竜の喰わぬは花ばかり

川乃千鶴

文字の大きさ
上 下
11 / 24
後編 一輪の花

メィヴェル

しおりを挟む

 ぐずぐずに形を失う魔獣から飛び散った火花が、花畑の湿った土の上で燻り、ぶすぶすと黒い煙を上げた。

 虚ろだった娘が、はっと目をしばたたいて飛び上がる。
 花に火が移るのを恐れて、懸命に火種を潰そうと土を叩く姿が、断崖からもよく見えた。
 娘がぱたぱたと手を動かすたびに、ふわりとした袖が風を孕んで膨らむ。そのさまは、さながら蝶が舞うようだ。

「フィロス」

 竜はこくりと頷くと谷川に滑空し、大きな口に水を含んで、娘のもとへと飛んだ。
 フィロスが水を矢のようにして口から撒くと、燻っていた火種は息を潜め、やがて沈黙した。

 娘はフィロスに礼を言うように頭を下げ、境の石積みまでやってくる。
 ヴェルミリオの足も、自然とそちらへ向かった。

 今日は娘から口を開いた。

「ありがとう」

 渇いた土に水が浸み込むように、耳に馴染む澄んだ声だ。

「花が燃えなくてよかった」

 助けてもらったと感じているのは、どうやら自分のことではないらしい。
 ヴェルミリオはがっかりこそしなかったが、呆れるような思いで苦笑を返す。

「昨日はごめんなさい。わたしに話しかける人なんていないから、とても驚いて……どうしたらいいのか分からなかったの」

 娘はそれだけ言うと、自らをメィヴェルと名乗り、もといた場所へ戻ってしまった。
 入れ替わりにフィロスが帰ってくる。

 ヴェルミリオとフィロスが見守る前で、メィヴェルという娘は、魔獣の残骸を集め始めた。
 普通の娘──いや、誰であろうと触れるのを嫌がるおぞましさであるというのに、メィヴェルに迷いはない。
 仰天のあまり、ヴェルミリオは思わず声を掛けずにいられなかった。

「何をしておるのだ」
「お弔いを。土に還してあげるの」
「忌まわしい獣に、そこまでする必要があるか?」

 メィヴェルは手を動かしたまま、優しくも寂しい声音で答える。

「忌まわしいかどうかは、人が決めたことよ。この子たちはただ、魔獣という名前を与えられただけ。人も獣も草も花も……始まりと終わりは、みんな等しく変わらない、たったひとつの命でしょう?」

 ね──、と遠くから微笑みかけられて、ヴェルミリオはひどく心を動かされた。
 御子でも王子でもない、あるがままの存在を受け止めてくれるユグナーの姿とメィヴェルが重なり、わずかに残った警戒心さえほどけていく。

 すると妙に胸が熱くなり、澱となっていた感情が異色の双眸から零れ落ちた。温かな雫が、国境の石積みを点々と濡らす。
 ヴェルミリオは咄嗟に背を向けることで、どうにかこうにか矜持だけは保った。

 そうして気持ちを落ち着けている間も、背後では土を搔く音が続く。
 遺骸を納めるだけの満足な穴を掘るには、娘の手は小さく弱々しかった。
 見かねたヴェルミリオは、フィロスの自由な身を遣いにやって、魔獣を運ばせた。

「それはこちらで生まれたものだ。こちらで引き受けよう」

 運ばれた遺骸を埋め終わる頃、メィヴェルが再び石積みのそばにやってきた。手折った花を差し出して、彼女は小首を傾げる。

「よかったら──、余計なお世話かしら」
「いいや、荒ぶる心も慰められよう」

 柔らかく落ち着いた色合いの小さな花束に、自らが心を落ち着けながら、ヴェルミリオは塚に花を供えた。

 メィヴェルは静かに祈りを捧げる。
 爪の中まで泥に汚れているというのに、亜麻色の髪も、翻る生成色の衣も──陽の光に清らに映え、その姿はまるで神に仕える巫女のようだ。

 顔を上げたところで、ヴェルミリオは改めて問いかける。

「そなたは、ここで何をしているのだ?」

 メィヴェルは言葉を探して視線を落とし、ややあってから答えた。

「何も。誰かのために何かをするには、わたしはあまりに非力で、できることが何もないから、ただここにいるだけなの」

 要領を得ない答えに戸惑いながらも、ユグナー以外の人間と言葉を交わせることが、少なからずヴェルミリオの口を滑らかにした。

「住まいは近いのか? そなたのような娘が花と戯れるには、いささか障りがある場所だと思うが」

 ひとのことを言えた口ではないが、要らぬ疑いもかけられるだろうと、言外に含める。
 するとメィヴェルはまた、昨日と同じように視線を逸らし、黙ってしまった。

「すまない。答えにくいのならば、この話はもうよそう」

 メィヴェルは静かに首を振る。
 柔らかな仕草に、対話を拒む意志は感じられなくなっていた。

 もう少し話していたいと思ったヴェルミリオだが、フィロスと感覚を共有した耳が、遠くに馬蹄の荒ぶる音を捉えた。
 暴竜の出現以来、国境から足が遠のいたというシルミランの警備兵も、たまには勇気を振り絞るらしい。

 それこそ要らぬ火を熾すこともないと、ヴェルミリオはフィロスと共にその場から離れることにした。
 去り際に、メィヴェルに告げる。

「いつも高みから眺めているだけだったが、間近で目にする花も、ひとつひとつ違って見えて、いいものだな。今日は終いにするが、たまにこうして竜を連れて花畑に降りてもいいだろうか」

 メィヴェルは首を傾げる。花畑の主人かのように訊かれたのが、不思議そうな様子だ。
 だが褐色の瞳を穏やかに細めて頷き返した。

「自由に生きる花たちをどう愛でるかは、あなたの自由だと思うわ」
「ならば、またここに来よう」
「ええ。その時はまた、わたしとお話してくれる?」
「ああ、喜んで……そうだ、俺はヴェルミリオという。こっちはフィロスだ」

 名を名乗るなど、思えば初めてのことだった。
 むず痒いような、浮き立つような気分で、ヴェルミリオは国境線を後にした。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

偽りの恋人と生贄の三日間

有坂有花子
ファンタジー
三日目に生贄になる魔女が、騎士と偽りの恋人としてすごす三日間 「今日から恋人としてすごして」 珍しい容姿と強い魔力から『魔女』と疎まれていたリコ。ともにすごしてきた騎士のキトエと、辺境の城で三日間をすごすことになる。 「三日だけだから」とリコはキトエに偽りの恋人として振るまってほしいとお願いし、キトエは葛藤しながらもリコのお願いに沿おうとする。 三日目の夜、リコは城の頂上から身を投げなければならない、生贄だった。 ※レーティングは一応です

追放された偽物聖女は、辺境の村でひっそり暮らしている

ファンタジー
辺境の村で人々のために薬を作って暮らすリサは“聖女”と呼ばれている。その噂を聞きつけた騎士団の数人が現れ、あらゆる疾病を治療する万能の力を持つ聖女を連れて行くべく強引な手段に出ようとする中、騎士団長が割って入る──どうせ聖女のようだと称えられているに過ぎないと。ぶっきらぼうながらも親切な騎士団長に惹かれていくリサは、しかし実は数年前に“偽物聖女”と帝都を追われたクラリッサであった。

差し出された毒杯

しろねこ。
恋愛
深い森の中。 一人のお姫様が王妃より毒杯を授けられる。 「あなたのその表情が見たかった」 毒を飲んだことにより、少女の顔は苦悶に満ちた表情となる。 王妃は少女の美しさが妬ましかった。 そこで命を落としたとされる少女を助けるは一人の王子。 スラリとした体型の美しい王子、ではなく、体格の良い少し脳筋気味な王子。 お供をするは、吊り目で小柄な見た目も中身も猫のように気まぐれな従者。 か○みよ、○がみ…ではないけれど、毒と美しさに翻弄される女性と立ち向かうお姫様なお話。 ハピエン大好き、自己満、ご都合主義な作者による作品です。 同名キャラで複数の作品を書いています。 立場やシチュエーションがちょっと違ったり、サブキャラがメインとなるストーリーをなどを書いています。 ところどころリンクもしています。 ※小説家になろうさん、カクヨムさんでも投稿しています!

スキルは見るだけ簡単入手! ~ローグの冒険譚~

夜夢
ファンタジー
剣と魔法の世界に生まれた主人公は、子供の頃から何の取り柄もない平凡な村人だった。 盗賊が村を襲うまでは…。 成長したある日、狩りに出掛けた森で不思議な子供と出会った。助けてあげると、不思議な子供からこれまた不思議な力を貰った。 不思議な力を貰った主人公は、両親と親友を救う旅に出ることにした。 王道ファンタジー物語。

婚約破棄?一体何のお話ですか?

リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。 エルバルド学園卒業記念パーティー。 それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる… ※エブリスタさんでも投稿しています

【完結】悪役令息の従者に転職しました

  *  
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。 依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。 皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ! 本編完結しました! 『もふもふ獣人転生』に遊びにゆく、舞踏会編、はじめましたー! 他のお話を読まなくても大丈夫なようにお書きするので、気軽に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

愚者による愚行と愚策の結果……《完結》

アーエル
ファンタジー
その愚者は無知だった。 それが転落の始まり……ではなかった。 本当の愚者は誰だったのか。 誰を相手にしていたのか。 後悔は……してもし足りない。 全13話 ‪☆他社でも公開します

処理中です...