22 / 24
後編 一輪の花
枯れた花
しおりを挟む竜は涸れた喉が焼け付こうと、翼を掻いて空を駆けた。
やがて目に飛び込んできたのは、痛ましい花たちの姿だ。
瑞々しく空を仰いでいた花弁は萎れ、鮮やかな色もくすんで、どれもこれも力無く地に伏せている。
「メィヴェル!」
変わり果てた花畑を前に、さぞ嘆き悲しんでいることだろうと目を凝らすも、花畑に娘の姿はない。
察しのいいフィロスは疲弊した身体に鞭打って、断崖をひとっ飛びで乗り越え、峡谷を滑り降りた。
洞に踏み込んですぐ、ヴェルミリオは肝を冷やした。
吹き込んだ枯葉を亜麻色の髪に見紛って、メィヴェルが倒れていると勘違いしたのだ。
見間違いだと安心したのも束の間、ひっそりと静まり返った薄闇を奥まで照らしても、望んだ姿がないことを確認しただけだった。
優しく儚げな、あの微笑みが帰りを待っていると信じていたヴェルミリオは、メィヴェルの不在すら何者かの謀略によるものではないかと疑い始める。
焦燥は不安を駆り立て、居ても立っても居られず、外へ飛び出した。
すると、崖の上で人影が揺れた。
にわかに期待も捨てられず、即座に駆け上ると、そこには驚いたことに王佐のマコールとユグナーの姿があった。
「いやはや……お役目を果たされれば、すぐにもこちらへお戻りになると踏んではおりましたが、想像以上にお早いお帰りで! さぞやのご活躍が目に浮かびますな!」
約束の報奨を用意してきたと、粗雑にユグナーを押し出す。
「領地につきましては、これから調停を進めますので、しばしお待ちを……。なぁに、シルミランは英雄のお力を目の当たりにしたのです。もう降伏したも同然。期待してお待ちください」
卑しい薄笑みは、相手取るだけ精神が擦り減るようだ。不服ではあったが、疑わしい男を放ってもおけず、ヴェルミリオは苦々しく口を開く。
「亜麻色の髪をした娘を知らぬか」
主人の常ならぬ声に、ユグナーは異変を敏感に感じ取り、辺りを見回した。
しかし、マコールは相変わらずの態度で、かえってそれが白を切っているように見えなくもない。
「先日、石積みのそばで見ているはずだ。俺もろとも侮辱した娘のことだ」
「ああ──」
思い至った素振りで頷いたマコールだが、どこか訝しむように眉根を寄せる。
「確かに、確かに……あなた様が野の花に囲まれていらっしゃる様子に驚いて、意外だとお声がけいたしましたが──。侮りに受け取られたとは思い至らず、失礼をいたしました。しかしながら……娘とは?」
「隠し立ては、ためにならぬぞ」
怒りに燃えるが、刺すような冷たさも宿した瞳にマコールは初めて焦りを露わにした。
「滅相もない! 閣下は何か思い違いをしていらっしゃる。わたしは本当に娘など知りません。あの時、ともにいらっしゃったのですか? ええと何でしたか……亜麻色の髪で、瞳は? 齢は、名は? この辺りの娘ならガドゥール領の者ですかな?」
亜麻色の癖のない長い髪に、褐色の瞳。名はメィヴェル。年の頃は十六、七で、おそらくシルミランの民──。
それ以外、答えられるものがなく、思えばメィヴェルのことを何も知らないのだと、突きつけられるようだった。
ふと、ユグナーの視線が、枯れた花々の向こうで葉を落とし始めた木立へ移ったのを、ヴェルミリオは見逃さなかった。
最後の望みに賭け、例の屋敷へと足が向かう。
「おやおや、まだ調停も済んでいないというのに、気が早いことで。さすがは竜公爵殿、恐れるものは何もございませんか」
付き纏うマコールの嫌味に取り合っている暇はない。とにかく早くメィヴェルの無事を確かめたかった。
屋敷の周囲は警備の目もなく、扉の施錠もされていなかった。
泣き声が聞こえるとの噂に反して、朗らかな談笑が漏れ聞こえる広間に踏み込めば、若い娘が十人からおり、優雅に舞いなどを楽しんでいた。
突然踏み込んできた男たちに怯え、一塊に身を寄せ合った彼女らは、虜囚と呼ぶには華やかな装いをしている。
爪の先まで手入れの行き届いた、健やかな暮らしぶりが窺えた。
何を問うても、娘たちはなかなか口を割らなかったが、マコールの口から出まかせでシルミランの敗戦を信じ込まされると、次第に諦めた様子で語り出した。
娘らによるとこの屋敷は、暴竜の脅威を逆手に取った、誰にも邪魔されない王子らの遊び場であるらしい。齟齬はあれど、噂に違わぬ淫蕩ぶりが窺えた。
「メィヴェルという名の娘はいるか? 亜麻色の髪のものは?」
娘らは一様に首を傾げ、顔を見合わせる。
一人だけ近い髪色の娘が進み出たが、はっきりとした顔立ちで、メィヴェルとは似ても似つかなかった。
見つけるため躍起になっていたはずが、ここで見つからなかったことには殊のほか安堵して、ヴェルミリオは屋敷を後にした。
「おや、もうよろしいので? あの屋敷が欲しかったのでしょう。花も美しく咲いて、いい寝床になりそうではございませんか」
「黙れ。その薄汚い口を二度と開けぬよう、焼き付けてやってもよいのだぞ」
メィヴェルを連れてくるまで顔を見せないよう命じ、マコールを都へ追い返す。
「……頼りないやもしれませんが、わたしもこの残された目でお探しいたします。よろしければ、メィヴェル殿のお顔立ちなど、もっと詳しくお話しくださいませんか。さあ、一度お住まいへ戻りましょう」
ヴェルミリオが気の昂りに反し、あまりに悲壮な顔をしていたので、ユグナーはそう言って無理にも休息を促した。
色のない花畑に吹く風は、渇いてなんの匂いもしない。
掌に握り込んだ欠片だけが、ほのかに温かく……メィヴェルの温もりを思い起こさせた。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている
黎
ファンタジー
辺境の村で人々のために薬を作って暮らすリサは“聖女”と呼ばれている。その噂を聞きつけた騎士団の数人が現れ、あらゆる疾病を治療する万能の力を持つ聖女を連れて行くべく強引な手段に出ようとする中、騎士団長が割って入る──どうせ聖女のようだと称えられているに過ぎないと。ぶっきらぼうながらも親切な騎士団長に惹かれていくリサは、しかし実は数年前に“偽物聖女”と帝都を追われたクラリッサであった。
スキルは見るだけ簡単入手! ~ローグの冒険譚~
夜夢
ファンタジー
剣と魔法の世界に生まれた主人公は、子供の頃から何の取り柄もない平凡な村人だった。
盗賊が村を襲うまでは…。
成長したある日、狩りに出掛けた森で不思議な子供と出会った。助けてあげると、不思議な子供からこれまた不思議な力を貰った。
不思議な力を貰った主人公は、両親と親友を救う旅に出ることにした。
王道ファンタジー物語。
差し出された毒杯
しろねこ。
恋愛
深い森の中。
一人のお姫様が王妃より毒杯を授けられる。
「あなたのその表情が見たかった」
毒を飲んだことにより、少女の顔は苦悶に満ちた表情となる。
王妃は少女の美しさが妬ましかった。
そこで命を落としたとされる少女を助けるは一人の王子。
スラリとした体型の美しい王子、ではなく、体格の良い少し脳筋気味な王子。
お供をするは、吊り目で小柄な見た目も中身も猫のように気まぐれな従者。
か○みよ、○がみ…ではないけれど、毒と美しさに翻弄される女性と立ち向かうお姫様なお話。
ハピエン大好き、自己満、ご都合主義な作者による作品です。
同名キャラで複数の作品を書いています。
立場やシチュエーションがちょっと違ったり、サブキャラがメインとなるストーリーをなどを書いています。
ところどころリンクもしています。
※小説家になろうさん、カクヨムさんでも投稿しています!
【完結】悪役令息の従者に転職しました
*
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。
依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。
皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ!
本編完結しました!
『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく、舞踏会編、はじめましたー!
他のお話を読まなくても大丈夫なようにお書きするので、気軽に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。

婚約破棄?一体何のお話ですか?
リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。
エルバルド学園卒業記念パーティー。
それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる…
※エブリスタさんでも投稿しています
【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる
三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。
こんなはずじゃなかった!
異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。
珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に!
やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活!
右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり!
アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

狼の子 ~教えてもらった常識はかなり古い!?~
一片
ファンタジー
バイト帰りに何かに引っ張られた俺は、次の瞬間突然山の中に放り出された。
しかも体をピクリとも動かせない様な瀕死の状態でだ。
流石に諦めかけていたのだけど、そんな俺を白い狼が救ってくれた。
その狼は天狼という神獣で、今俺がいるのは今までいた世界とは異なる世界だという。
右も左も分からないどころか、右も左も向けなかった俺は天狼さんに魔法で癒され、ついでに色々な知識を教えてもらう。
この世界の事、生き延び方、戦う術、そして魔法。
数年後、俺は天狼さんの庇護下から離れ新しい世界へと飛び出した。
元の世界に戻ることは無理かもしれない……でも両親に連絡くらいはしておきたい。
根拠は特にないけど、魔法がある世界なんだし……連絡くらいは出来るよね?
そんな些細な目標と、天狼さん以外の神獣様へとお使いを頼まれた俺はこの世界を東奔西走することになる。
色々な仲間に出会い、ダンジョンや遺跡を探索したり、何故か謎の組織の陰謀を防いだり……。
……これは、現代では失われた強大な魔法を使い、小さな目標とお使いの為に大陸をまたにかける小市民の冒険譚!
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる