尽きないことよ。
皆、遠慮がちに身内にない者から名を挙げているが、本心ではコトノハ堂と縁を結んでおきたい者が大半だ。娘がいる親は、誰かが我が子の噂をしてくれるのを待っている。紙問屋タナカの主人もその一人だろう。
「タナカ屋さんのお嬢さんも、そろそろご結婚を急ぐ歳でしょう」
「いやいや。暇さえあれば、落書きしているような娘でして、とてもとても……。それより扇屋さんのところの……」
などと、謙遜と売り込みが飛び交う。
ショウスケはいつものように笑ってやり過ごしていたが、確かにそろそろ腹を決めなければと思い始めていた。
家を継いだ男がいつまでも独り身でいては、後ろ指をさされる時代だ。せめて、許嫁くらいははっきりさせておいた方が、箔がつくというものである。
ここで名前が挙がる誰かと、いずれ夫婦となることも、あながちただの空想とは限らないのだ。
しかしどの名であろうと、ショウスケにはしっくり来なかった。愛しく呼びかける己の姿というものが、全く思い浮かばない。顔も知らぬ隣町の娘は当然として、見知ったキヌでさえもだ。
そんな時だ。
「あの若女将だっていいんじゃないか」
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