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後編 一輪の花
枯れた花
しおりを挟む竜は涸れた喉が焼け付こうと、翼を掻いて空を駆けた。
やがて目に飛び込んできたのは、痛ましい花たちの姿だ。
瑞々しく空を仰いでいた花弁は萎れ、鮮やかな色もくすんで、どれもこれも力無く地に伏せている。
「メィヴェル!」
変わり果てた花畑を前に、さぞ嘆き悲しんでいることだろうと目を凝らすも、花畑に娘の姿はない。
察しのいいフィロスは疲弊した身体に鞭打って、断崖をひとっ飛びで乗り越え、峡谷を滑り降りた。
洞に踏み込んですぐ、ヴェルミリオは肝を冷やした。
吹き込んだ枯葉を亜麻色の髪に見紛って、メィヴェルが倒れていると勘違いしたのだ。
見間違いだと安心したのも束の間、ひっそりと静まり返った薄闇を奥まで照らしても、望んだ姿がないことを確認しただけだった。
優しく儚げな、あの微笑みが帰りを待っていると信じていたヴェルミリオは、メィヴェルの不在すら何者かの謀略によるものではないかと疑い始める。
焦燥は不安を駆り立て、居ても立っても居られず、外へ飛び出した。
すると、崖の上で人影が揺れた。
にわかに期待も捨てられず、即座に駆け上ると、そこには驚いたことに王佐のマコールとユグナーの姿があった。
「いやはや……お役目を果たされれば、すぐにもこちらへお戻りになると踏んではおりましたが、想像以上にお早いお帰りで! さぞやのご活躍が目に浮かびますな!」
約束の報奨を用意してきたと、粗雑にユグナーを押し出す。
「領地につきましては、これから調停を進めますので、しばしお待ちを……。なぁに、シルミランは英雄のお力を目の当たりにしたのです。もう降伏したも同然。期待してお待ちください」
卑しい薄笑みは、相手取るだけ精神が擦り減るようだ。不服ではあったが、疑わしい男を放ってもおけず、ヴェルミリオは苦々しく口を開く。
「亜麻色の髪をした娘を知らぬか」
主人の常ならぬ声に、ユグナーは異変を敏感に感じ取り、辺りを見回した。
しかし、マコールは相変わらずの態度で、かえってそれが白を切っているように見えなくもない。
「先日、石積みのそばで見ているはずだ。俺もろとも侮辱した娘のことだ」
「ああ──」
思い至った素振りで頷いたマコールだが、どこか訝しむように眉根を寄せる。
「確かに、確かに……あなた様が野の花に囲まれていらっしゃる様子に驚いて、意外だとお声がけいたしましたが──。侮りに受け取られたとは思い至らず、失礼をいたしました。しかしながら……娘とは?」
「隠し立ては、ためにならぬぞ」
怒りに燃えるが、刺すような冷たさも宿した瞳にマコールは初めて焦りを露わにした。
「滅相もない! 閣下は何か思い違いをしていらっしゃる。わたしは本当に娘など知りません。あの時、ともにいらっしゃったのですか? ええと何でしたか……亜麻色の髪で、瞳は? 齢は、名は? この辺りの娘ならガドゥール領の者ですかな?」
亜麻色の癖のない長い髪に、褐色の瞳。名はメィヴェル。年の頃は十六、七で、おそらくシルミランの民──。
それ以外、答えられるものがなく、思えばメィヴェルのことを何も知らないのだと、突きつけられるようだった。
ふと、ユグナーの視線が、枯れた花々の向こうで葉を落とし始めた木立へ移ったのを、ヴェルミリオは見逃さなかった。
最後の望みに賭け、例の屋敷へと足が向かう。
「おやおや、まだ調停も済んでいないというのに、気が早いことで。さすがは竜公爵殿、恐れるものは何もございませんか」
付き纏うマコールの嫌味に取り合っている暇はない。とにかく早くメィヴェルの無事を確かめたかった。
屋敷の周囲は警備の目もなく、扉の施錠もされていなかった。
泣き声が聞こえるとの噂に反して、朗らかな談笑が漏れ聞こえる広間に踏み込めば、若い娘が十人からおり、優雅に舞いなどを楽しんでいた。
突然踏み込んできた男たちに怯え、一塊に身を寄せ合った彼女らは、虜囚と呼ぶには華やかな装いをしている。
爪の先まで手入れの行き届いた、健やかな暮らしぶりが窺えた。
何を問うても、娘たちはなかなか口を割らなかったが、マコールの口から出まかせでシルミランの敗戦を信じ込まされると、次第に諦めた様子で語り出した。
娘らによるとこの屋敷は、暴竜の脅威を逆手に取った、誰にも邪魔されない王子らの遊び場であるらしい。齟齬はあれど、噂に違わぬ淫蕩ぶりが窺えた。
「メィヴェルという名の娘はいるか? 亜麻色の髪のものは?」
娘らは一様に首を傾げ、顔を見合わせる。
一人だけ近い髪色の娘が進み出たが、はっきりとした顔立ちで、メィヴェルとは似ても似つかなかった。
見つけるため躍起になっていたはずが、ここで見つからなかったことには殊のほか安堵して、ヴェルミリオは屋敷を後にした。
「おや、もうよろしいので? あの屋敷が欲しかったのでしょう。花も美しく咲いて、いい寝床になりそうではございませんか」
「黙れ。その薄汚い口を二度と開けぬよう、焼き付けてやってもよいのだぞ」
メィヴェルを連れてくるまで顔を見せないよう命じ、マコールを都へ追い返す。
「……頼りないやもしれませんが、わたしもこの残された目でお探しいたします。よろしければ、メィヴェル殿のお顔立ちなど、もっと詳しくお話しくださいませんか。さあ、一度お住まいへ戻りましょう」
ヴェルミリオが気の昂りに反し、あまりに悲壮な顔をしていたので、ユグナーはそう言って無理にも休息を促した。
色のない花畑に吹く風は、渇いてなんの匂いもしない。
掌に握り込んだ欠片だけが、ほのかに温かく……メィヴェルの温もりを思い起こさせた。
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