6 / 112
第二話 お仕事とご褒美。
1
しおりを挟む
奉公にやってきたキョウコは、あっという間にコトノハ堂に馴染んだ。見た目が幼いだけで、元より賢い女だ。仕事を覚えるのも早ければ、気遣いもうまかった。
初めは掃除や厨仕事など、雑多な家事を言いつけられていたが、一ヶ月もする頃には、大切な後継ぎの世話係に任命されていた。
「どうしてこうなった!?」
あまりにキョウコに都合よく事が運びすぎている気がして、ショウスケは恐怖さえ覚えた。
着物の上にひだのたくさんついたエプロンをつけ、頭に同じような飾りを乗せた女児は満足そうだ。ショウスケの鞄を手渡し、送り出す姿はどこか誇らしげだ。そのわけはすぐにわかった。
「いってらっしゃいませ、旦那様……あっ、違う。主人様」
彼女の脳内では、未来の生活が描かれているに違いない。しかしショウスケは同じ想像をすることができない。やはり幼すぎるのだ。逆に、想像できたとしたらそれは相当な変態だ。
鞄を受け取り、軒先を出ようとしたところで、店の奥にいた母親に呼び止められた。
「ショウさん、お待ちなさいな。これからタキ様のお宅でしょう? でしたらキョウコも連れてお行きなさい」
「おキョウさんを?」
「ええ。タキ様のお嬢様が里帰りしてらしてね。小さなお子さんたちがいらっしゃるから、遊び相手になっておやり。頼んだよ、キョウコ」
「はい、おかあさ……いいえ、奥様!」
「まあまあ、いじらしいこと。キョウコは郷を失くしたんでしたっけね。寂しい時は、わたしを母と呼んでもいいのですよ」
「ありがとうございます、おかあさま!」
言葉の音だけを拾えば「おかあさま」。だがきっとキョウコの言葉を文字に起こせば「お義母さま」だ。
ショウスケは着実に外堀を固められていっている。
※ ※ ※
今日向かうタキ家は芸術人の一家で、家長のチョウゾウが夫婦で暮らす屋敷は異国風の白い邸宅だ。庭木も異国から取り寄せて植樹してあり、たいへん洗練された住まいだ。
広い玄関の正面には、色鮮やかな水彩の抽象画が飾られている。これはチョウゾウの最高傑作と言われている。それが惜しげもなくお出迎えしてくれるこの玄関は、彼の絵を愛する者にはたまらない場所らしい。あまりの感動に、倒れる者もいるそうだ。
あいにく、ショウスケは絵画にはほとんど興味がなかったので、「あれまあすごい」とお粗末な感想しか出てこない。
チョウゾウの妻に案内されて、本日の仕事場へ通された。依頼は寝室の衝立に、自らが詠んだ歌を書きつけてほしいとのことだ。チョウゾウは絵は描けるが、字は壊滅的に様にならないのだと言う。
そこでコトノハ堂の出番だ。代筆屋とも文字屋とも言われるこの家業は、依頼に合わせて筆跡を変えるのも仕事のうちだ。依頼人の文字とそっくりに書くこともできるし、好みの文字に仕上げることもできる。そういう技を幼い頃から磨いて、最近やっと、ショウスケ一人でも仕事を任されるようになった。
ショウスケが不要な紙で試し書きをしていると、真っ赤な鞠が転がってきた。墨壺が倒れる寸前で、キョウコが鞠を拾い上げた。
チョウゾウの寝室の扉は開け放たれていて、そこから興味津々といった様子で覗き見ている子供の姿が確認できた。
キョウコと同じくらいの男の子と、それよりも少し幼い女の子だ。女の子の方は緑の鞠を持っている。
「お義母様が仰っていた、わたくしのお仕事でございますね」
キョウコは瞳を輝かせた。ショウスケのために何かできることが、心から嬉しいようだ。
「主人様のお仕事の邪魔にならぬよう、別室に参ります」
「ありがとう、おキョウさん。何かあったら呼んでおくれ」
「承知しました。主人様もお励みくださいませ」
初めは掃除や厨仕事など、雑多な家事を言いつけられていたが、一ヶ月もする頃には、大切な後継ぎの世話係に任命されていた。
「どうしてこうなった!?」
あまりにキョウコに都合よく事が運びすぎている気がして、ショウスケは恐怖さえ覚えた。
着物の上にひだのたくさんついたエプロンをつけ、頭に同じような飾りを乗せた女児は満足そうだ。ショウスケの鞄を手渡し、送り出す姿はどこか誇らしげだ。そのわけはすぐにわかった。
「いってらっしゃいませ、旦那様……あっ、違う。主人様」
彼女の脳内では、未来の生活が描かれているに違いない。しかしショウスケは同じ想像をすることができない。やはり幼すぎるのだ。逆に、想像できたとしたらそれは相当な変態だ。
鞄を受け取り、軒先を出ようとしたところで、店の奥にいた母親に呼び止められた。
「ショウさん、お待ちなさいな。これからタキ様のお宅でしょう? でしたらキョウコも連れてお行きなさい」
「おキョウさんを?」
「ええ。タキ様のお嬢様が里帰りしてらしてね。小さなお子さんたちがいらっしゃるから、遊び相手になっておやり。頼んだよ、キョウコ」
「はい、おかあさ……いいえ、奥様!」
「まあまあ、いじらしいこと。キョウコは郷を失くしたんでしたっけね。寂しい時は、わたしを母と呼んでもいいのですよ」
「ありがとうございます、おかあさま!」
言葉の音だけを拾えば「おかあさま」。だがきっとキョウコの言葉を文字に起こせば「お義母さま」だ。
ショウスケは着実に外堀を固められていっている。
※ ※ ※
今日向かうタキ家は芸術人の一家で、家長のチョウゾウが夫婦で暮らす屋敷は異国風の白い邸宅だ。庭木も異国から取り寄せて植樹してあり、たいへん洗練された住まいだ。
広い玄関の正面には、色鮮やかな水彩の抽象画が飾られている。これはチョウゾウの最高傑作と言われている。それが惜しげもなくお出迎えしてくれるこの玄関は、彼の絵を愛する者にはたまらない場所らしい。あまりの感動に、倒れる者もいるそうだ。
あいにく、ショウスケは絵画にはほとんど興味がなかったので、「あれまあすごい」とお粗末な感想しか出てこない。
チョウゾウの妻に案内されて、本日の仕事場へ通された。依頼は寝室の衝立に、自らが詠んだ歌を書きつけてほしいとのことだ。チョウゾウは絵は描けるが、字は壊滅的に様にならないのだと言う。
そこでコトノハ堂の出番だ。代筆屋とも文字屋とも言われるこの家業は、依頼に合わせて筆跡を変えるのも仕事のうちだ。依頼人の文字とそっくりに書くこともできるし、好みの文字に仕上げることもできる。そういう技を幼い頃から磨いて、最近やっと、ショウスケ一人でも仕事を任されるようになった。
ショウスケが不要な紙で試し書きをしていると、真っ赤な鞠が転がってきた。墨壺が倒れる寸前で、キョウコが鞠を拾い上げた。
チョウゾウの寝室の扉は開け放たれていて、そこから興味津々といった様子で覗き見ている子供の姿が確認できた。
キョウコと同じくらいの男の子と、それよりも少し幼い女の子だ。女の子の方は緑の鞠を持っている。
「お義母様が仰っていた、わたくしのお仕事でございますね」
キョウコは瞳を輝かせた。ショウスケのために何かできることが、心から嬉しいようだ。
「主人様のお仕事の邪魔にならぬよう、別室に参ります」
「ありがとう、おキョウさん。何かあったら呼んでおくれ」
「承知しました。主人様もお励みくださいませ」
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【完結】愛も信頼も壊れて消えた
miniko
恋愛
「悪女だって噂はどうやら本当だったようね」
王女殿下は私の婚約者の腕にベッタリと絡み付き、嘲笑を浮かべながら私を貶めた。
無表情で吊り目がちな私は、子供の頃から他人に誤解される事が多かった。
だからと言って、悪女呼ばわりされる筋合いなどないのだが・・・。
婚約者は私を庇う事も、王女殿下を振り払うこともせず、困った様な顔をしている。
私は彼の事が好きだった。
優しい人だと思っていた。
だけど───。
彼の態度を見ている内に、私の心の奥で何か大切な物が音を立てて壊れた気がした。
※感想欄はネタバレ配慮しておりません。ご注意下さい。
【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。
ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。
彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。
「誰も、お前なんか必要としていない」
最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。
だけどそれも、意味のないことだったのだ。
彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。
なぜ時が戻ったのかは分からない。
それでも、ひとつだけ確かなことがある。
あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。
私は、私の生きたいように生きます。

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。
松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。
そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。
しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。
お昼寝カフェ【BAKU】へようこそ!~夢喰いバクと社畜は美少女アイドルの悪夢を見る~
保月ミヒル
キャラ文芸
人生諦め気味のアラサー営業マン・遠原昭博は、ある日不思議なお昼寝カフェに迷い混む。
迎えてくれたのは、眼鏡をかけた独特の雰囲気の青年――カフェの店長・夢見獏だった。
ゆるふわおっとりなその青年の正体は、なんと悪夢を食べる妖怪のバクだった。
昭博はひょんなことから夢見とダッグを組むことになり、客として来店した人気アイドルの悪夢の中に入ることに……!?
夢という誰にも見せない空間の中で、人々は悩み、試練に立ち向かい、成長する。
ハートフルサイコダイブコメディです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる