竜の喰わぬは花ばかり

川乃千鶴

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後編 一輪の花

救国の英雄 2

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 可憐な娘は、無事でいるだろうか──。
 最期のときに思い出すものがいるのは幸福であり、残酷でもあるとヴェルミリオは知った。
 穏やかな残影を目蓋の裏に焼き付けるほどに、幕引きを拒みたくなる。

 白い竜が大口を開いて迫る。
 死を覚悟した刹那、ふと鼻先をかすめた香りに、ヴェルミリオは目を見開いた。
 凍てついた吐息に、潮の香りだけでは足りず、ふくよかな花の香りが混ざっている。それは鮮やかな情景を描き出し、ヴェルミリオを怒りで震えさせた。
 怒りに呼応し体内で膨れ上がる魔力が、白い竜から感じるものと同じだ。

「メィヴェルの花畑を喰ったのか!」

 瞬きのあいだもなかった。
 怒り昂り、無数に生み出された炎は、暴風とともに渦を巻いて竜へ突き進む。
 しかし望外に強大な魔導竜に、その程度の抵抗を払うなど赤子の手を捻るようなものだった。
 爪のたったひと薙ぎで、炎の竜巻は霧散されてしまう。

 それでも、ヴェルミリオもフィロスも抵抗を続けた。
 もはや自身の命は省みず、ただ、あの花々の命を取り戻したいだけだった。

 すると、小さな欠片が存在を主張するように、懐がほのかに温かくなった。
 メィヴェルに託された乳白色の欠片が、強い光を放つとともに、竜の纏った魔力を吸収し始める。
 そしてそれはあの夜と同じように、ヴェルミリオたちに力を分け与えた。

 力が満ちるとともに、ヴェルミリオとフィロスは互いの意識の境目が曖昧になっていった。

 一人と一頭は肉体まで融けて混ざり合い、鏡に映したように色の異なる瞳が、かちりと重なり合う。
 鮮やかな翠と紅に染まった両目に、それぞれ風と炎の印を宿し、ひととも竜とも呼べる優美な生き物へと姿を転じた。

 それはヴェルミリオでもあり、フィロスでもある。まさしく、神が創り給うた奇跡であった。

 光輪を従えたように纏った炎が燃え盛り、疾風はやてに乗って彗星の如く降り注ぐ。
 着弾した炎はその場で爆ぜ、種を蒔くように火の粉を振り撒いた。その小さな火がさらに爆ぜ、シルミランの王都はたちまち炎の中に閉じ込められた。

 色を失くすシルミラン軍の目の前で、とうとう白い竜の体を作り上げる〈月〉のひとつに、炎弾が命中した。
 鈴なりの核にたちまち誘爆し、竜は形を保てなくなる。それでもう決着はついたようなものだ。

 しかし、大切な花畑を戦の道具に利用された竜公爵の逆鱗を撫でた火は消えない。
 炎をあげて墜落する〈月〉とともに、焔の竜巻が都を襲う。
 神が与えた業火はちょっとやそっとでは消えはせず、逃げ惑う人々の目に、竜公爵の姿は残忍で醜悪な化け物のようにしか映らなかった。

 やがて、どこからともなく澄んだ風が吹き込み、その風に内包された水は、都を包む炎をことごとく洗い流した。

 高らかに号音を響かせて、アクアフレールの軍旗を翻した一団が彼方から向かってくる。
 先導して現れたのは、あろうことか少年王ルモニアだ。

 神罰に太刀打ちできるのもまた、神の慈悲とでも言うかのように、彼に宿った力がシルミランの民を救ったのだ。
 それこそが、アクアフレールの真の狙いであった。

 戦の混乱に乗じて、シルミランを手中に収めようとした極悪非道の竜公爵と……、仇敵と切り捨てず手を差し伸べた新王という構図を、たった一瞬で作り上げてしまった。

 ヴェルミリオとフィロスは、このまま世界を灼き尽くしても足りないほどの憎悪を抱く。だが同時に、すべてが虚しく、何もかもが愚かしいとも思えた。

 いつのまにか元の姿に戻ったヴェルミリオの手の中には、小さな欠片が残されていて、そこから愛しい声がする。

──もう、いいの。帰ってきて。

 それは望んだがゆえに、聞こえただけかもしれなかった。
 だが、今の彼にとっては、ただそれだけが救いだった。











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